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川越東照宮2018年01月20日

神道と仏教における感

        —宗教における感謝

     

(内藤俊史・鷲巣奈保子、2020.8.4  最終更新日 2023.9.1)

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はじめに

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   世界には、数多くの宗教が存在し、多くの人々がそれらを信じています。感謝は、それらの宗教の多くにおいて重要な位置を占めてきました。このセクションでは、日本人の心や行動に影響を与えてきた神道と仏教をとりあげます。

  もちろん、宗教の教理の内容が、そのまま私たちの感謝心のあり方を示す訳ではありません。しかし、私たちの感謝心に影響を与えたり、逆に私たちの感謝心のあり方を反するものとして、感謝心を探究する際の道標になります。

   なお、このセクションでは、それぞれの宗教の宗派よる相違は対象としません。それぞれの宗教における感謝の一般的な位置づけのなかに、私たちの探究のための示唆を見出すことが、このセクションの目的です。

   このセクションの内容は、次の論文の一部を加筆修正したものです。  

  内藤俊史(2012) 修養と道徳―感謝心の修養と道徳教育.『人間形成と修養に関する総合的研究 野間教育研究所紀要』、51 集、529-577.

 神道における感謝――自然、神、先祖への感謝    

 神道は、日本で生まれた民族的宗教とされますが、「神社神道」「国家神道」「教派神道」などの言葉があり、さまざまな形態や立場が含まれています。ここでは、日本各地の神社で行われる祭祀と、その背景となる伝統的な思想という意味での神道、つまり神社神道をとりあげます。       

  神道は、特定の教典をもたず、伝統的な儀式や生活様式のなかに、その世界観や教えが組み込まれているといわれます。日本に住む多くの人々にとって、伝統的な儀式が行われる神社には馴染みがあると思います。神社は全国津々浦々にあり、七五三などの年齢儀礼や祭りなどの年中行事のために、神社に訪れたことがある方は多いと思います。多くの人々は、そのような儀式や慣習のなかで、神道を実践しているともいえます。

  神道において、感謝はどのような意義をもつものとされてきたのでしょうか。以下に神道における感謝の特徴として4点をあげます。

・神-自然に対する感謝

 初めにあげる特徴は、神-自然に対する感謝に焦点が当てられていることです。神道においては、自然、動物、卓越した人物の霊など、人の力の及ばない力をもち畏怖や尊敬の対象とされるものは、広く神として扱われてきました。自然の現象を、神々の織りなすドラマとしてとらえる神道においては、農産物を初めとする自然の恵みは神々による恵みでもあります。したがって、農産物の収穫に当たって、多くの地域で神への感謝を表すための秋祭り(収穫祭)が行われています。

 このように、「自然への感謝」は、神道における感謝の特徴として第一にあげることができるでしょう。

 実際、山、海、岩石などの自然物を、ご神体として祀っている神社は数多く存在します。神社は、もともと山、岩、巨木などをご神体として拝むという形式や、降臨する神を受け入れるという形から、神が常に神社に鎮座するという形へと変わっていったとされます。古い時代の形を残す神社としてよく知られている神社の一つは、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る奈良県櫻井市の大神神社(おおみわじんじゃ)です。三輪山が御神体とされ、神を祀る本殿はなく、拝殿から三輪山を拝みます。

 

参考 山の神への感謝

注意 音声が出ます。

 リンク先は、「NHKアーカイブ 岩木山の登拝行事」(2008年取材)です。青森県弘前市における伝統行事が描かれています。岩木山神社に参詣(踊りなどを含む)後、岩木山に登拝し、山の神に五穀豊穣を感謝します(2023.10.4にアクセス)。

  

 ・ 亡くなった家族や先祖への感謝

 人が神になることに関しては、神道のなかでも諸説あるようです。亡くなった人は、長い間の供養によって神になるという考えや、生前の特別な功労によって神になるという考えなどがあります。死後についての考えの一つとして、人は死とともに穢れをもつ霊となり、その後長い年月の後、穢れが消えるとともに個別性を超えて、氏神、山の神、海の神などとして人々を見守るようになるという考えがあります(柳田、1975)。この考えは、先祖への感謝、さらには先祖に対する崇拝へと展開します。 

