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  • 感謝の力とは何か、そして感謝が力をもつ理由 | 生涯における感謝の心

    サイトメニュー クリックで該当ページへ移動  【生涯における感謝の心 】TOP 感謝とは何か-感謝の典型、周辺、そして意義 感謝の力 心理的負債感とすまないという心の力 感謝の文化差と文化摩擦 感謝の発達 感謝の問題点 サイト・主催者紹介   【補足】神道と仏教における感謝 【補足】 感謝と親しさのパラドックス 【補足】感謝に至る判断 資料室 検索結果 感謝の 力  (内藤俊史・鷲巣奈保子 202 0.8.4 最終更新日  20 24 .5.29)  感謝をする人も、そしてされる人も、前向きの力を心に感じます。このセクションでは、主に感謝をする人に焦点を当てて感謝の力(効力)を考えます。  なお、ポジティブ感情(快く感じる感情)としての感謝をとりあげ、感謝とともに経験することの多いすまないという気持ちや心理的負債感は、別のページでとりあげます(「心理的負債感とすまないという心の力」 ➩ )。 このセクションの内容 感謝のもつ力―感謝がもたらすもの ➩ 3つのプロセスにおける感謝の力―いくつかの仮説とともに➩ 感謝の力を示唆する研究➩ 真の感謝の力を知るために-まとめにかえて➩ 参考 道徳的な力としての感謝➩ 参考 感謝の力 北京オリンピックにおける日本と米国のカーリングの試合で、ショットを放つ藤沢選手の手には漢字で「感謝」 とい う文字が書かれていました。リンク先は、2/16 日刊スポーツ、21:10配信、撮影・菅敏 (2022.3.8アクセス)。 アンカー 1 感謝のもつ力- 感謝がもたらすもの       感謝は、単なる受け身の感情や反応ではなく、自分自身の心を前向きにし幸福感を高めるとともに、他の人々の幸福に向けて様々な行動を引き起こします。そのような意味で、感謝は力をもちます。感謝の力は、数多くのサイトや出版物で取りあげられていますが、その内容は一つではありません。それらをまとめれば、次のような感謝の力を挙げることができるでしょう。 自分自身の心身の健康と幸福感を高める。 心身の健康を害する要因、例えば ストレスをもたらす出来事による影響を緩和する。 感謝の対象と自分との関係を維持し深める。 集団における相互の信頼感を高める。     そもそも、感謝は心と行動のさまざまな要素から成り立っていますから、どの要素に注目するかによって、感謝の異なる力(効力)が取り上げられることになります。このセクションでは、感謝を、大雑把に、「感謝に至るまで」「感謝を感じるとき」「感謝を感じた後」という3つのプロセスに分けて、感謝の力を整理したいと思います。全体については、図1を参照してください (図1) 。 TOP TOP TOP TOP 3つのプロセスにおける感謝の力 ―いくつかの仮説とともに   感謝の効果についての代表的な仮説を関連づけながら、それぞれのプロセスにおける感謝の効果を説明します。なお、とりあげる仮説は、主にWood, Froh, and Geraghty (2010)の論文を参考にしています 。 ・感謝に至るま で  第一のプロセスは、感謝のための構えをもっている状態です。いわば感謝の準備状態です。この状態では、個人がもつ「感謝のスキーマ」が準備状態になっています。 「スキーマ」とは、それぞれの人がもつその人なりの"理論"、概念構造です。 感謝のスキーマは、例えば「感謝をしなければならないことはないか」と問うことによって、活性化することができます。活性化された感謝のスキーマは、感謝に値するかという観点から、様々な事柄の検討を開始します。つまり、「自分はどのような利益や幸福を得ているのか」「それらに対して他者がどのような意図で、どのような貢献をしたのか」 「そのために費やされた犠牲はどのようなものか」など、感謝をするかどうかの判断に必要な情報を探索します 。   感謝のスキーマは、多くの場合、活性化されることによって、感謝への道を開きます。しかし、たとえ感謝に至らなくても、感謝のスキーマは、重要な働きをもちます。   感謝のスキーマは、感謝という観点から様々な事象を捉え直します。自分の幸福の認識やそれに対する他者の貢献などが、あらためて問われることになります。このように、感謝のスキーマは、他との関係に関する重要な認識の変化をもたらします。 それは、感謝のもつ重要な力の一つです。   これらの考えは、感謝のスキーマ理論に基づいています。感謝のスキーマ理論の立場に立って考えた場合、感謝心の強い人の条件の一つは、活性化しやすい感謝のスキーマをもつことです。そのため、感謝心の強い人は、感謝という観点から様々な事象を理解する高い傾向をもちます。その結果、感謝を感じる機会も多く、感謝にもとづく向社会的行動(思いやり行動など)も増加します。    最後に、 感謝のスキーマの働きの一面を示す 、興味深い 研究結果を紹介します。それは、感謝傾向(特性)がポジティブリフレイミング(前向きの捉え直し)の傾向を高め、その結果、抑うつ的感情を低めるというものです(Lambert, Fincham, & Stillman, 2012)。ポジティブリフレイミングとは、悲観的に理解されている状況を、「長い目で見直す」などによって、前向きに捉えなおすことを意味します。 感謝のスキーマは、このポジティブリフレイミングを促すことによって 、状況のプラスの面に気づかせる働きがある と考えられます。    ・感 謝 を感じるとき    第二のプロセスは、感謝の気持ちを感じているときです。感謝は、文化や状況に応じて、負債感情などさまざまな感情を伴いますが、ポジティブ感情は、感謝の主たる感情として多くの場合に経験されます。そのなかには、プレゼントをもらった直後のような短期間の喜びの感情もあれば、相手との関係を確認したことや関係が深まったことによる長期にわたる安心感や幸福感も含まれます。これらのポジティブ感情は、憂うつや不安などのネガティブ感情を抑える効果があるとされています。 感謝の効果 に関するこの説明には、次にあげる二つの仮説が関連します。  一つ目は、ポジティブ感情仮説です。一般的なポジティブな感情、つまり快く感じる感情は、それが習慣的に経験されることにより、鬱状態などの心理的状態を改善する効果があるとされています。感謝も、ポジティブ感情を含みます。感謝は、一般的なポジティブ感情を引き起こし、その結果、幸福感や精神的健康を高めるというのが、この仮説です(研究の例として、Lin, 2019)。  なお、話は少しそれますが、 感謝のwell-beingへの効果は「すべて」この一般的なポジティブ感情によるものであるという仮説に対しては、Woodら(2010)は、感謝心のwell-beingへの効果が、一般的なポジティブ感情の効果だけでは説明できないという研究結果をもとに否定しています。つまり、感謝のもつ一般的ポジティブ感情では説明できない感謝の別の効果があるという訳です。    二つ目の仮説は、 感情が認知に影響を及ぼすという拡張・形成仮説です。それは、Fredrickson (2001)により提唱された、感情の働きについての 理論であり、「ポジティブな感情は、思考や行動のレパートリーを一時的に拡げる傾向があり、その結果個人のもつ能力や資質が培われることになる」とされます。これを感謝に当てはめると、感謝にともなうポジティブ感情は、自他のあり方、そして関係や社会について、より広く認知させるようにさせ、その結果、幸福や健康のための的確な対応が可能になるとされます。   ・感 謝を感じた後     感謝の気持ちに続いて、様々な心理的な活動や行動が生じます。三つ目のプロセスは、感謝感情の後の過程です。このプロセスは、感謝の表現行動と、感謝にもとづくその他の行動や心理的変化を含んでいます(それらは、複雑な過程による場合もありますが)。 このプロセスにおいて、特に対人関係や集団に対して、感謝は多様な力を発揮します。 感謝には、相手の人格を認め、敬意を表現することがその内に含まれています。したがって、感謝を表現するとともに、感謝に伴う行動によって、他者、集団、社会との信頼関係は、より強固なものになると期待されます。そして、結果として、対人関係を質量ともにより豊かなものにし、集団や社会における相互的な援助の質を高めると期待されます。 感謝が集団のあり方を変える例としてよくあげられる例を示します。 映画のタイトルにもなった「ペイフォワードpay it forward」という言葉がアメリカ合衆国で知られているようです。それは、感謝を感じた人が、恩恵を受けた人以外の人々にも援助などを行うようになることです(恩恵を受けた人に返す恩返しは、pay backです)。恩人以外にも、恩恵を与えるようになるというのは、感謝の心の効果として認められています。このように、援助的な行動が拡大することによって、集団は相互扶助的になっていくことが期待されます。  感謝の感情を感じた後の行動には、さまざまな効果が期待されます。しかし、具体的に、どのような状況で、どのような方法が感謝のもつ効果を十分に発揮するのかという問題は、さらなる問題です。 TOP TOP TOP 感謝の力を示唆する研究  21世紀になって、感謝の力を確かめる研究は急速に増えています。ここでは、感謝がwell-being(心身の健康と幸福感など、 注1 ) を 高 めることを示唆する研究に焦点を絞ります。  なお、well-beingは、1946年のWHO憲章において提案された健康の包括的概念です。それは、単に病気を患っていないことではなく、身体的な面、精神的な面、社会的な面において良好な状態であること、そして、それらを達成し維持することを含みます。その後、その内容について様々な分野で議論されてきました。心理学の研究では、well-beingの基本的な概念に基づいて、「主観的幸福感」「生活の充実感」「持続的な成長の感覚」「他の人々との良好な関係」などに関する心理的尺度が用いられてきました。   ・相関研究 一つは、相関研究と呼ばれる研究です。感謝の心、つまり感謝を感じる傾向と、様々な人格特性やwell-beingなどとの相関関係を調べる研究です。それらの心理的性質は、主に質問紙によって測定されます。アメリカ合衆国で行われた大学生を対象とした先駆的な研究では、感謝特性を測る質問紙(GQ-6)は、生活満足度(.53)、主観的幸福感(.50)、バイタリティ(.46)、楽観性(.51)と正(プラス)の相関をもち、不安(-.20)、抑鬱傾向(-.30)と負の相関を持つことが見いだされています(かっこの中の数字は相関係数)(McCullough, Emmons,& Tsang, 2002)。  その後、数多くの研究が行われています。Portocarrero, Gonzalez, and Ekema-Agbaw(2020)は、感謝特性と、well-beingに含まれる様々な変数との関係を扱った、英語、スペイン語、ポルトガル語による144の論文における研究結果を対象として、総合的な分析(メタ分析)を行いました。その結果、感謝特性は、幸福感、生活の充実感、他の人々との良好な関係など(positive well-being)と正の相関がある一方、不安傾向、抑うつ傾向など (negative well-being)とは負の相関があるという結論を得ました。  加えて、感謝特性が、利他性や分かち合いの傾向、つまり向社会的傾向と正の関連をもつことが、別の研究者によるメタ分析によって明らかになっています(Ma, Tunney, & Ferguson, 2017)。  