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​感謝の判断の構造 
 (内藤俊史、2020.8.4   最終更新日 2023.4.16)
 

 感謝は、広く、心と行動を含みます。感謝の心に限ったとしても、 感情と認知が含まれます。このセクションでは、感謝の心に含まれる認知的な働き、つまり感謝をするかどうかを判断する過程、そしてその背景にある感謝の知の構造に光を当てます

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感謝の判断―感謝に至るまでの判断  

 感謝の心には、感謝をするかどうか、そして、もし感謝をするならどの程度の感謝をするかという認知的な過程、つまり感謝の判断過程が含まれます。感謝の判断過程には、メモを取りながら考えるような「じっくりと考える過程」だけではなく、「直感」によるような過程も含みます。それらの過程、次のような過程から成っていると考えられます(1)

  1. 自分の利益や幸福に気づく。

  2. 自分の利益や幸福に、「他」(自分以外の何か)が貢献していることを知る。

  3. 後に説明する「感謝の文法」に照らして、感謝に値するか、どの程度の感謝をするべきかを判断する。

 

 3で「感謝の文法」と呼ぶのは、感謝をするかどうかを判断するための、心の中にある規程集のようなものです。また、「文法」という言葉は、通常は意識化されることなく働いているという意味で、比喩的に用いています。 

 「感謝の文法」は、社会である程度共有されていると考えられます。しかし、年代、集団、文化による相違も考えられます。 

 

​感謝の構造(感謝の文法)

 ​文化差や年齢差は別のページ、感謝と文化」​生涯における感謝の発達で扱い、ここでは、日本の社会において一般的なが他の人から受けた恩恵に対して感謝をする場合を想定して、謝の文法の一例を示ます。                                     

 かし、感謝について全ての人が共有できる定義をすることが難しいのと同様に、普遍的な感謝の文法を示すことは容易なことではありません。ここでは一つの例を示します。この例は、これまで哲学者や心理学者によって提案された感謝の定義を参考にしています (Kant、1797/1969);  McCullough他、2001; 内藤、2012: Roberts、2004: Smith、1759/2003)。詳しい説明は、次の文書(PDF)を参照してください(PDF文書)。 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

感謝の文法(感謝の構造)

「私は、私の利益や幸福について、Xさんに感謝をしている」という場合に適用される条件または規則です。日本における大人を想定しています。​​

  ********************

a. 私の利益や幸福の原因の少なくとも一部は、Xさんによるものであること。

b.  私が受けた恩恵が大きいほど一層大きな感謝をすること。

  だし、動機論的な考えをもつ場合は、結果としての恩恵よりもXさんの動機が考慮対象になります

c.  Xさんが費やした負担が大きいほど一層大きな感謝をすること

  b.とc.を合わせると、私が感じるXさんの行為の「貴重さ」(有り難さ)と一部重なると考えられます。

d.  Xさんは、望ましいあるいは容認できる行為によって私に恩恵を与えたこと。

  Xさんの行為が容認できるようなものでなかったとき、少なくとも公然と感謝をすることは難しいしょう

e.  私は、結果としてポジティブな感情をもつこと

 ここでいうポジティブな感情には、私が獲得した利益による喜び、Xさんとの絆が強くなったことや絆が確認できたことの喜び、Xさんに対する敬意、Xさんに対する尊敬・畏怖があります。感じる感情によって、感謝をさらに分類することが可能です。

    ***************************

 これらの条件ではもの足りないと感じる人も多いと思います。少し厳密な「文法」には以下が含まれることでしょう。

 f.  Xさんは、私の利益や幸福を目的とした自発的な行いによって、私に恩恵を与えたこと。

 aでは、利益や幸福の原因が「Xさんによるもの」というあいまいな表現になっていて、Xさんが何らかの形で影響を与えていればよいということになっています。しかし、f は、「私の利益や幸福を目的とした自発的な行いによって」という点で、より限定的です。その結果、Xさんの行為が、他の人の命令に従った場合は除かれます。また、道徳的な義務、法的な義務、その他の規則や慣習に従うことが動機となって行われた場合や、相手を助けるという目的が意識されることなく行われた場合なども、感謝の適用外になる可能性があります。 

