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夕日に映える富士

心理的負債感とすまないという心の力- 感謝にともなうネガティブ感情 

(内藤俊史・鷲巣奈保子 2020.8.4   終更新日 2024.8.4)

 セクション「感謝の力」では、感謝が、well-being (心・身体・社会性における健康)を促す理由について述べました。一方、感謝は、「すまない」という感情や心理的負債感という、必ずしも快くはない感情をともなうことがあります。それらの感情 は、well-beingを高めるのでしょうか。もし、高めるとしたら、どのようにして高めるのでしょうか。このセクションでは、それらの感情を「ネガティブ感情」と呼び、その働きに光を当てます。 

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感謝とすまないという心の力

図 1   感謝の経験におけるれぞれの感情の影響についての仮説 (​鷲巣・内藤・原田(2016)の結果等にもとづく)

​*positive reframing: 苦境において、状況の解釈(見方)を変えて、ネガティブな感情を低減したり、ポジティブな感情に至ること。

​ネガティブ感情の意義

   他の人から恩恵を受けたとき、「すみません」「悪いね」などの言葉が用いられることがあります。このことからも示唆されるように、他者から恩恵を受けたとき、快い感情つまりポジティブ感情だけではなく、心地のよくない感情を感じることがあります。このサイトでは、そのような感情を「ネガティブ感情」と呼び、このページでは、それらの感情に焦点を当てます。なお、害があるという意味で「ネガティブ」という言葉を用いている訳ではありません。

 感謝とともに感じられるネガティブ感情には、「負債感(心理的負債感)」「すまないという感情」「自尊心への脅威」などがあります注1これらのネガティブ感情、特に負債感については、それが抑うつ的な感情をともない、対人的な関係を阻害するために、well-being(精神的-身体的健康や幸福感)にとっての阻害要因とされます(McCullough, Kilpatrick, Emmons, & Larson, 2001)。 

 単純に考えれば、ポジティブ感情が増加し、ネガティブ感情が減少することは望ましいようにもみえます。しかし、 ネガティブ感情の経験が後のポジティブ感情や幸福感のために役立つという考えや、ネガティブ感情の経験があってこそより豊かな幸福感が得られるという考えは、私たちにとって自然な考えのようにも思えます。

 事実、ネガティブ感情のもつ積極的、肯定的な働きは、これまでに、様々な分野で語られてきました。

 古くは、仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタは、生老病死という苦に向き合うことを契機として、地位を捨て悟りへの旅を始めたといわれます。また現代においても何人かの思想家や研究者が、ネガティブ感情である悲しみを直視することの意義を論じています(竹内、2009; 山折、2002; 柳田、2005)。

 柳田(2005)は、次のように述べています。

「悲しみの感情や涙は、実は心を耕し、他者への理解を深め、すがすがしく明日を生きるエネルギー源となるものなのだと、私は様々な出会いのなかで感じる」(柳田邦男 2005、p.143)。 

 また、内観療法の創始者の吉本伊信は、半世紀前に以下のように述べています(忠義、孝行の言葉は当時の時代を反映)。

「反省すれば必ず慚愧が伴ひ、懺悔の後には必ず感謝報恩の念が湧き出て來ます。懺悔の伴はない感謝では眞實の報恩になりません。自からの不忠に氣づき、不孝を知る深さだけ眞の忠孝が行へるのであり、せめてはとの思ひのみが眞實の忠義も孝行も湧き出るものと信じます。」(吉本、1946)。

  これらのことから、「ネガティブ感情」には、ネガティブな面とともに、ポジティブな面をもつことがうかがえます。

ネガティブ感情がwell-bingを高める理由1-他者との交流の維持と拡大

 それでは、他者からの恩恵を知ったときのネガティブ感情は、どのようにして、自分自身のwell-beingや他者の幸福を高めようとする行動に結びつくのでしょうか。

 一つ目の説明は、ポジティブな感謝感情と同様に、社会的関係を維持し拡大する効果が、ネガティブ感情の一部に存在するというものです。つまり、ネガティブ感情の一つである「恩の意識」が社会的関係を維持し拡大する働きをもつという説明です。

​ 恩恵を受けた後に負債感やすまないという感情をもつことがあると思います。それらの感情には、恩の意識(恩ができたという意識)が含まれています。恩の意識は、当然、相手への恩返しの行動を引き起こします。さらに、より広い範囲の社会的観点が加われば、広範囲の人々への恩返しへと発展します。そして最終的には、人々をより高いwell-beingへ導く可能性をもちます。