なお、相関研究にはいくつか限界があります。  一つは、二つの変数の間の相関研究は、二つの変数が共なって変化をすることを示すだけで、どちらが原因であるのかを明らかにする訳ではないことです。これまで述べてきた研究結果も、感謝が原因であると解釈することも可能ですが、「結果として」感謝心が高まるという解釈も可能です。その他にも、相互に影響しあった結果である可能性も十分に考えられます。このような問題に応える方法、例えばパネル調査などを採用する研究も増えています。たとえば、 Unanue, 他(2019)は、感謝特性と主観的幸福感の縦断的な研究を行い、両方向的な影響を示唆しています。  二つ目は、これまでの多くの相関研究は、感謝の傾向(特性)と、性格や行動の傾向との関係を調べていますが、具体的にどのようなメカニズムで二つの傾向が関連するのかは、さらなる課題と言えます。  ・感 謝を経験することの効果の研究  もう一つは、感謝の気持ちを経験するという実験的な手続き によって、well-beingなどが変化をするかを調べる研究です。なかでも、「感謝を数える方法」はよく用いられています。研究の参加者に、例えば一週間に一度、その週で感謝することをあげてもらうという実験手続きを用います。先駆的な研究が、Emmons & McCullough(2003)によって行われています。結果は、概ね、感謝という経験がwell-beingのさまざまな面に対してプラスの効果をもつというものでした。  その後の研究に影響を与えた研究ですので、研究の概略を説明します。彼らの論文には3つの研究が報告されていますが、研究1では,一週間のうちで感謝したことを 5つ以内記録する「感謝条件」、厄介な出来事を5つ記録する「厄介ごと条件」、影響力のあった出来事を 5つ記録する「出来事条件」を設定し、実験参加者は、いずれかの条件に振り分けられました。各々の条件にしたがって、10週間の間、参加者は毎週1度、記録用紙の提出が求められました。  それぞれの条件の効果を調べるために、以下の項目が実験の事前と事後に調べられました―「気分」「体調」「運動時間(激しい運動と適度な運動)」「包括的なwell-beingの評価(現在の生活全般の質と未来の生活全般への期待,他者との関係)」「サポートに対する反応」「カフェインを飲んだ量」「アルコールを飲んだ量」「アスピリン錠や痛み止めを飲んだ量」「前日の夜の睡眠時間と質」「向社会的行動(道具的サポートと情緒的サポート)」。 結果を総合すると、感謝条件においてwell-beingに関わる得点が高いという結果が得られました 。  これらの研究以降、同様の研究が数多く行われ、それらの研究結果を総合して結論を導くための分析、すなわちメタ分析がいくつか行われるようになりました。しかし、それらのメタ分析は、必ずしもこの方法による大きな効果を示してはいません。例えば、Cregg & Cheavens (2021)は、不安傾向や抑うつ傾向に対して、感謝を記録することがどの程度の効果をもつのかを、これまでの研究結果に対するメタ分析により検討しています。その結果、感謝することを書きとどめるという方法の効果は控えめmodestであり、不安傾向や抑うつという症状に対しては、より効果の大きい他の技法を採用することを勧めると結論づけています。  この分析結果は、感謝がwell-beingを高めるためには、何らかの条件が必要であることを示しています。  例えば、文化的な基盤や背景も、効果を左右する条件かもしれません。アメリカ合衆国において肯定的な結果を報告するいくつかの研究がある一方で、日本と韓国などでは効果がみられないという研究もあります(例えば、相川・矢田・吉野、2013; Lee, Choi, &, Lyubomirsky, 2013, 研究のレビューとして、Kerry, Chhabra, & Clifton, 2023)。 この結果について、私たちは、次のように考えています―ある文化的環境、日本や韓国では、感謝は、同時に心理的負債感やすまないというネガティブな感情を伴いやすい。したがって、感謝の経験から短期間の間は、主観的幸福感のようなポジティブ感情の変化は生じ難い(Naito, & Washizu, 2010)。   TOP TOP 真の感謝の力を知るために-まとめにかえて 終わりに、感謝の真の力を探る上で考慮しなければならない点をまとめます。 「感謝の経験のもつ効果の研究」は、感謝の経験が、より確実でより大きな力をもつためには、条件が必要であることを示唆しています。それらの条件を知る必要があります。  また、感謝の行動が、効果をはっきりさせるためには、状況に即した感謝の行動が必要です。それらの行動によって、はじめて感謝は力を発揮します。  このセクションの前半で述べたように、感謝の力は多様です。したがって、感謝のどの力を期待しているのかによって、とるべき手だては異なるはずです。感謝の力に期待するとき、感謝のどの力に期待しているのかを明らかにする必要があります。  このセクションでは感謝の力、つまり感謝による影響に焦点を当てました。しかし、人間の様々な側面と感謝傾向との関係は、必ずしも一方向的ではなく、双方向的である場合も多くみられます。例えば、感謝傾向が幸福感に影響するとともに、幸福感が感謝傾向に影響をすることを示唆する研究結果が得られています(Unanue, et al., 2019)。感謝は、多様な形で力をもつと考えられます。   これらを考慮することによって、感謝の真の力が明らかになると期待されます。 TOP TOP TOP 参考 道徳的な力としての 感謝   このセクションの最後に、感謝のもつ力の一例として、「感謝の道徳的な力」について説明をします。  アメリカ合衆国の心理学者のマッカラ(McCullough, M.E.)らは 、感謝が、人から助けられるなどの道徳的な事柄によって生じること、そして他の人々を助けるなどの道徳的な行為を生み出すことから、「道徳的感情」と呼ぶに相応しいと主張しています(McCullough 他, 2001)。後者は、道徳的な力をもつ感情であるといってもよいでしょう。  そこで、なぜ感謝が道徳的な力なのかを、マッカラらの主張にもとづいて説明します。  a .感謝の心は、道徳的な行動を生じさせること   感謝の心は、恩恵を与えてくれた人に対する恩返しの行動を生みます。それも道徳的行動の一つといえるでしょう。しかし、それだけにとどまりません。感謝の気持ちをもつと、恩恵を与えてくれた相手だけではなく、その他の人々の幸福を目的とした行動への意欲が高まります。     b. 感謝は相手との関係を道徳的な関係に変えること マッカラらは、感謝は「道徳的バロメーターmoral barometer」であるといいます。他の人に助けられたとき、単に「うまくいってよかった」「助かった」という感情だけではなく、感謝の気持ちをもったとき、お互いの関係は一変します。そこには、利害関係とは別のいわば「人と人との関係」「道徳的な関係」が芽生えています。見方を変えれば、感謝の気持ちの有無は、その関係が道徳的なものであるかどうかを示しています。  私たちの言葉でいえば、感謝は、関係を道徳的な関係に変える力をもちます。 文献 相川充・矢田さゆり・吉野優香 (2013). 感謝を数えることが主観的ウェルビーイングに及ぼす効果についての介入実験.東京学芸大学紀要 総合教育科学系1,64, 125-138. Cregg, D. R., & Cheavens, J. S. (2021). Gratitude interventions: Effective self-help? A meta-analysis of the impact on symptoms of depression and anxiety. Journal of Happiness Studies, 22(1) , 413-445. Emmons, R. A., & McCullough M. E (2003). Counting blessings versus burdens: An experimental investigation of gratitude and subjective well-being in daily life. Journal of Personality and Social Psychology, 84 , 377-389. Fredrickson, B. L. (2001). The role of positive emotions in positive psychology: The broaden-and-build theory of positive emotions. American psychologist, 56(3), 218-226. Froh, J.J. et al. (2014). Nice thinking! An educational intervention that teaches children to think gratefully. School Psychology Review 43(2), 132-152. Jans-Beken, L., Jacobs, N., Janssens, M., Peeters, S., Reijnders, J., Lechner, L., & Lataster, J. (2020). Gratitude and health: An updated review. The Journal of Positive Psychology, 15(6), 743-782. Kerry, N., Chhabra, R., & Clifton, J. D. (2023). Being Thankful for What You Have: A Systematic Review of Evidence for the Effect of Gratitude on Life Satisfaction. Psychology Research and Behavior Management, 16, 4799-4816. Lambert, N. M., Fincham, F. D., & Stillman, T. F. (2012). Gratitude and depressive symptoms: The role of positive reframing and positive emotion. Cognition & emotion, 26(4), 615-633. Lee, L, K., Choi, H. I., &, Lyubomirsky, S. (2013). Culture matters when designing a successful happiness-increasing activity. Journal of Cross-Cultural Psychology, 44(8), 1294-1303. Lin, C. C. (2019). Gratitude, positive emotion, and satisfaction with life: A test of mediated effect. Social Behavior and Personality: an international journal, 47(4) , 1-8. Ma, L. K., Tunney, R. J., & Ferguson, E.