
付: 感謝に関する小さな謎
(2020.8.4 最終更新日2023.8.7)
感謝について考えていると、基本的な問題とは別に、興味深い問いに出会うことがあります。一見、些細な問いかもしれません。また、日本の文化固有の問いかもしれません。しかし、感謝の性質を考える上で、重要な問いに結びつくのかも知れません。それらの問いをあげます。ただし、このHPでは「正答」は準備されていません。
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疑問のリスト
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義務として行われた行為に対して、感謝する必要はないのでしょうか。
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感謝によって関係が深まるにも関わらず、関係が深くなってから感謝を表現すると「みずくさい」といわれます。
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なぜ、感謝を述べるときに、照れくさいのでしょうか。
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人間以外の動物に、感謝の心はあるのでしょうか。家で飼っているペットに感謝の気持ちはあるのでしょうか。
以下に問いの説明をします。
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義務として行われたことに対する感謝
強制や義務によって行われた行為は、感謝の対象にはならないといわれています。
そこで、次のような問いが生まれます。
「子どもを育てるのは親の義務なのに、なぜ、子どもは、親に感謝をしなければならないのでしょうか?」
「学校の先生は、教師としての義務を果たし、給与を得ています。なぜ、卒業の時に、生徒は先生に感謝をしなければならないのでしょうか?」
さらに、お医者さんや警察官に助けられたときはどうでしょか?
これらの問いにどのように答えたらよいでしょうか。義務によって行われたことは、感謝を受けるに値しないという考えは、誤りなのでしょうか。そもそも、親や教師に感謝をすることが誤りなのでしょうか。
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「感謝により関係が親密になること」―「親密な関係の下での感謝のみずくささ」のパラドックス
感謝の気持ちをもち、感謝を表すことによって、相手との関係は親密になるといわれます。しかし、親密さが増してくると、感謝をするのはみずくさいとされるようになります。一見、矛盾しているようにさえ感じます。この現象は、どのように説明されるのでしょうか。「人は感謝をすることによって、感謝のない関係を作る」ということでしょうか。
それとも、感謝の気持ちをもつことと、感謝の行為をすることとは別ということでしょうか。
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なぜ、感謝を述べることは、照れくさいのでしょうか。
特に、実証的なデータを示す必要もないと思いますが、多くの日本人にとって、感謝を表現するとき、照れくささが伴うことがあります。
私たちは、なぜ、感謝を伝えるときに「照れくさい」などの感情をもつのでしょうか。他の文化と異なるのでしょうか、もし異なるのであればなぜでしょうか。
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人間以外の動物に、感謝の心はあるのでしょうか。
この問題は、動物学の研究者にとっては「小さな」問題ではないかもしれません。また、感謝を進化論的に考える研究者にとっても同様です。「鶴の恩返し」は別としても、地域ぐるみで世話をしているネコが、小動物をとってきて、家のドアの前に置いていったとか、動物が人間に感謝のしるしらしきものを贈ってくれたという動物好きの人の話はよく聞きます。
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