 なお、現在の日本における死者に対する葬儀の形式やその背景となる考えは、中世以降の日本の仏教によって大きな影響を受けています(松尾、2011などを参照のこと)。 

参考 日本の各地で行われるお盆の行事

注意 音声が出ます。

 お盆は、亡くなられた人々に感謝をし、供養するための年中行事です(期間は地域により異なり、主に8月13日から16日、または7月13日から16日)。この期間、先祖を家に招き、供養をします。日本の各地域でさまざまなお盆の行事が、伝統として行われています。リンク先は、NHKアーカイブ「各地に伝統あり 日本のお盆の風景」として、2016年8月10日に制作されたサイトで、いくつかの地域の行事が描かれています(2023.9.20にアクセス)。

・感謝によりもたらされるものを強調する傾向  

 第3は、恩恵を受けたことに対する応えとしての感謝とともに、感謝がもたらすものを強調する傾向があることです。葉室(2000)は、神道の立場から感謝の意義について、次のような逆説的な表現をしています。 

 「幸福が与えられたから感謝するのではなく、感謝するからこそ幸福が与えられるのです」(葉室、2000、p.19)。 

 感謝の心をもって神を拝むとき、神と相通じることが可能になり、神の恩恵を受けることになるといいます。葉室によると、感謝は、恩恵を与えてくれた人に対する補償的な行為として、相互のやり取りを完結させるものではありません。感謝は、他者からの恩恵に対してもつべき感情や行動である以上に、力をもつものなのです。端的に言えば、「ありがとう」という言葉を心から発するときに心は力をもつのです。 

・儀式における感謝の表明  

 4つ目は、神や自然に対する感謝は、多くの場合、祭などの慣習的な儀式のなかで表明されることです。例えば、秋にはその年の五穀の収穫を神に感謝をするために、伊勢神宮では神嘗祭が行われます。また、宮中や全国の神社では新嘗祭が行われます。

 先に述べたように、神道には教典に該当するものがありません。神道は、他の宗教と同様に多くの儀式を含んでいますが、儀式を通じてある種の「教え」が人々に伝えられてきたと考えられます。

 それでは、祭事は、人々の心にどのような影響を与えているのでしょうか。また人々の自然に対する感じ方や行動にどのような影響を与えているのでしょうか。今後、明らかになることを期待します。 

 

参考 勢神宮における神嘗祭

    注意 音声が出ます。

 先に述べたように、神道における自然への感謝を示す儀式として、神嘗祭(かんなめさい)があります。リンク先は、伊勢神宮作成による伊勢神宮で行われる神嘗祭の動画です(2021.1.11にアクセス)。

日本の仏教における感謝―恩の思想

 仏教は、インドを発祥の地として、6世紀に日本に伝わったといわれています。以降、仏教は、日本の社会において変化をしつつ、長期にわたって日本人の心に大きな影響を与えてきました。

 仏教学では、「感謝」よりも「恩」という概念に焦点が当てられてきたようです注1。 以下に、仏教における「恩」という概念について、その特徴を探ってみたいと思います。   

・知恩と報恩の区別―恩の分析

   仏教では、恩をめぐってさまざまな概念が展開されましたが、そのなかに、「知恩」と「報恩」があります。日常、この二つを分けて考えることは少ないと思いますが、恩の二つの位相を考えることによって、新たな面に光が当てられるのではないかと思います。

「知恩」

   恩の側面の一つは、恩を知るという側面です。恩を知ることは、仏教の根幹となる教えと密接な関係をもっています。仏教の基本的な原理として縁起説があります(例えば、水野、1972)。それは、世界のあらゆるものが相互依存の関係のなかで成り立っているという考えであり、人々はこの真実に目覚めなければならないとされます。この考えが、「他による恩を知ること」を含むのは自明と思われます。