(2017). Does gratitude enhance prosociality?: A meta-analytic review”. Psychological Bulletin, 143(6), 601-635. McCullough, M. E., Emmons, R.A., & Tsang, J (2002).The grateful disposition:A conceptual and empirical topography.Journal of Personality and Social Psychology, 82, 112–127. Naito, T. and Washizu, N. (2015). Note on cultural universals and variations of gratitude from an East Asian point of view. International Journal of Behavioral Science 10(2), 1-8.   Portocarrero, F. F., Gonzalez, K., & Ekema-Agbaw, M. (2020). A meta-analytic review of the relationship between dispositional gratitude and well-being. Personality and Individual Differences, 164, 110101. Unanue, W.,Gomez Mella, M. E.,Cortez, D. A.,Bravo, D.,Araya-Véliz, C.,Unanue, J., & Van Den Broeck, A. (2019). The reciprocal relationship between gratitude and life satisfaction: Evidence from two longitudinal field studies. Frontiers in Psychology, 10, 486254. Wood, A. M., Froh, J. J., & Geraghty, A. W. (2010). Gratitude and well-being: A review and theoretical integration. Clinical Psychology Review, 30(7) , 890-905. セクション本文 終 わり TOP 注1   well -being は、1946年のWHO憲章において提案された健康概念です。単に、病気にかかっていないということではなく、身体的な面、精神的な面、社会的な面において良好であること、そして、それらを達成し維持する実践が含まれます。その内容をめぐって、議論がなされてきました(詳しくは、Ryan & Deci (2001)によるレビューを参照)。  一例をあげれば、Seligman, M (2012)は、P(Positive emotion/ポジティブな感情)、E(Engagement/物事への積極的な関わり)、R(Relationship/他者とのよい関係)、M(Meaning/人生の意義の自覚)、A(Accomplishment/達成感)からなるPERMA を提案しています。  well-beingの概念は、日本の心理学のみならず経済界や教育界などで取り入れられ、日本の社会に適したwell-beingの試みも提案されています。本サイトでは、アメリカ合衆国における心理学の成果に言及することが多いため、アメリカ合衆国におけるwell-being概念を念頭に置いています。  最後に、well-beingについて一言述べたいと思います。well-beingの一般的な内容については、共有されやすいかもしれません。しかし、その具体的内容について決めることはなかなか難しいと思います。「well-beingとは何か」という問いは、「幸福とは何か」「善い生き方とは何か」という問いと同様に、時とともに問い直されていくものではないでしょうか。そして、well-beingを高める感謝の意義もまた、問い続けられることでしょう。     文献  Ryan, R. M., & Deci, E. L. (2001). On happiness and human potentials: A review of research on hedonic and eudaimonic well-being. Annual review of psychology, 52(1), 141-166. Seligman, M. E. (2012). Flourish: A visionary new understanding of happiness and well-being. Simon and Schuster. このセクションの本文にもどる 「心理的負債感…」ページへもどる TOP 本文にもどる 図1. 感謝、well-being、その他の要因の概略 Hypothetical relations between gratitude, well-being, and other variables

  • 神道と仏教における感謝 | 生涯における感謝の心

    サイトメニュー クリックで該当ページへ移動    【生涯における感謝の心 】TOP 感謝とは何か-感謝の典型、周辺、そして意義 感謝の力 心理的負債感とすまないという心の力 感謝の文化差と文化摩擦 感謝の発達 感謝の問題点 サイト・主催者紹介   【補足】神道と仏教における感謝 【補足】 感謝と親しさのパラドックス 【補足】感謝に至る判断 資料室 検索結果 神道と仏教における感 謝 ―宗教における感謝 (内藤俊史・鷲巣奈保子、 2020.8.4 最終更新日  2 0 24.11.19 ) このセクションの内容 はじめに➩ 神道における感謝➩ 日本の仏教における感謝➩ 感謝につ いて これから 考えるために- 神道と仏教から学ぶこと➩   TOP TOP はじめに 世界には、数多くの宗教が存在し、多くの人々がそれらを信じています。感謝は、それらの宗教の多くにおいて重要な位置を占めてきました。このセクションでは、日本人の心や行動に影響を与えてきた神道と仏教をとりあげます。 もちろん、宗教の教理の内容が、そのまま私たちの感謝心のあり方を示す訳ではありません。しかし、私たちの感謝心を方向づけたり、逆に私たちの感謝心のあり方を反映するものとして、感謝心を探究する際の道標になります。 なお、このセクションでは、それぞれの宗教の宗派における相違は対象としません。それぞれの宗教における感謝の一般的な位置づけのなかに、私たちの探究のためのヒントを見出すことが、このセクションの目的です。 このセクションの内容は、次の論文の一部を加筆修正したものです。 内藤俊史(2012) 修養と道徳―感謝心の修養と道徳教育 .『人間形成と修養に関する総合的研究 野間教育研究所紀要』、51 集、529-577.    神社でひいたおみくじの文の一部。「カミ(自然)に感謝」とあります(2010.12.29。大神神社,奈良県)。 TOP TOP TOP 神道における感謝――自然、神、先祖への感謝  神道は、日本で生まれた民族的宗教とされますが、「神社神道」「国家神道」「教派神道」などの言葉があり、さまざまな形態や立場が含まれています。ここでは、日本各地の神社で行われる祭祀と、その背景となる伝統的な思想という意味での神道、つまり神社神道をとりあげます。  神道は、特定の教典をもたず、伝統的な儀式や生活様式のなかに、その世界観や教えが組み込まれているといわれます。日本に住む人々にとって、神社には馴染みがあると思います。神社は全国津々浦々にあり、七五三などの年齢儀礼や祭りなどの年中行事のために、神社を訪れたことがある方も多いと思います。多くの人々は、そのような儀式や慣習のなかで、神道を実践しているともいえます。   神道において、感謝はどのような意義をもつものとされてきたのでしょうか。以下に神道における感謝の特徴として4つをあげます。 ・神-自然に対する感謝   初めにあげる特徴は、神-自然に対する感謝に焦点が当てられていることです。神道では、自然、動物、卓越した人物の霊など、人の力の及ばない力をもち畏怖や尊敬の対象とされるものは、広く神として扱われてきました。自然の現象を、神々の織りなすドラマとしてとらえる神道では、農産物を初めとする自然の恵みは神々による恵みでもあります。したがって、農産物の収穫に当たって、多くの地域で神への感謝を表すための秋祭り(収穫祭)が行われています。  このように、「自然への感謝」は、神道における感謝の特徴として第一にあげることができるでしょう。  実際、山、海、岩石などの自然物を、ご神体として祀っている神社は数多く存在します。神社は、もともと山、岩、巨木などをご神体として拝むという形式や、降臨する神を受け入れるという形から、神が常に神社に鎮座するという形へと変わっていったとされます。古い時代の形を残す神社としてよく知られている神社の一つは、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る奈良県櫻井市の大神神社(おおみわじんじゃ)です。三輪山が御神体とされ、神を祀る本殿はなく、拝殿から三輪山を拝みます。 参考 山の神への感謝 注意 音声が出ます。  リンク先は、「NHKアーカイブ 岩木山の登拝行事」(2008年取材)です。青森県弘前市における伝統行事が描かれています。岩木山神社に参詣(踊りなどを含む)後、岩木山に登拝し、山の神に五穀豊穣を感謝します(2023.10.4にアクセス)。 ・ 亡くなった家族や先祖への感謝   死後についての考えの一つとして、人は死とともに穢れをもつ霊となり、その後長い年月の後、穢れが消えるとともに個別性を超えて、氏神、山の神、海の神などとして人々を見守るようになるという考えがあります(柳田、1975)。この考えは、先祖への感謝、さらには先祖に対する崇拝へと展開します。   なお、現在の日本における死者に対する葬儀の形式やその背景となる考えは、中世以降の日本の仏教によって大きな影響を受けています(詳しくは松尾、2011:2014 を参照のこと)。  参考 日本の各地で行われるお盆の行事 注意 音声が出ます。   お盆は、亡くなられた人々に感謝をし、供養するための年中行事です(期間は地域により異なり、主に8月13日から16日、または7月13日から16日)。この期間、先祖を家に招き、供養をします。日本の各地域でさまざまなお盆の行事が、伝統として行われています。リンク先は、NHKアーカイブ「各地に伝統あり 日本のお盆の風景」として、2016年8月10日に制作されたサイトで、いくつかの地域の行事が描かれています(2023.9.20にアクセス)。 ・感謝によりもたらされるものを強調する傾向   3つめは、恩恵を受けたことに対する応えとしての感謝とともに、感謝がもたらすものを強調する傾向があることです。葉室(2000)は、神道の立場から感謝の意義について、次のような逆説的な表現をしています。 「幸福が与えられたから感謝するのではなく、感謝するからこそ幸福が与えられるのです」(葉室、2000、p.19)。  感謝の心をもって神を拝むとき、神と相通じることが可能になり、神の恩恵を受けることになるといいます。葉室によると、感謝は、恩恵を与えてくれた人に対する補償的な行為として、相互のやり取りを完結させるものではありません。