 なお、現実の場面では、いつもこのような項目を確認する手順をふむとは限りません。歩いているとき、落としたものを拾ってくれた人に「ありがとう」と感じるのにさほど時間はかからないと思います。過去の同様の場面における判断の記憶を利用する等、手順は自動化、省略化されることがあるためです。

 

 以下は、これまでの応用問題です。

 

感謝の気持ちを適切にもてる人-感謝の構造から

 感謝の文法に従うためには、幸福の原因を認識する能力を初めとして様々な知的能力が必要です。言いかえれば、感謝の気持ちを適切にもつ人は、それらの能力をもち、その能力を適切に活用する人と言えます

 以下に、感謝の気持ちをもつことができる人の特徴をあげます。

利益や幸福の認識  

  • 自分の受けた利益や幸福に気づく受性をもつこと。あるいは、出来事や事態を、利益や幸福として解釈する傾向があること。

利益や幸福の原因に関わる認識

  • 自分の利益や幸福の原因を探るために、他との関係を含む認識の枠組みをもつこと

  • 自分の利益や幸福の原因を探求し、その事実を受け入れること(自分の利益や幸福を当たり前(当然のもの)とし、それらの原因を問うことを停止してしまうことがないこと)。

  • 恩恵を与えてくれた人々の意図を理解し、払われたコストを正確に認識すること。 

 

相手に感謝の負担をかけない方法-感謝の文法から 

  社会で共有されている感謝の構造(文法)は、いろいろな場面で確認することができます。

 その一つは、恩恵を与えた人が、相手に心理的な負担をかけまいとして投げかける「私は、たいしたことはしていません」などの言葉です。それらの言葉のもとを辿ってみると、感謝の文法に含まれる感謝の原因に関わる規則を確認できます。

 特に調査をした訳ではありませんが、それらの言葉をいくつかあげてみます 

  • 「簡単なことですから」(c.コストの低さ)。

  • 「それは私の仕事ですから」(f.自発的な行為ではないこと)。

  • 「(贈り物をするときに)つまらないものですが」(b.利益の少なさ)。

  • ​「いつも助けてもらっていますから、そのお返しです」(f.自発的な援助というよりは公正性の義務から)。

  • 「見ていられなくてしただけですから」(f.意志的てはないこと)。

 それぞれの言葉は、感謝の文法に照らして、感謝が不要になったり、感謝の程度が小さくなったりするため工夫であると考えられます。感謝が求められることが多く、感謝に負担が伴いやすい社会では、感謝を抑制するような工夫が頻繁に用いられるのかもしれません。

 

セクション本文わり

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​文献

  • Kant, I .(17971969). Die Metaphysik der Sitten. Königsberg :Bey Friedrich Nicolovius. (吉沢伝三郎・尾田幸雄訳. カント全集第 11 巻 人倫の形而上学. 理想社,1969 年).  

  • McCullough, M.E., Kilpatrick, S. D., Emmons, R.E. & Larson,D.B.(2001). Is gratitude a moral affect? Psychological Bulletin, 127, 249-266.

  • Roberts, C.R. (2004). The blessings of gratitude: A conceptual analysis. In R. A. Emmons & M. E. McCullough (Eds.), The psychology of gratitude.New York: Oxford University Press. (pp.58-78).

  •  内藤俊史(2012). 修養と道徳――感謝心の修養と道徳教育.『人間形成と修養に関する総合的研究、 野間教育研究所紀要』、51 集、529-577.

  • Smith, Adam (1759/2003). The theory of moral sentiments, first edition. London: A. Miller. (水田洋訳.『道徳感情論』,岩波書店. 2003 年).

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感謝の判断過程
図1 感謝の過程
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