「報恩」   

    受けた恩恵に対して報いるという意味での報恩は、日本では「鶴の恩返し」などの説話のテーマとしてよく知られています。しかし、仏教学者の壬生(1975)によれば、インド初期仏教の考えが収められている原始経典には、「恩を知る」という意味の知恩に該当する語は見うけられるものの、報恩に該当する語を見出すのは難しいといいます。恩に報いるという概念は、その後成立した大乗仏教において強調されるようになり、さらに、大乗仏教の伝わった中国において、当時の社会規範、つまり皇帝-従者の関係規範や家族内の関係規範が結びつくことによって、確かな概念になったと考えられます(壬生、1975: 中村、1979)。

・布施行の一つとしての報恩

 報恩という概念は日本に伝わり、現在に至っています。しかし、報恩という概念には、次のような課題が含まれています。  

 「報恩」または「恩返し」という言葉からは、受けた恩に対する 同等かそれ以上のお返しを思い浮かべることでしょう。しかし、このような意味での恩返しを日常生活のなかで徹底するのは難しいのではないでしょうか。なぜなら、私たちの生活には、多くの人々、他の生物、無生物が関わっているはずです。そして、そのなかに恩を受けた多くの人々や事柄が含まれています。さらに、恩人の恩人、そのまた恩人のように間接的に受けている恩を含めれば、その範囲は膨大なものとなるはずです。もし、すべての恩に報いなければならないのだとしたら、私たちは、際限のない恩返しにあけくれることになるでしょう。したがって、報恩が、受けた恩すべてに対して恩返しをしなければならないという意味であれば、それは非現実的のように思われます。

  この疑問に対して、仏教学者のひろ (1987)は、次のように答えています。

  まず、釈迦の教えでは、恩を知るという意味での知恩の意義が説かれているのだといいます。その上で、人々に求められているのは、布施行(修行)としての報恩であるといいます。布施行は、一言でいえば、見返りを求めずに他者に対して恩恵を与える行為です。悟りに近づくための行の一つとして、恩返しは位置づけられます。

  確かに、報恩を修行の一つとしてとらえることは、それが、ある程度、自分自身の判断に委ねられる行為とされることで、少しばかり気を楽にさせるかもしれません。しかし、すべての問題が解決された訳ではありません。布施行を行うにあたって、これまで受けた恩義のなかでどれが重要なのかという問いは、依然として残されると思います。実際、仏教の歴史のなかで、重要な恩は何かが問われ、四恩説などの説が唱えられました。

   いずれにせよ、恩を知った後で、私たちは何をすべきなのか、あるいは何をしているのかという問いは、感謝について探求するときの重要な視点です。

 

・感謝のレベル

  仏教では、個人における恩の意識や感謝心は、どのように成長していくと考えられているのでしょうか。ここでは、町田(2009)による解説を紹介します。

 町田(2009)は、感謝の水準について述べています。最初の水準の感謝は、儀礼としての感謝であって、相手から受けた恩恵に対してありがたいという感情をもつことです。それを超える高度な感謝は、どのような相手、例えば敵に対しても感謝をすること、さらには「生きていること自体」への感謝であるといいます。そして、最終的には、災難に対してさえも感謝することができるという境地をあげています。

    このように、悟りに近づくにしたがって、感謝の境地も変わっていきます。悟りの境地に近づくにつれ、世界の見方が変わり(縁起の世界を知り)、個々の恩ではなく、より広く関係づけられた世界における恩を認識します。それとともに、感謝の対象や感謝の姿は変わっていきます。恩恵を与えてくれた人―それ以外の人という区別もなくなり、感謝の対象は、あらゆる事柄に向けられます。   

  注意 音声が出ます。

 参考 仏教の曹洞宗の開祖道元による『修証義』(2022/3/27アクセス)

  曹洞宗東海管区教化センターによる『修証義』第五章行持報恩のお経です。音声でお経も味わえます。仏陀が私たちに真理を伝えたことに感謝をすべきであり、その恩に応えるべきである。そして、その恩に応えるために、私たちは、日々修行に努めなければならないと説きます