感謝は、他者からの恩恵に対してもつべき感情や行動である以上に、力をもつものなのです。端的に言えば、「ありがとう」という言葉を心から発するときに私たちの心は力をもつのです。  ・儀式における感謝の表明  4つ目は、神や自然に対する感謝は、多くの場合、祭などの儀式のなかで表明されることです。例えば、秋にはその年の五穀の収穫を神に感謝をするために、伊勢神宮では神嘗祭が行われます。また、宮中や全国の神社では新嘗祭が行われます。  先に述べたように、神道には教典に該当するものがありません。神道は、他の宗教と同様に多くの儀式を含んでいますが、儀式を通じてある種の「教え」が人々に伝えられてきたと考えられます。  それでは、祭事は、日本の人々の心にどのような影響を与えているのでしょうか。また人々の自然に対する感じ方や行動にどのような影響を与えているのでしょうか。これから明らかになっていくことを期待します。    参考  伊勢神宮における神嘗祭 注意 音声が出ます。  先に述べたように、神道における自然への感謝を示す儀式として、神嘗祭(かんなめさい)があります。リンク先は、伊勢神宮作成による伊勢神宮で行われる神嘗 祭の動画です (2021.1.11にアクセス)。 TOP TOP TOP TOP TOP 日本の仏教における感謝-恩の思想  仏教は、インドを発祥の地として、6世紀に日本に伝わったといわれています。以降、仏教は、日本の社会において変化をしつつ、長期にわたって日本人の心に大きな影響を与えてきました。  仏教学では、「感謝」よりも「恩」という概念に焦点が当てられてきたようです 注1 。 以下に、仏教における「恩」という概念について、その特徴を探ってみたいと思います。 ・知恩と報恩の区別―恩の分析 仏教では、恩をめぐってさまざまな概念が展開されましたが、そのなかに「知恩」と「報恩」があります。日常、この二つを分けて考えることはほとんどないと思いますが、恩の二つのあり方を考えることによって、新たな面に光が当てられるのではないかと思います。 「知恩」 恩の側面の一つは、恩を知るという側面です。恩を知ることは、仏教の根幹となる教えと密接な関係をもっています。仏教の基本的な原理として縁起説があります(例えば、水野、1972)。それは、世界のあらゆるものが相互依存の関係のなかで成り立っているという考えであり、人々はこの真実に目覚めなければならないとされます。この考えが「他による恩を知ること」の基礎になるのは明らかと思われます。 「報恩」 受けた恩恵に対して報いるという意味での報恩は、日本では「鶴の恩返し」などの説話のテーマとしてよく知られています。しかし、仏教学者の壬生(1975)によれば、インド初期仏教の考えが収められている原始経典には、「恩を知る」という意味の知恩に該当する語は見られるものの、報恩に該当する語を見出すのは難しいといいます。報恩という概念は、その後成立した大乗仏教において強調されるようになり、さらに、大乗仏教の伝わった中国において、当時の社会規範、つまり皇帝-従者の関係規範や家族内の関係規範が結びつくことによって、確固たる概念になったと考えられます(壬生、1975: 中村、1979)。 ・布施行の一つとしての報恩  報恩という概念は日本に伝わり、現在に至っています。しかし、報恩という概念には、次のような課題が含まれています。  「報恩」または「恩返し」という言葉からは、受けた恩に対する 同等かそれ以上のお返しを思い浮かべることでしょう。しかし、このような意味での恩返しを日常生活のなかで徹底するのは難しいのではないでしょうか。なぜなら、私たちの生活には、多くの人々、他の生物、無生物が関わっているはずです。そして、そのなかに恩を受けた多くの人々や事柄が含まれています。さらに、恩人の恩人、そのまた恩人のように間接的に受けている恩を含めれば、その範囲は膨大なものとなるはずです。もし、すべての恩に報いなければならないのだとしたら、私たちは、際限のない恩返しにあけくれることになるでしょう。したがって、報恩が、受けた恩すべてに対して恩返しをしなければならないという意味であれば、それは非現実的のように思われます。 この疑問に対して、仏教学者のひろ (1987)は、次のように答えています。  まず、釈迦の教えでは、恩を知るという意味での知恩の意義が説かれているのだといいます。その上で、人々に求められているのは、布施行(修行)としての報恩であるといいます。布施行は、一言でいえば、見返りを求めずに他者に対して恩恵を与える行為です。報恩は、悟りに近づくための行の一つとして位置づけられます。  確かに、報恩を修行の一つとしてとらえることは、それが、ある程度、自分自身の判断に委ねられる行為とされることで、少しばかり気を楽にさせるかもしれません。しかし、すべての問題が解決される訳ではありません。布施行を行うに当たって、これまで受けた恩のなかでどれが重要なのかという問題は、依然として残されます。実際、仏教の歴史において、重要な恩は何かが問われ続け、四恩説など様々な説が唱えられました。 いずれにせよ、恩を知った後で、私たちは何をすべきなのかという問いは、感謝について探究するときの重要な視点です。   ・感謝のレベル   仏教では、個人における恩の意識や感謝心は、どのように成長していくと考えられているのでしょうか。ここでは、町田(2009)による解説を紹介します。  町田(2009)は、感謝の水準について述べています。最初の水準の感謝は、儀礼としての感謝であって、相手から受けた恩恵に対してありがたいという感情をもつことです。それを超える高度な感謝は、どのような相手、例えば敵に対しても感謝をすること、さらには「生きていること自体」への感謝であるといいます。そして、最終的には、災難に対してさえも感謝することができるという境地をあげています。 このように、悟りに近づくにしたがって、感謝の境地も変わっていきます。悟りの境地に近づくにつれ、世界の見方が変わり(縁起の世界を知り)、個々の恩ではなく、より広く関係づけられた世界における恩を認識します。それとともに、感謝の対象や感謝の姿は変わっていきます。恩恵を与えてくれた人―それ以外の人という区別もなくなり、感謝の対象は、あらゆる事柄に向けられます。    注意 音声が出ます。 参考 仏教の曹洞宗の開祖道元による『修証義』(2022/3/27アクセス) 曹洞宗東海管区教化センターによる『修証義』第五章行持報恩のお経です。音声でお経も味わえます。仏陀が私たちに真理を伝えたことに感謝をすべきであり、その恩に応えるべきである。そして、その恩に応えるために、私たちは、日々修行に努めなければならないと説きます TOP 補足---儒教における恩 日本の文化に影響を与えた宗教思想は、神道と仏教に限ることはできません。なかでも、儒教は日本の社会や文化に大きな影響を与えてきました。道端(1979)によると、仏教の経典に恩という言葉を見いだすのが容易であるのに対して、儒教の代表的な古典の一つである『礼記』では「恩」の文字の出現頻度は少ないといいます。  しかし、『礼記』には「恩は仁なり」という言葉が述べられています。仁は儒教の中心的な概念であり、人と人の親愛の情です。道端(1979)によると、仁は親子の感情=孝から始まりますが、孝は恩なくしては考えられません。このような意味で、恩は仁に結びつくのだと解釈されています。つまるところ、恩は、儒教においてもその重要性はかわらないと考えられます。    TOP TOP 感謝についてこれから考えるために-神道と仏教から学ぶこと    このセクションでは、日本における主な宗教として神道と仏教をとりあげ、それぞれの宗教における感謝の位置を探りました。このセクションの 最後に、感謝についてこれから考えを深めていく際に指針になることを、あらためて挙げます。 ・感謝の対象の広がり   感謝の対象は人に限りません。人は、人間に限らず、神、先祖、自然など、様々な「もの」や「こと」に対して、感謝を感じてきました。 ・感謝の機能の二面性   感謝は、人間としてもつべき心や為すべき行為であるとともに、幸福をもたらすものでもあります(神道)。つまり、感謝は、規範的な面と功利的な面との二面を併せもちます。 ・感謝をするときの心の背景   感謝の気持ちや感謝の行動とともに、その背景となる心のあり方に目を向ける必要があります。仏教では、感謝に至る縁起の世界観、神道では清い心(清明心)が背景となっています。 ・感謝の過程の分析- 「知恩」と「報恩」との間 仏教における知恩と報恩の区別は、この二つの概念の間に重要な要素が介在することを示しています。感謝は、「恩を知る-お返しをする」という機械的な返済行為ではありません。恩を知った後に、どのような心が生まれ、どのような行為がなされるのかは、探究すべき重要な問題です。 ・成長とともに変わる感謝   仏教では、恩の意識は、縁起の世界の理解の深まりとともに変わるものとされます。つまり、感謝は、人間の心の成長とともに、その姿を変えていきます。感謝には、発達あるいは変容という重要な一面がありま す。 文献 松尾剛次 (2011). 『葬式仏教の誕生-中世の仏教革命』 平凡社 . 葉室頼昭 (2000). 『神道 感謝のこころ』. 春秋社. ひろさちや (1987). 『親と子のお経 父母恩重経』.講談社.   町田宗鳳 (2009). 『法然を語る 上』. NHK 出版. 道端良秀 (1979). 儒教倫理と恩. 仏教思想研究会編 『仏教思想4恩』.平楽寺書店,131-148. 壬生台舜 (1975). 仏教における恩の語義. 壬生台舜編『仏教の倫理思想とその展開』. 大蔵出版, 305-350. 水野弘元 (1972) .『仏教要語の基礎知識』, 春秋社. Naito, T., Washizu, N. (2021). Gratitude to family and ancestors as the source for wellbeing in Japanese. Academia Letters, Article 2436. https://doi.org/10.20935/AL2436 https://doi.org/10.20935/AL2436 中村元 (1979). 恩の思想. 仏教思想研究会編, 『仏教思想4恩』. 平楽寺書店, 1-55. 柳田国男 (1975). 『先祖の話』, 筑摩書房. セクション本文終わり アンカー 1 注1   恩と感謝は、他者から恩恵を受けたときに生じる観念や感情である点では共通するものの、それぞれが意味するものは異なっています。恩は「君主・親などの、めぐみ。いつくしみ」を指すとされます(『広辞苑第六版』岩波書店より)。また、「恩を知る」「恩を忘れない」という言葉があることを考えれば、「恩」は、与えてくれた恩恵そのものやその行為を指して用いられるといってよいでしょう。それに対して、「感謝」は、恩恵を与えてくれた相手に対する感情や、その感情を表す行為を指しています。したがって、「恩」=「感謝」という訳ではありません。このように考えると、仏教における恩の思想では、感謝の前提として恩の認識が説かれて いるともいえるかもしれません。 本文に戻る

  • 心理的負債感とすまないという気持ちの意義と力 | 感謝とともに感じるネガティブ感情|生涯における感謝の心