 しかし、他方で、他者からの恩恵がもたらす負債感に耐えられずに、他との関係を閉ざしていくことも考えられます。そのような負債感のもつ負の側面は、これまで、主に西欧の心理学者によって指摘されてきました。

 従って、すまないという感情や負債感というネガティブ感情は、それぞれ双方向的な要素をもっていると考えられます。

 具体的な状況で、ネガティブ感情が、他者との関係を閉ざすように働くのか、それとも、他者との交流を維持し、拡大するように働くのかは、難しい問題です。考えられる一つの要因は、報恩意識がもたらす心理的負担に対して、どのようなサポートが家庭や社会のなかに用意されているかです。

 ​

ネガティブ感情がwell-bingを高める理由2 ―高次の感謝への転化

 もう一つの過程は、ネガティブ感情が高次の感謝感情に転化(変化)し、そして、転化した感謝感情がwell-beingを高めるという過程です。

 この過程は内観療法が示唆する次のような心理的過程です(内観療法については注2)―1.まず、他者から恩恵を受けたときに、その人に対してすまないという感情や心理的負債感が生まれる。2.次に、そのような自分であるにもかかわらず、その人が自分に恩恵を与えてくれたことに気づく。3.その人に対して、敬意を含むポジティブな感謝感情をもつようになる。

 自分が他者に迷惑をかけたという認識は、通常、快くない感情を伴うでしょう。しかし、他の人々がそのような自分でさえも支えてくれたという認識は、ポジティブな感謝の感情を生み出します。この場合のポジティブな感謝感情は、迷惑をかけたことから生じる心理的負債感や、すまないという負の感情の上に成り立っています。 

 図1 は、感謝、負債感、すまないという感情の仮説的な見取り図です。この図では、次のような過程が想定されています。

  1. ポジティブな感謝感情とネガティブ感情が同時的に生じる。

  2. ポジティブな感謝感情は、関係の拡張などの力をもつ。

  3. ネガティブな感情の一部(「心理的負担」)は、関係からの逃避を促し、別の部分(応報義務感、恩返しの心)は関係維持として働く。

  4.  ​他方で、ネガティブな感情は、​「前向きの再解釈」(positive reframing)などの過程を経た場合に、ポジティブな感謝に変化をし、関係の拡張や充実を促す。

 最後に、残された問題について述べます。それは、ネガティブ感情を経験した後の感謝や幸福感は、ネガティブ感情の経験のない場合と、どのような違いがあるのかという問題です。おそらく、一般的な結論は出しにくいと思われます。ネガティブ感情にともなって、どのような認識の変化が生まれるか、そして環境がどのようなサポートをするかによって、ネガティブ感情の効果は異なると考えられるからです。​

 

文献 

  • Greenberg, M. S. (1980). A theory of indebtedness. In K. J. Gergen, M. S. Greenberg, & R. H. Willis (Eds.), Social exchange: Advances in theory and research. (pp.3-26). New York: Plenum Press.

  • McCullough, M. E., Kilpatrick, S.,Emmons, R.A., & Larson, D. (2001). Is gratitude a moral affect? Psychological Bulletin, 127,249–266.

  • 見田宗介(1984 ). 新版現代日本の精神構造. 弘文堂.

  • 竹内整一(2009).悲しみの哲学. NHK出版局.

  • 山折哲雄 (2002). 悲しみの精神史. PHP.

  • 柳田邦男 (2005). 言葉の力、生きる力.新潮文庫.

  • 吉本伊信 (1946).反省(内観). 信仰相談所 1946.7.12downloaded 2011.8.29 http://www.naikan.jp/B4-2.html

  • 鷲巣奈保子・内藤俊史・原田真有(2016). 感謝、心理的負債感が対人的志向性および心理的well-beingに与える影響.感情心理学研究、24、1-11.  

  • Washizu, N., & Naito, T. (2015). The emotions sumanai, gratitude, and indebtedness, and their relations to interpersonal orientation and psychological well-being among Japanese university students. International Perspectives in Psychology: Research, Practice, Consultation. 4(3), 209-222. 

  • 鷲巣奈保子 (2019). 感謝,心理的負債感,「すまない」感情が心理的well-beingに与える影響とそのメカニズムの検討. お茶の水女子大学博士論文. 