補足---儒教における恩

   日本の文化に影響を与えた宗教思想は、神道と仏教に限ることはできません。なかでも、儒教は日本の社会や文化に大きな影響を与えてきました。道端(1979)によると、仏教の経典に恩という言葉を見いだすのが容易であるのに対して、儒教の代表的な古典の一つである『礼記』では「恩」の文字の出現頻度は少ないといいます。

 しかし、『礼記』には「恩は仁なり」という言葉が述べられています。仁は、儒教の中心的な概念であり、人と人の親愛の情です。道端(1979)によると、仁は親子の感情=孝から始まりますが、孝は恩なくしては考えられません。このような意味で、恩は仁に結びつくのだと解釈されています。つまるところ、恩は、儒教においてもその重要性はかわらないと考えられます。

感謝についてこれから考えるために  

 このセクションでは、日本における主要な宗教として、神道と仏教をとりあげ、それぞれにおける感謝の位置を探究しました。その結果、これから感謝について考察を進めるに当たって、少なくとも次のような示唆を得ました。 

謝の対象の広がり

 感謝の対象は人に限りません。人は、人間に限らず、神、先祖、自然など、様々な「もの」や「こと」に対して、感謝を感じてきました。

感謝の機能の二面性

 感謝は、人間としてもつべき心や為すべき行為であるとともに、幸福をもたらすものでもあります(神道)。つまり、感謝は、規範的な面と功利的な面との二面を併せもちます。

「知恩」と「報恩」との間

   仏教における知恩と報恩の区別は、この二つの概念の間に重要な要素が介在することを示しています。感謝は、「恩を知り―同等のお返しをする」という自動的-機械的な行為ではありません。恩を知った後に、どのような心が生まれ、どのような行為がなされるのかは、重要な問いです。

成長とともに変わる感謝

 仏教では、恩の意識は、縁起の世界の理解の深まりとともに変わるものとされます。感謝は、人間の心の成長とともに、その姿を変えていきます。つまり、感謝には、発達あるいは変容という重要な面があります。

 

 文献

  • 松尾剛次 (2011). 『葬式仏教の誕生-中世の仏教革命』 平凡社.

  • 葉室頼昭 (2000). 『神道 感謝のこころ』. 春秋社.  

  • ひろさちや (1987). 『親と子のお経 父母恩重経』.講談社.   

  • 町田宗鳳 (2009).  『法然を語る 上』. NHK 出版. 

  • 道端良秀 (1979). 儒教倫理と恩. 仏教思想研究会編 『仏教思想4恩』.平楽寺書店,131-148.

  • 壬生台舜 (1975). 仏教における恩の語義. 壬生台舜編『仏教の倫理思想とその展開』. 大蔵出版, 305-350.    

  • 水野弘元 (1972) .『仏教要語の基礎知識』, 春秋社. 

  • Naito, T., Washizu, N. (2021). Gratitude to family and ancestors as the source for wellbeing in Japanese. Academia Letters, Article 2436.  https://doi.org/10.20935/AL2436 https://doi.org/10.20935/AL2436

  • 中村元 (1979). 恩の思想. 仏教思想研究会編, 『仏教思想4恩』. 平楽寺書店,  1-55.

  • 柳田国男 (1975). 『先祖の話』, 筑摩書房.

 

セクション本文終わり

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注1 

 恩と感謝は、他者から恩恵を受けたときに生じる観念や感情である点では共通するものの、それぞれが意味するものは異なっています。恩は「君主・親などの、めぐみ。いつくしみ」を指すとされます(『広辞苑第六版』岩波書店より)。また、「恩を知る」「恩を忘れない」という言葉があることを考えれば、「恩」は、与えてくれた恩恵そのものやその行為を指して用いられるといってよいでしょう。それに対して、「感謝」は、恩恵を与えてくれた相手に対する感情や、その感情を表す行為を指しています。したがって、「恩」=「感謝」という訳ではありません。このように考えると、仏教では、感謝の前提として恩の認識が説かれているともいえるかもしれません。

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神社のおみくじに述べられている神-自然への感謝
神社のおみくじに述べられている神-自然への感謝

​神社でひいたみくじの文​の一部。「カミ(自然)に感謝」とあります(2010.12.29、大神神社)​。

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