    心理的負債感とすまないという心の力- 感謝にともなうネガティブ感情   (内藤俊史・鷲巣 奈保子 2020.8.4 最 終更新日 2024.8.4) 【生涯における感謝の心 】TOP 感謝とは何か-感謝の典型、周辺、そして意義 感謝の力 心理的負債感とすまないという心の力 感謝の文化差と文化摩擦 感謝の発達 感謝の問題点 サイト・主催者紹介   【補足】神道と仏教における感謝 【補足】 感謝と親しさのパラドックス 【補足】感謝に至る判断 資料室 検索結果  セクション「感謝の力」では、感謝が、well-being (心・身体・社会性における 健康)を促す理由について述べました。一方、感謝は、「すまない」という感情や心理的負債感という、必ずしも快くはない感情をともなうことがあります。それらの感情 は、well-beingを高めるのでしょうか。もし、高めるとしたら、どのようにして高めるのでしょうか。このセクションでは、それらの感情を「ネガティブ感情」と呼び、その働きに光を当てます。  アンカー 7 このセクションの内容 ネガティブ感情の意義➩ ネガティブ感情がwell-being を高める理由 1 ― 他者との交流の維持と拡大➩   ネガティブ感情がwell-beingを高める理由2 ―高次の感謝への転化➩ well-beingは、精神的、身体的、社会的健康 を意味します。 セクション 「感謝の力」の注1 を参照 してください。 サイトメニュー クリックで該当ページへ移動  アンカー 2 図 1 感謝の経験におけるれぞれの感情の影響についての仮説 (鷲巣・内藤・原田(2016)の結果等にもとづく) *positive reframing: 苦境において、状況の解釈(見方)を変えて、ネガティブな感情を低減したり、ポジティブな感情に至ること。 ネガティブ感情の意義 他の人から恩恵を受けたとき、「すみません」「悪いね」などの言葉が用いられることがあります。このことからも示唆されるように、他者から恩恵を受けたとき、快い感情つまりポジティブ感情だけではなく、心地のよくない感情を感じることがあります。このサイトでは、そのような感情を「ネガティブ感情」と呼び、このページでは、それらの感情に焦点を当てます。なお、害があるという意味で「ネガティブ」という言葉を用いている訳ではありません。  感謝とともに感じられるネガティブ感情には、「 負債感(心理的負債感)」「すまないという感情」「自尊心への脅威」などがあります 注1 。 これらのネガティブ感情、特に負債感については、それが抑うつ的な感情をともない、対人的な関係を阻害するために、well-being(精神的-身体的健康や幸福感)にとっての阻害要因とされます(McCullough, Kilpatrick, Emmons, & Larson, 2001)。  単純に考えれば、ポジティブ感情が増加し、ネガティブ感情が減少することは望ましいようにもみえます。しかし、 ネガティブ感情の経験が後のポジティブ感情や幸福感のために役立つという考えや、ネガティブ感情の経験があってこそより豊かな幸福感が得られるという考えは、私たちにとって自然な考えのようにも思えます。  事実、ネガティブ感情のもつ積極的、肯定的な働きは、これまでに、様々な分野で語られてきました。  古くは、仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタは、生老病死という苦に向き合うことを契機として、地位を捨て悟りへの旅を始めたといわれます。また現代においても何人かの思想家や研究者が、ネガティブ感情である悲しみを直視することの意義を論じています(竹内、2009; 山折、2002; 柳田、2005)。  柳田(2005)は、次のように述べています。 「悲しみの感情や涙は、実は心を耕し、他者への理解を深め、すがすがしく明日を生きるエネルギー源となるものなのだと、私は様々な出会いのなかで感じる」(柳田邦男 2005、p.143)。    また、内観療法 の創始者の吉本伊信は、半世紀前に以下のように述べています(忠義、孝行の言葉は当時の時代を反映)。 「反省すれば必ず慚愧が伴ひ、懺悔の後には必ず感謝報恩の念が湧き出て來ます。懺悔の伴はない感謝では眞實の報恩になりません。自からの不忠に氣づき、不孝を知る深さだけ眞の忠孝が行へるのであり、せめてはとの思ひのみが眞實の忠義も孝行も湧き出るものと信じます。」(吉本、1946)。 これらのことから、「ネガティブ感情」には、ネガティブな面とともに、ポジティブな面をもつことがうかがえます。 ネガティブ感情がwell-bingを高める理由1-他者との交流の維持と拡大  それでは、他者からの恩恵を知ったときのネガティブ感情は、どのようにして、自分自身のwell-beingや他者の幸福を高めようとする行動に結びつくのでしょうか。  一つ目の説明は、ポジティブな感謝感情と同様に、社会的関係を維持し拡大する効果が、ネガティブ感情の一部に存在するというものです。つまり、ネガティブ感情の一つである「恩の意識」が社会的関係を維持し拡大する働きをもつという説明です。  恩恵を受けた後に負債感やすまないという感情をもつことがあると思います。それらの感情には、恩の意識(恩ができたという意識)が含まれています。恩の意識は、当然、相手への恩返しの行動を引き起こします。さらに、より広い範囲の社会的観点が加われば、広範囲の人々への恩返しへと発展します。そして最終的には、人々をより高いwell-beingへ導く可能性をもちます。  しかし、他方で、他者からの恩恵がもたらす負債感に耐えられずに、他との関係を閉ざしていくことも考えられます。そのような負債感のもつ負の側面は、これまで、主に西欧の心理学者によって指摘されてきました。  従って、すまないという感情や負債感というネガティブ感情は、それぞれ双方向的な要素をもっていると考えられます。  具体的な状況で、ネガティブ感情が、他者との関係を閉ざすように働くのか、それとも、他者との交流を維持し、拡大するように働くのかは、難しい問題です。考えられる一つの要因は、報恩意識がもたらす心理的負担に対して、どのようなサポートが家庭や社会のなかに用意されているかです。   ネガティブ感情がwell-bingを高める理由2 ―高次の感謝への転化  もう一つの過程は、ネガティブ感情が高次の感謝感情に転化(変化)し、そして、転化した感謝感情がwell-beingを高めるという過程です。  この過程は内観療法が示唆する次のような心理的過程です(内観療法については 注2 )―1.まず、他者から恩恵を受けたときに、その人に対してすまないという感情や心理的負債感が生まれる。2.次に、そのような自分であるにもかかわらず、その人が自分に恩恵を与えてくれたことに気づく。3.その人に対して、敬意を含むポジティブな感謝感情をもつようになる。  自分が他者に迷惑をかけたという認識は、通常、快くない感情を伴うでしょう。しかし、他の人々がそのような自分でさえも支えてくれたという認識は、ポジティブな感謝の感情を生み出します。この場合のポジティブな感謝感情は、迷惑をかけたことから生じる心理的負債感や、すまないという負の感情の上に成り立っています。    図1 は 、感謝、負債感、すまないという感情の仮説的な見取り図です。この図では、次のような過程が想定されています。 ポジティブな感謝感情とネガティブ感情が同時的に生じる。 ポジティブな感謝感情は、関係の拡張などの力をもつ。 ネガティブな感情の一部(「心理的負担」)は、関係からの逃避を促し、別の部分(応報義務感、恩返しの心)は関係維持として働く。 他方で、ネガティブな感情は、「前向きの再解釈」(positive reframing)などの過程を経た場合に、ポジティブな感謝に変化をし、関係の拡張や充実を促す。  最後に、残された問題について述べます。それは、ネガティブ感情を経験した後の感謝や幸福感は、ネガティブ感情の経験のない場合と、どのような違いがあるのかという問題です。おそらく、一般的な結論は出しにくいと思われます。ネガティブ感情にともなって、どのような認識の変化が生まれるか、そして環境がどのようなサポートをするかによって、ネガティブ感情の効果は異なると考えられるからです。 文献  Greenberg, M. S. (1980). A theory of indebtedness. In K. J. Gergen, M. S. Greenberg, & R. H. Willis (Eds.), Social exchange: Advances in theory and research. (pp.3-26). New York: Plenum Press. McCullough, M. E., Kilpatrick, S.,Emmons, R.A., & Larson, D. (2001). Is gratitude a moral affect? Psychological Bulletin, 127, 249–266. 見田宗介(1984 ). 新版現代日本の精神構造 . 弘文堂. 竹内整一(2009).悲しみの哲学. NHK出版局. 山折哲雄 (2002). 悲しみの精神史 . PHP. 柳田邦男 (2005). 言葉の力、生きる力. 新潮文庫. 吉本伊信 (1946).反省(内観).  信仰相談所 1946.7.12downloaded 2011.8.29 http://www.naikan.jp/B4-2.html 鷲巣奈保子・内藤俊史・原田真有(2016). 感謝、心理的負債感が対人的志向性および心理的well-beingに与える影響.感情心理学研究、24 、1-11.   Washizu, N., & Naito, T. (2015). The emotions sumanai, gratitude, and indebtedness, and their relations to interpersonal orientation and psychological well-being among Japanese university students. International Perspectives in Psychology: Research, Practice, Consultation. 4(3), 209-222. 鷲巣奈保子 (2019). 感謝,心理的負債感,「すまない」感情が心理的well-beingに与える影響とそのメカニズムの検討.  お茶の水女子大学博士論文.  鷲巣奈保子・内藤俊史 (2021). 感謝と負債感が対人関係に与える影響-援助者に対する認知と動機づけに注目して-.お茶の水女子大学人間文化創成科学論叢、23、 151-159. セクション本文終わり 注1 なお、「負債感」と「すまない」という感情は、次のような意味でこのサイトでは用いています。 負債感: 他者にお返しをする義務がある状態で生じる、返報の義務の感情 (Greenberg, 1980). このHPでは「心理的負債感」という語も用いますが、特に断らない限り両者を区別をしていません。また、このサイトでは、心理的負債感などを、快くないという意味で、「ネガティブ感情」と呼びます。それは、必ずしも害があるということを意味しません。 すまないという感情: 相手に迷惑を与えたことに対して感じるネガティブな感情。相手のもつ期待にそぐわなかったことに対する感情等が含まれます。 文献 Greenberg, M. S. (1980). A theory   of  indebtedness. In K. J. Gergen, M. S. Greenberg, & R. H. Willis (Eds.), Social exchange: Advances in theory and research. (pp.3-26). New York: Plenum Press. 