  • 鷲巣奈保子・内藤俊史 (2021). 感謝と負債感が対人関係に与える影響-援助者に対する認知と動機づけに注目して-.お茶の水女子大学人間文化創成科学論叢、23、151-159.

セクション本文終わり

​注1

なお、「負債感」と「すまない」という感情は、次のような意味でこのサイトでは用いています。

  • 負債感: 他者にお返しをする義務がある状態で生じる、返報の義務の感情 (Greenberg, 1980). このHPでは「心理的負債感」という語も用いますが、特に断らない限り両者を区別をしていません。また、このサイトでは、心理的負債感などを、快くないという意味で、「ネガティブ感情」と呼びます。それは、必ずしも害があるということを意味しません。

  • ​すまないという感情: 相手に迷惑を与えたことに対して感じるネガティブな感情。相手のもつ期待にそぐわなかったことに対する感情等が含まれます。

  • ​​文献

Greenberg, M. S. (1980). A theory of indebtedness. In K. J. Gergen, M. S. Greenberg, & R. H. Willis (Eds.), Social exchange: Advances in theory and  research. (pp.3-26). New York: Plenum Press.  

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注2 内観療法の簡単な説明(内藤, 2012, pp.548-550より、一部略)

 内観療法は、吉本伊信によって確立された心理療法である。社会的な不適応に対する心理療法として、あるいは矯正施設の一部において適用されてきたが、最近では学校教育に適用する試みもみられる。 

 a  内観療法の手続き

 初めに、その基本的な方法を紹介する。

  • 一般に、狭い場所(部屋のすみを屏風で囲う等)で、他者と隔離された形で行われる。

  • そして、1日15時間、7日前後続けられる。

  • この時間に、たとえば、自分と関連の深い人物一人に対して、ある特定の期間に「していただいたこと」を想起する。

  • 同じく、「して返したこと」を想起する。

  • 同じく、「迷惑をかけたこと」を想起する。

  これらは、想起の対象とする人物、期間をかえて繰り返される。一般には、初めに母親が対象とされる。そして、父親、兄弟・姉妹等へとかえられる。このような過程で期待されていることは、過去にそれぞれの人々に「して返したこと」に対して、「していただいたこと」「迷惑をかけたこと」の大きさに気づくことであり、その結果として、自分が他者との関係のなかで生きてきたこと、他者からの大きな恩恵によって自分が生きてきたことを認識し感じとることである。

 多くの場合、このような過程によって、来談者(クライアント)は大きな負債感またはすまないという感覚をもつ。

 

b「すまない」という感情から感謝へ

 しかし、「すまない」という感情は否定的な感情である。少なくとも、当人にとっては苦痛な感情である。また、場合によっては、自己破壊的な行動を導くこともあり得る。積極的な行動のためには、すまないという否定的な感情から、積極的な感情いわば前向きな感情への変換が必要である。内観療法において注目すべき面の一つは、否定的な感情に終らずに、肯定的な感情への転換が期待されている点であろう。この点に関する吉本(1983)による事例、失意の感情から感謝への移行の事例を以下に示す。

  

 地方検察庁検事の例

「過去三十八年間、私はまるで嘘と盗みの海の中で暮らしてきたようなものです。(略) このように、嘘と盗みについて調べを続けた私は失意のどん底に突き落とされてしまったのですが、しかし、そこにまた道は開けていたのです。自然は、また私の周囲の人達は、よくぞこのような私を今日まで暖かく生かし育てて下さったものだという心境に至り、失意の底から感謝の光明を仰ぎ見ることができるようになったのです。」(吉本伊信『内観への招待』 朱鷺書房 1983年 208-209頁)。

 クライアントである地方検察庁検事は、過去の自分についての反省、つまり内観の初期の段階で、自分の過去の行動について深い罪悪感をもつに至っている。 しかし、自然や周囲の人々がそのような自分でさえも暖かく育ててくれたことに気づき、積極的な「感謝」を感じるようになったことを報告している。この変化は、否定的な感情から肯定的な感情への転化と言えよう。

 このように、内観療法においては、過去や現在への反省の結果単に他の人々に対する罪悪感や「すまない」という感情を喚起させることで終らずに、肯定的な感情への転換を更なる目的としていることは、注目に値する。

内藤俊史(2012). 修養と道徳――感謝心の修養と道徳教育.『野間教育研究所紀要』、51集(人間形成と修養に関する総合的研究)、529-577.  

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