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感謝の問題点
―感謝の落とし穴
(内藤俊史・鷲巣奈保子,2020.8.4 最終更新日,2023.4.12)
感謝にも落とし穴があります。それらを克服することによって、感謝の心は、成長していきます。
はじめに
「感謝」や「感謝の心」という言葉は、私たちにとって美しく響く言葉であり、また大切な徳の一つでもあります。また、感謝の気持ちをもちやすい人は、 well-beingの程度が高い等、感謝のもつプラスの面が、心理学の多くの研究によって明らかにされています。
そのような感謝の心にも、負の側面はないのでしょうか。また、感謝の気持ちをもつ過程で陥りやすい「落とし穴」はないのでしょうか。
実際、感謝のもつ負の側面を指摘している論文も少なくありません(Layous, & Lyubomirsky, 2014; Morgan, Gulliford, & Carr, 2015; Wood, Emmons, Algoe, Froh, Lambert, & Watkins, 2016)。ここでは、それらの論文で指摘されていることを参考にしつつ、あらためて、感謝の気持ちをもつことの問題点や落とし穴を考えてみましょう。
公正性との葛藤を見逃すこと(恩人vs他の人々、恩人vs自分)
感謝の気持ちをもつと、対象となっている人(もの)のために何かをしたいと思うことは自然なことでもあります。そのようなとき、徳の一つとされる「感謝」は、同じく徳の一つとされる「公正性」と衝突することがあります。つまり、特定の人や集団に対して感謝の気持ちから恩返しをすることが、他の人々に対して不公平になってしまう場合です。
感謝の落とし穴の一つは、感謝の大切さに心をとらわれた結果、公正性のような別の道徳的原則がその状況に関わっていることを見逃してしまうことです。
感謝と公正性との葛藤は、「恩義をとるか、それとも公正さをとるか」といった形で、話題になることがあります注1。
この問題には、感謝のもつ特徴が関わっています。「すべての人への感謝」という言葉もない訳ではありませんが、感謝は、多くの場合、恩恵を与えてくれた特定の個人や集団に対するものです。したがって、「恩恵を与えてくれた人(集団)」と「それ以外の人々」とが区別され、その上で、「恩恵を与えてくれた人(集団)」との関係が感謝によって深められることになります。このような特定の個人や集団との関係の深まりは、公正性との葛藤を生み出す素地を提供することになります。
感謝のもつ落とし穴は、感謝にもとづく行動が、公正性を初めとする道徳的価値と葛藤することを、見逃すことにあります。
また、他の人々の間の公正性ではなく、自分と恩恵を与えてくれた人との間の公正性の問題も考えられます。例えば、感謝にもとづいて恩返しをしようというときに、恩人から、「命の恩人」「育てた恩」などの名目で、際限のない恩返しが求められることもないとは言えません。恩人に対する感謝と敬意を保ったままで、公正性を初めとする様々な価値を考慮した、適切な恩返しが求められます。
しかし、一言つけ加えさせていただれば、このような葛藤に気づくことは、より精錬され、成熟した感謝の心へ、発達、進化するための契機になると考えられます。問題は、公正性などの原則との葛藤に気づかないことです。
自尊感情との関わりを見過ごすこと
適度な自尊感情(自尊心)は、積極的な活動を生み、生活を豊かなものにします。感謝 の2つ目の落とし穴は、感謝が、場合によって自らの自尊心を低めてしまうことです。
感謝の気持ちをもつためには、自分の幸福の原因を認識することが必要です。その際、感謝の大切さが過度に強調されたため、他者による貢献を過大に評価し、自分自身の貢献や力を過小評価してしまうことがあります。そして、自尊心を不当に低めてしまうことが考えられます。他者への考慮が強く期待され、求められる社会において、陥りがちな事態といえそうです。
ただし、このような危険を避けることができれば、むしろ、感謝は自尊心を高めると考えられます。感謝の過程で、人は、他の人々や社会が、自分を支えてくれていることを認識するはずです。自分を支えようとする人々の存在を認識することは、自尊心を高めます。事実、いくつかの研究は、感謝傾向と自尊心との間に正の相関があることを見出しています(例えば、Rash,et al. 2011; Lin 2015)。
しかし、援助をしてくれた相手が自分(私)を価値ある存在として認めてはいないと思ったとき、援助は、自尊心の脅威へとつながります。援助によってこのときに生じた感情は、真の感謝とは言えそうもありません。
感謝と自尊心との関係は単純ではありません。感謝は、自尊心を高めると考えられますが、他方で、感謝は自尊心によって規定されます。自尊心の側からみると、自尊心は、さまざまな形で感謝に関わります。例えば、過剰な自尊心は、自分の幸福への他者の貢献を低く見積もらせ、感謝の気持ちの妨げになると考えられます。また、自尊心が原因で、「助けられること」を拒み、感謝の生じる事態を拒否することも考えられます。
自尊心も感謝心もともに重要な心に違いありません。特に、支援や援助のためには、自尊心と感謝との適切な関係を築く必要があります。
同時に感じる負債感やすまないという感情を見逃すこと
最近の心理学では、感謝のポジティブな感情に焦点が当てられています。しかし、感謝の気持ちが生まれるとき、ポジティブな感情とともに、「負債感」や「すまないという気持ち」が同時に生じることがあります。3つ目の落とし穴は、感謝を感じる場面におけるこれらの感情を無視してしまうことです。それらの「ネガティブな」感情は、一方で、マイナスの面をもつとともに、私たちの生活を豊かにする可能性ももつ大切な感情です。