本文へ戻る TOP 本文に戻る アンカー 11 アンカー 12 アンカー 23 アンカー 5 TOPへ アンカー 3 アンカー 4 アンカー 22 TOP TOP TOP アンカー 1 注2  内観療法の簡単な説明(内藤, 2012, pp.548-550より、一部略)  内観療法は、吉本伊信によって確立された心理療法である。社会的な不適応に対する心理療法として、あるいは矯正施設の一部において適用されてきたが、最近では学校教育に適用する試みもみられる。  a 内観療法の手続き  初めに、その基本的な方法を紹介する。 一般に、狭い場所(部屋のすみを屏風で囲う等)で、他者と隔離された形で行われる。 そして、1日15時間、7日前後続けられる。 この時間に、たとえば、自分と関連の深い人物一人に対して、ある特定の期間に「していただいたこと」を想起する。 同じく、「して返したこと」を想起する。 同じく、「迷惑をかけたこと」を想起する。 これらは、想起の対象とする人物、期間をかえて繰り返される。一般には、初めに母親が対象とされる。そして、父親、兄弟・姉妹等へとかえられる。このような過程で期待されていることは、過去にそれぞれの人々に「して返したこと」に対して、「していただいたこと」「迷惑をかけたこと」の大きさに気づくことであり、その結果として、自分が他者との関係のなかで生きてきたこと、他者からの大きな恩恵によって自分が生きてきたことを認識し感じとることである。  多くの場合、このような過程によって、来談者(クライアント)は大きな負債感またはすまないという感覚をもつ。 b「すまない」という感情から感謝へ  しかし、「すまない」という感情は否定的な感情である。少なくとも、当人にとっては苦痛な感情である。また、場合によっては、自己破壊的な行動を導くこともあり得る。積極的な行動のためには、すまないという否定的な感情から、積極的な感情いわば前向きな感情への変換が必要である。内観療法において注目すべき面の一つは、否定的な感情に終らずに、肯定的な感情への転換が期待されている点であろう。この点に関する吉本(1983)による事例、失意の感情から感謝への移行の事例を以下に示す。     地方検察庁検事の例 「過去三十八年間、私はまるで嘘と盗みの海の中で暮らしてきたようなものです。(略) このように、嘘と盗みについて調べを続けた私は失意のどん底に突き落とされてしまったのですが、しかし、そこにまた道は開けていたのです。自然は、また私の周囲の人達は、よくぞこのような私を今日まで暖かく生かし育てて下さったものだという心境に至り、失意の底から感謝の光明を仰ぎ見ることができるようになったのです。」(吉本伊信『内観への招待』 朱鷺書房 1983年 208-209頁)。  クライアントである地方検察庁検事は、過去の自分についての反省、つまり内観の初期の段階で、自分の過去の行動について深い罪悪感をもつに至っている。 しかし、自然や周囲の人々がそのような自分でさえも暖かく育ててくれたことに気づき、積極的な「感謝」を感じるようになったことを報告している。この変化は、否定的な感情から肯定的な感情への転化と言えよう。  このように、内観療法においては、過去や現在への反省の結果単に他の人々に対する罪悪感や「すまない」という感情を喚起させることで終らずに、肯定的な感情への転換を更なる目的としていることは、注目に値する。 内藤俊史(2012). 修養と道徳 ――感謝心の修養と道徳教育.『野間教育研究所紀要』、51集(人間形成と修養に関する総合的研究)、529-577.   本文に戻る TOPへ

  • 感謝の文化差と文化摩擦|生涯における感謝の心

    感謝の文化差と文化摩擦 (内藤俊史・鷲巣奈保子 2020.8.4 最 終更新日2024 .3.30 )   感謝の心や行動は、どの文化でも同じなのでしょうか、それとも文化によって異なる面があるのでしょうか。 このセクションの内容 感謝の文化差を理解することの大切さ➩ 感謝の行動の文化差-5つの例➩ 感謝にともなう感情の文化差➩ 文化による相違に気づくための枠組み➩ 補足 感謝を表わす言葉のない社会 (自他の結合性、援助の義務性と慣習化) 資料室へ➩ アンカー 1 【生涯における感謝の心 】TOP 感謝とは何か-感謝の典型、周辺、そして意義 感謝の力 心理的負債感とすまないという心の力 感謝の文化差と文化摩擦 感謝の発達 感謝の問題点 サイト・主催者紹介   【補足】神道と仏教における感謝 【補足】 感謝と親しさのパラドックス 【補足】感謝に至る判断 資料室 検索結果   サイトメニュー クリックで該当ページへ移動  TOP TOP 感謝の文化差を理解することの大切さ   感謝のあり方の文化差は、文化間のコミュニケーションにおいて、深刻な相互不信を導くことがあります。   私たちは、どのようなときに感謝をするべきかを示す感謝の規範を身に着けていますが、それらを、そのまま「人間なら誰でもがそうするはずだ」と信じ、他の文化の人々に適用することがあります。そして、自分たちと異なる形での感謝を「感謝」として理解しないことがあります。その結果、相手のために尽くしたにもかかわらず、感謝をされていないと思って落胆したり、場合によっては、人格を無視されたように感じることさえあるでしょう。  哲学者のカント(1797/1969)は、感謝には尊敬が含まれると論じましたが、まさにその逆の事態、人格を無視された事態とでも言えそうです。感謝についての誤解が、相互の深刻な不信感を招きやすいのは、この点にあると思います。    次に、他の文化に触れたときに生じた、感謝をめぐる葛藤の事例をいくつかあげます。  なお、紹介する事例は、学会誌に公表されたものという訳ではありません。このことは、心理学などの学会で共有されている、客観性のための「データ収拾の手続きの規準」や「結果の解釈と一般化についての規準」が意識され適用されているとは限らないことを意味します。そのことが、必ずしもそれぞれの著述の価値を低めるものではありませんが、考慮すべき点です。とはいえ、これらの事例は、私たちの感謝のあり方が普遍的であるであるという信念に対して再考を促すのは確かです。 TOP TOP TOP TOP TOP 感謝の行動の文化差-5つの例 書籍やインターネットの記事等のなかから、感謝の文化差に関わる5つの事例を取りあげます。それらの内の4つは、日本と海外との相違に関するものですが、たまたまサイトの作者が日本人であるために過ぎません。 a. 感謝を表現することの文化差―インドからアメリカ合衆国に移住した人の例  Singh(2015) は、インドからアメリカ合衆国へ移住した経験にもとづいて、感謝の表現の文化差について次のように述べています。  インドでは、ヒンズー語で感謝(dhanyavaad英語表記)を述べることはまれであり、もし話すとしても、かなりあらたまった場面であり、子ども同士でこの言葉を使うことはありません。しかし、アメリカ合衆国に移住後、頻繁に用いられる感謝の表現として、"Thank you”を学ぶこととなりました。しかし、久しぶりにインドへ帰郷をしたとき、今度は、インドの人々を不快にさせてしまいました。兄弟、友人に対して、感謝を言葉にすると、冗談として受けとられたり、場合によっては相手を不快にさせました。ヒンズー語での感謝の表現は、相手との新たな関係をもたらすのですが、すでに構築されている親密な関係における感謝の表現は、むしろ関係を悪くしてしまう可能性さえあります。 b. 感謝の表現の頻度とタイミング―タイに赴任した日本人社員の例    斉藤(1999)は、タイにおける滞在経験にもとづいて、日本とタイとの間のお礼のあり方の相違を述べています。  日本人である著者がタイに着任し、赴任の挨拶廻りをしたときのことです。日本で人気の出ていたポータブルテレビを持参したところ、取引先であるタイのオーナー夫妻は大変喜んでくれました。ところが、その二日後に、仕事で顔を合わせたときのことです。テレビのことは一切触れられることはなく、もちろん感謝の言葉はまったくありませんでした。  著者はそのことにひどく落胆しました。確かに、日本人の多くは、そのときに、一言、感謝の言葉があると予想することでしょう。  著者は、次のように述べています-「日本流に右から左へとお返しをするのは、せっかくの相手の好意を無にする無朕な行為ととられるそうだ。秘書や女性スタッフのばあいは、筆者の誕生日やバレンタインデーに、一年分のお礼とばかり豪華なケーキ、ワインなどをプレゼントしてくれる。これが、タイ・ウェイである」。   なお、タイの人々の感謝について、別の説明もあります。参考までに加えておきます。Holmes and Tangtongtavy (1995)は、タイの慣習についての著書のなかで、仏教の思想が浸透しているタイでは、プレゼントに対して過度に喜ぶことは強い物欲を示すものとして控えられるのだと説明しています。 c. お礼のタイミングと頻度―日本における韓国からの留学生の例  私(内藤)が勤務していた大学で、留学生と研究の相談をしているとき、たまたま感謝やお礼の仕方について話題になったことがあります。その学生は、韓国からの留学生で、日本での生活はすでに10年を超えていました(30代女性 )。彼女は、贈り物をもらった後、短期間の間に何らかのお返しをするという日本の習慣になかなか慣れないとのことでした。今はその習慣に従ってはいるものの、未だに違和感があり、今でも、何かをプレゼントされると、嬉しい反面、そのお返しをどうするかを考えて重い気持ちになるとのことでした。  確かに、日本の社会での「お返し」「お礼」の習慣は、日本人にとっても、頭を悩ませるものだと思います。そして、韓国に限らず、他の文化から参入した人々にとって、日本における「お返し」「お礼」の習慣は理解するためには時間がかかることでしよう。  コミュニケーションの研究者の大崎(1998)は、日本と韓国との感謝に関わるコミュニケーションについて次のように述べています。  「相手との摩擦をさけるため潤滑油的にむやみやたらに「ありがとう」「すいません」を連発する日本人と、軽々しく謝辞を言ってはならないとする韓国人がコミュニケーションすると、両者の間には当然ながら誤解が生ずる。日本人は、謝辞のない韓国人の態度に不快となり、韓国人は、謝辞の多い日本人に水臭さを感じる」(大崎正瑠(1998)『韓国人とつきあう法』p. 104) d.お礼のタイミング―日本における中国からの留学生の例  村山(1995)は、中国からの留学生から聞いた、「お返し」に関する疑問について述べています。その留学生の疑問は、要約すると次のようなものでした。  「日本ではお土産が必要と聞いて、中国のお土産を日本の人々に差し上げたのですが、そのつどお返しをもらいました。しかも、そのお返しは、お土産を差し上げた直後にいただくのが常でした。このお返しの意味がよく理解できません」。  確かに、日本人の間では、何かを受け取ったときや恩恵を受けたときに、あまり時間をあけないうちにお返しをすることがあります。中国古典研究者の村山(1995)によれば、中国人の考え方からすると、プレゼントをもらってすぐお返しをすることは、商業上の売買と同じことになってしまい、相手からの厚意を厚意として受け取らないことになるといいます。むしろ、厚意は受け取り、そこで築かれた関係を忘れずに、何かのおりに感謝の返礼をすべきであるというのが中国における感謝の流儀だといいます。  e. お礼の表現の有無-南アジア、中東における日本人旅行者   インドなど、南アジア、中近東を旅する日本人がよく経験する、感謝に関わる文化差です。