詳しくは、このホームページの「すまないという心の力」のページをみてください(→「すまないという心の力」のページへ移動)。
「虐待的な関係」における不合理な感謝を見誤ること
4つめの問題は、ある種の関係の下で、不合理な感謝の気持ちが生じることがあり、それをそのまま受け入れてしまうことです。Woodら( 2016)は、感謝のもつ負の側面について考察していますが、その論文で指摘されている負の側面の一つは、「虐待的関係」における感謝というものです。彼らのいう「虐待的関係abusive relationships」は、例えば、独裁政治下における独裁者と国民のような社会的関係を例とするものです。そのような社会において、人々が独裁者に感謝を感じることがありますが、それは、さらに強者への不合理な従順を促し、批判的な思考を妨げる傾向があり、感謝の負の側面であるとされています。
独裁者の行動が、過度の強調や誤った推論にもとづいて、美化されることがあります。それとともに、独裁者への感謝や恩が強調されることも考えられます。それらの現象がどのような条件のもとで生じるのか、もし生じるとすればどのような対応が可能かについては、今後の課題です。
他の文化における異なる感謝のあり方に気づかないこと
私たちは、自分の文化における感謝のあり方にもとづいて、他の文化の人々の行いを解釈することがあります。5つめの問題は、その結果、他の文化の人々に対して、「恩を知らない」などの道徳的な評価を誤って下してしまうことです。
自分たちの文化の常識に則った方法で感謝を表さないことが、必ずしも感謝の気持ちをもっていないとか、他者(恩人)を尊重していないことを意味する訳ではありません。
まとめ
感謝は多くのプラスの面をもちます。しかし、考慮すべき点もあります。また、このセクションでは、感謝の気持ちをもつときの落とし穴をとりあげましたが、感謝をされたときにも、落とし穴はありそうです。感謝をされることは、心理学における行動主義の言葉では、社会的強化を受けたことになります。例えば、援助をしたときに、相手から感謝をされると、感謝をされた人の援助行動は増加します。しかし、援助の行為が、元来の目的を離れ、感謝されること自体を主目的とするようになったときに、感謝の強要や、感謝の有無による援助の不公正に向かう可能性が生まれます。
自己から離れて「他」に心を向けたときに、感謝への道が開かれます。しかし、より成熟した感謝の心をもつためには、自他を含めてさらに広い視点から、感謝を省みる必要があります。
セクション本文終わり
文献
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Layous, K., & Lyubomirsky, S. (2014). Benefits, mechanisms, and new directions for teaching gratitude to children. School Psychology Review, 43(2), 153-159.
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Morgan, B., Gulliford, L., & Carr, D. (2015). Educating gratitude: Some conceptual and moral misgivings. Journal of Moral Education, 44(1), 97-111.
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Wood, A. M., Emmons, R. A., Algoe, S. B., Froh, J. J., Lambert, N. M., & Watkins, P. (2016). A dark side of gratitude? Distinguishing between beneficial gratitude and its harmful impostors for the positive clinical psychology of gratitude and well-being. The Wiley handbook of positive clinical psychology, 137-151.
注1
いつの時代でも、公正性と報恩との葛藤は見られるようです。民俗学者の柳田国男は、1958年の神戸新聞のコラムで、代議士となった加藤恒忠が、東京に帰る際に、見送りにきた地元の中心人物を呼び「僕はとくに松山のために働くことはしないからね」といって帰京したことを伝聞としてあげています。そして、「今でもこんな代議士が一人や二人あってもよいはずだ」(柳田、1964、455頁)と微妙な表現ではあるが支持をしています。読売新聞におけるコラム(読売新聞2009年11月28日)では、柳田による文の一部を引用しつつ、「忘恩」という言葉を用いて、今日の国会議員が選挙等の際の地元の恩にいかに対応するかを考えなければならないことを示唆しています。
文献
柳田国男(1964).「故郷70年」.『定本柳田国男集 別巻3』、筑摩書房 1-421.
(内藤俊史(2012). 修養と道徳――感謝心の修養と道徳教育.『人間形成と修養に関する総合的研究 野間教育研究所紀要』、51集、529-577.540-541より).