インドには、「バクシーシbaksheesh(英語表記)」という言葉があります。それは、富める者から貧しいものへの施しであり、宗教的-社会的な務めとされます。観光地など人の集まる様々な場所で、子どもや大人たちからバクシーシが求められます。功徳が得られるとされるこの施しに対しては、お礼の言葉はないのが普通です。「お礼の一言」を期待しがちな日本人の多くは、違和感を感じることになります(事例をあげませんが、日本人による多くの体験談が、「バクシーシ」という語をインターネットで検索することによって得られます)。 これらの事例は文化差に関するものでしたが、日本人の間でも、同様のことが起こり得ます。つまり、その集団のお返しの習慣に反することをすれば、「水臭い」「堅苦しい」と言われたり、逆に「礼儀知らず」「恩知らず」と言われたりすることさえあり得ます。  TOP 感謝にともなう感情の文化差   これまで述べた事例は、主に感謝の表現や行動に関するものでした。それでは、感謝の心に文化差はあるのでしょうか。   可能性の一つとして考えられるのは、感謝が生まれる場面で、同時に感じる感情の文化差です。感謝という感情は、負債感、尊敬など様々な感情を伴う可能性があります。例えば、ある文化では、感謝が神への感謝と強く結びついていて、その結果、感謝にはいつも尊敬や畏怖の感情が伴う傾向があるということは、十分に考えられます。また、お返しが強く期待されている社会では、恩恵を受けたときに負債感を感じやすく、感謝が負債感と強く結びつくことも考えられます。  このように考えると、どのような感情が同時に生じやすいかという点で、感謝感情の文化差が考えられます。まだ、研究は不足していますが、次のような研究結果があります。  一つ目は、Morgan, Gulliford, and Kristjánsson (2014)による研究です。彼らは、プロトタイプ分析という方法で、英国の人々の感謝概念を分析し、負債感などのネガティブ感情概念が、米国で行われた研究結果よりも 近接した概念として位置づけられることを見出しています。この結果は、ポジティブな感情としての感謝とすまないという感情が同時に起こりやすいとされる日本の場合とと似ていると思われます。 二つ目は、感謝の経験の効果に関する研究結果です。感謝したいことを想起すること、例えば、毎日、感謝することを3つ思い出すことが、well-being(精神的-身体的-社会的健康)を高めるという結果が、アメリカ合衆国における複数の研究で得られているのに対して、日本と韓国におけるいくつかの研究では、そのような効果がみられませんでした(例えば、日本では、相川充・矢田さゆり・吉野優香、2013。 研究のレビューとして、Kerry, Chhabra, & Clifton, 2023)。考えられる説明の一つは、アジアの文化、なかでも、関係規範を強調する文化では、感謝とともに負債感などの感情が同時に生起しやすいために、感謝の経験を思い出すことは、特に短期的には、主観的な幸福感が増すことは考え難いというものです。 TOP TOP TOP TOP TOP 文化による相違に気づくための枠組み 感謝は、文化に影響されそうな心理的過程を含んでいますので、感謝のあり方が文化によって異なるとしても不思議ではありません。例えば、感謝には、恩恵を与えてくれたものが誰(何)であるのか、そしてどのような理由で恩恵を与えてくれたのかを理解することが含まれています。それによって感謝の気持ちが生まれたり、あるいは感謝をすべきかどうかが判断されます。この過程で、文化によって異なる世界観や道徳的-宗教的義務などが関わることは避けられません。  それでは、恩恵を受けてから感謝の行動に至るまでに、どのような文化差が生まれる可能性があるのでしょうか。A.「感謝が生じるまで」、B.「感謝を感じるとき」、C.「感謝による行動」に分けて整理をしました(表1)。 ***************************************** 表1. 感謝の各々の要素における文化差 (援助を受けたときを例として) A. 「感謝が生まれるまで」- 援助の意味付けに関する文化差 その援助が、その文化 において、a)何によってもたらされたと解釈されるのか、b)どのような意義があるとされるのか、c)どのような価値を生み出したとされるのかによって、感謝の文化差が生まれます。以下に順に説明します。 a)「どのような原因によって援助が行われたとされるか」  例「援助をした人の心や判断」「社会的制度」「神仏などの超越者の意志」「自然の摂理」などが考えられます。それによって、感謝の対象や程度は変わります。   b)「その援助はどのような意義をもつとされるか」   例「道徳的な義務を果たすこと」「社会的義務を果たすこと」「宗教的義務を果たすこと」など。 例えば、その援助が義務として課せられている 社会では、その援助行為は、感謝の対象からはずされる傾向があります(ただし、義務を果たさないときには制裁が加えられます)。 一方、その行為が義務ではなく、また高く評価される 行為の場合には、感謝や賞賛の対象とされます。 *参考 文化における「当たり前」   義務に似た概念として「当たり前」という概念があります。いろいろな状況で、「当たり前」とされる心のあり方や行為があります。当たり前の行為や心は、感謝の対象にはならない傾向があります。そのため、感謝されるのを断るためによく使われる言葉として、「当たり前のことをしただけです」という言葉があります。    一方、当たり前ではないとなると 、あらためて考え直すべき事柄になります。そして、その結果、あらためて感謝すべき対象となることがあります(場合によっては、逆に非難の対象になることもありますが)。したがって、感謝をしない人に感謝を促すための方策の一つは、他者からの恩恵を当たり前とすることに疑問を投げかけることです。  ところで、「当たり前」とはどのような意味でしょうか。「当然のこと」「人間として当然為すべきこと」などの回答が得られるでしょう。それぞれの社会における「当たり前」の内容は異なる可能性があります。そして、その結果、感謝の文化差が生まれることになります。 c)「援助によってもたらされたものにどの程度の価値が認められるのか」  文化の価値体系は多様です。例えば、物質的利益にあまり価値を与えない文化では、物質的な援助を受けても大きな感謝にはならないでしょう 。 B. 「感謝を感じるとき」- 経験する感情の文化差  援助を受けたときに感じる感情は、その援助を 「神仏による救い」と解釈したり、 「社会制度による救済措置」とみなすなど、援助の意味づけによって変わります。状況における感謝の意味づけは、文化により異なる可能性があり、そのため感謝の際に感じる感情に文化差が生じる可能性があります。例えば、その援助が、神仏によって導かれたものとされれば、神仏に対する感謝と畏敬を感じることでしょう。また、援助者の思いやりによるものとされるのであれば、援助者に対して、感謝、親しみなどを感じることでしょう。     経験する感情の例  「ポジティブな感謝の感情、愛着」「負債感」「畏怖」「尊敬」「すまなさ」「恥」など。      C. 「感謝による行動」- 感謝の表出、反応の文化差  援助の意味づけ(A)と経験する感情(B)の文化差 は、感謝による行動の文化差をもたらします。加えて、感謝の感情表現の方法や、恩恵に応える方法(手段や時期 )は、さまざまな歴史的、文化的要因によって規定されます。   例  「感謝の感情を表現することへの社会的期待(感情を表わすことへの評価」「神仏への感謝を表現するさまざまな方法」など。   この表は、感謝の文化的相違に気づくために役立つかもしれません。しかし、それらの文化差についての理論的説明は、今後の課題です。   *******************************************  他の文化との交流のためにも、感謝の文化的な普遍性や相違を知る必要があるのは確かです。しかし、現在、すでに多くの多様な文化が存在し、これからさらに文化の多様性が認識されるようになることでしょう。信頼できる「感謝の文化的普遍性と相違の理論」が構成されるためにはさらに多くの研究が必要です。  このような状況で、私たちができることは、感謝に関する文化差の可能性を理解した上で、他の文化の人々と交流を重ねていくことではないかと思います。  このセクションの最後に、一言加えたいと思います。これまで文化における感謝のあり方を、一端固定した上で、感謝のあり方の文化的相違を考えてきました。しかし、文化交流の結果、感謝のあり方について文化間で学びあうという現象も無視できません。私たちの現在の感謝のあり方を、他の文化との交流の結果としてみる視点も必要です。 * 参考  注意 音声が出ます。 英語落語です。題目は、日本語の「ありがとう」は何通り? RAKUGO IN ENGLISH - 47 WORDS FOR "THANK YOU" 吉本興業所属カナダ人落語家、桂三輝(かつらサンシャイン)さんの落語。日本語における感謝の言葉が多いことを描いています。2023.9.1アクセス  文献 相川充・矢田さゆり・吉野優香 (2013). 感謝を数えることが主観的ウェルビーイングに及ぼす効果についての介入実験.東京学芸大学紀要 総合教育科学系1,64, 125-138. Holmes, H. & Tangtongtavy,H. (1995). Working with the Thais:A guide to managing in Thailand.  Bangkok: White Lotus. カント、イマニュエル (1797/1969). 吉沢伝三郎・尾田幸雄訳 『カント全集第11巻人倫の形而上学』 理想社 (原著は、Die Metaphysik der Sitten, 1797年出版 ) Kerry, N., Chhabra, R., & Clifton, J. D. (2023). Being Thankful for What You Have: A Systematic Review of Evidence for the Effect of Gratitude on Life Satisfaction. Psychology Research and Behavior Management, 16, 4799-4816. Morgan, B., Gulliford, L., & Kristjánsson, K. (2014). Gratitude in the UK: A new prototype analysis and a cross-cultural comparison. The Journal of Positive Psychology, 9(4), 281-294. 村山孚 (1995).『中国のものさし・日本のものさし』 草思社 Naito, T. and Washizu, N. (2015). Note on cultural universals and variations of gratitude from an East Asian point of view. International Journal of Behavioral Science 10(2), 1-8.   大崎正瑠(1998).『韓国人とつきあう法』 東京:筑摩書房 斉藤親載 (1999). 『タイ人と日本人』 東京:学生社  Singh Deepak (2015). “I’ve Never Thanked My Parents for Anything” The Atlantic. JUNE 8, 2015, Downloaded 2020.11.22. https://www.theatlantic.com/international/archive/2015/06/thank-you-culture-india-america/395069/ 補足  感謝を表わす言葉のない社会(自他の結合性、援助の義務性と慣習化)  ページ「資料室」へ➩ TOP

  • 感謝とは何か、感謝の典型と周辺、そして感謝のもつ意義|生涯における感謝の心

    感謝とは何か   -感謝の典型、周辺、そして意義 (内 藤俊史・鷲巣奈保 子、 20 20.8.4 最終更新日  2024 .5 .4 ) サイトメニュー クリックで該当ページへ移動  【生涯における感謝の心 】TOP 感謝とは何か-感謝の典型、周辺、そして意義 感謝の力 心理的負債感とすまないという心の力 感謝の文化差と文化摩擦 感謝の発達 感謝の問題点 サイト・主催者紹介   【補足】神道と仏教における感謝 【補足】 感謝と親しさのパラドックス 【補足】感謝に至る判断 資料室 検索結果 あらためて、感謝とは何かを考えます。そして、私たちにとって感謝がどのような意義をもつのかを考えます。 このセクションの内容 感謝の典型 ⇒ 感謝の典型の周辺1-意志をもたないものへの感謝 ⇒ 感謝の典型の周辺2-負債感とすまないという感情 ⇒ 感謝の典型の周辺3-心と行為 ⇒ 感謝の核にあるもの — 向き合った上での敬意 ⇒ 感謝の心の意義 ⇒ [補足](長文3,000字以上) ⇒    感謝の言葉をめぐって    感謝の 定義をめぐって アンカー 3 感謝の典型   どの言葉でも、いざ定義をするとなると簡単ではありません。「感謝」も同じです。そこで、初めに、感謝の典型(中心的な例、プロトタイプ prototype) を考えたいと思います。それは、「感謝」という言葉を聞いて最初に思い浮かべるイメージといってもよいかもしれません。なお、類義語とされる「ありがたい」という語を使わずに説明を試みました。 感謝の典型 (プロトタイプ) 「他者による善意にもとづく自発的な行為によって、自分に利益や幸福が生まれたとき に経験する、その人に対する敬意にもとづく親愛の感情」 なお、この「感謝の典型」は、最近の心理学の動向に従って、感謝におけるポジティブな感情に焦点を当てています。つまり、 恩恵を受けたときに同時に経験しがちな「すまない」という感情や「負債感 (借りを作った感じ)」 (注1) は 、この「感謝の典型」には含まれていません。それらの感情があってこその感謝だという人も少なからずいると思いますが、このサイトでは、関連する重要な感情として、それらの感情を扱います。 とはいえ、ここであげた「感謝の典型」は、多くの人々にとって、感謝という概念の中心付近に位置するのではないかと思います。  しかし、それは感謝の典型であるとしても、感謝はその周辺に無視することのできない重要な領域を携えています。 感謝の典型の周辺1-意志をもたないものへの感謝  上記の感謝の典型には、「善意にもとづく自発的な行為によって」という条件が含まれています。しかし、この条件を充たさない感謝のグレーゾーンもあります。   例えば、農作物を育ててくれる自然に対して、多くの人々は感謝を表明します。しかし、日常の会話では自然が意志や感情をもつかのごとく語られることは珍しくはないものの、「正式の意見」として自然が意志をもつと主張する人は少数派であると思います。  つまり、私たちの多くがもつ「自然への感謝」の場合、「善意にもとづく自発的な行為」という条件は当てはまりそうもありません。   そこで、前に述べた「感謝の典型」を典型として認めた上で、次にあげるような、さらに広い範囲の「感謝」に光を当てる必要があります。 「自分の幸福や利益が、生物、非生物を問わず他に起因するときに感じる、それ(ら)に対する敬意にもとづく 親愛の感情」   感謝の典型の周辺2-負債感とすまないという感情 「感謝」を感じる場面では、同時に別の感情を感じることがあります。その主たるものとして、心理的負債感やすまないという感情をあげることができるでしょう。 「心理的負債感」は、お返しをしなければならないという義務感、そして「すまない」という感情は、期待されている役割を果たさなかったときなどに生じる、他者への迷惑に対する自責の感情と言えるでしょう。  前にも述べましたが、これらの感情を、初めから「感謝」や「感謝の心」に含めるべきだという立場も考えられますが、このサイトでは、それらは感謝と深い関係をもつ別の感情として扱います。しかし、これらの感情が感謝とともに生じることは多く、感謝について探究する上で、それらを含めることは不可欠です。 参考 実例という訳ではありませんが、「すみません」という言葉を頻繁に使い、感謝の場面で「すみません」という言葉を使う人をとりあげたCMです。 東京ガス CM 家族の絆 「くちぐせ」篇  2017/01/10 アクセス) 注意 音声が出ます。 感謝の典型の周辺3 心と行為  これまで、感謝について考えてきましたが、その際、感謝の気持ちや感謝の感情など、「心」を念頭に置いて話を進めてきました。しかし、あらためて考えると、感謝は、心だけの現象ではなく、行為を含む現象ではないかと思います。実際、辞書には次のように書かれています。 「感謝」 ありがたく感じて謝意を表すること。「 ― のしるし」「心から ― する」(『広辞苑』第6版 岩波書店、2008 年) 。     「ありがたく感じて」までは心の姿ですが、「謝意を表する」は行為です。 そこで、このサイトでも、「感謝」を「感謝の心」と「感謝の行動 (感謝を表す行為)」をカバーするものとします。もちろん、感謝の心と感謝の行動は、いつも一致する訳ではありません。感謝の気持ち(心)があっても、それを行動として表わすことができなかったという経験は、多くの人がもっていると思います。また、感謝の気持ちをもつことと、感謝を表わすこととは、それぞれ別の意義や機能をもつ可能性もあります。  このサイトでは、「感謝」という語は、感謝の心と行動を含みますが、感謝の心と感謝の行動とを分ける必要があるときには分けて記述します。  また、「感謝の行動」と似た概念として、「感謝の心によって生じた行動」という概念、言葉があります。それは、感謝を表わす行動だけではなく、感謝の心が原因となって生まれたさまざまな行動を意味します。   感謝の核にあるもの―向き合った上での敬意 感謝の典型をもとに、感謝の意味について考えてきました。ここ では、単に「感謝」という言葉の意味というよりも、感謝のもつ重要な性質、感謝の核心となるものについて考えます。それは、私たちが感謝に対してもつ価値と言ってもよいでしょう。  感謝を表すときによく用いられる「ありがとう」という言葉は、「有り難し」(=まれである、貴重である)に由来するという説があります。感謝には、ものごとを当たり前とする日常性を超えて、「普通ではない」「貴重である」「尊重すべきである」という感覚がその根底に含まれます。  このことを踏まえた上で、さらに、感謝の性質を考えてみましょう。   感謝には、自分の幸福が「他」つまり他の人、事物、事柄によってもたらされたという認識が含まれます。そして、先に述べたように、そのことが貴重であるという認識と、相手への敬意がともないます。比喩的な言い方をすれば、相手を一つの人格として認めて向き合い、敬意をもつことといってもよいでしょう。  このような感謝の性質は、次のような機会に垣間見ることができます。 ・子どもたちに対する「ありがとう」という言葉は、「よくできました」という誉め言葉とは別の意味をもちます。誉め言葉は、「私のもつ基準に照らしてよくできました」という認定や承認の意味をもちます。それに対して、「ありがとう」という言葉は、子どもたちに、一人の人間としての敬意を伝えることになります。 ・激しい敵対関係が続き、不幸にも相手に敬意のひとかけらも感じられなくなってしまったときを想像してみましょう。そのようなとき、その相手から何がしかの援助を受けたとしても、感謝の気持をもつためには時間がかかることでしょう。それは、感謝のなかに「敬意」が含まれているからです。むしろそのような人物から助けられたことに屈辱さえ感じるかもしれません。ただし、もし少しでも感謝の気持ちを感じたとき、関係は変わりつつあります。   ・親しい友人にあらたまった形でお礼や感謝をしたときに、困惑され「みずくさい」という言葉が返ってくることがあります(最近ではこの言葉はあまり使われないのかも知れませんが)。 このような応えの理由は何でしょうか。一つの説明は、感謝が、一つの人格として、いったん自分から切り離された相手に対する感情だからだというものです。つまり、感謝には、相手と自分とをそれぞれ独立した人格として、切り離して認識することがともない、そのことが、相互の一体感に水を差すからだという説明です。蛇足ですが、このような点を考えると、育ててくれた人々からの巣立ちとしての結婚式や卒業式など、感謝は別れのときがよく似合います。                          アンカー 2 アンカー 11 TOPへ 12 アンカー 13 アンカー 14 TOPへ TOPへ TOPへ TOPへ TOPへ TOPへ 感謝の心の意義   感謝の心の意義や大切さはいろいろな分野で述べられています。学校教育における道徳教育では、感謝は道徳の内容項目として学習指導要領に含まれています(例えば小学校について、文部科学省、2017、 p.42) 。また、書店では「自己啓発」の棚に感謝に関わる書籍を見つけることもあるでしょう。しかし、感謝の大切さは、多くの人々によって唱えられてはいるものの、それがどのような意味において大切なのかというと、必ずしも一致している訳ではなさそうです。  そこで、感謝の意義を、「感謝が もたらすもの」「感謝自体」「感謝を もたらすもの」という三つの観点から整理をしたいと思います(Naito & Washizu, 2021より )。  A.  感謝がもたらすものに注目➡「感謝の心は、自分や他者に利益や幸福をもたらすので重要である」    感謝は、結果として自分自身や周囲の人々に幸福をもたらすことがあります。それは、感謝のもつ重要な意義の一つです。このサイトの「感謝の力」 というページ では、「感謝は力をもつ」という立場に基づいて、感謝がもたらすものについて説明しています。 B. 感謝自体に注目➡「感謝の心は、それ自体、道徳的な意義をもつ」   感謝は、幸福を導くから大切なのではなく、感謝そのものが意義をもつのだという考えです。人は、他の人々との関係の下に生きていますが、お互いに人格を認め合うことは、人間としての関係を成り立たせる道徳的な基礎といってよいでしょう。他者からの恩恵に対して感謝をすることは、他者の人格を認めることであり、人間的な相互的な行為における大切な基礎であるという考えです。 なお、相手の人格を認めるということは、その人の意見の正しさを認めることと同じではありません。   C.  感謝を もたらすものに注目➡「感謝は、その人の心や過去の生き方を映し出す鏡として意義をもつ」  感謝は、感謝をする人の心のあり方の表れでもあります。家族に対して不満ばかり話していた青年が、家族に対する感謝の気持ちを表わすようになったとき、重要なことは、感謝をするようになったこと以上に、なぜその青年が感謝をするようになったかということでしょう。感謝のもととなった心の変化は、その青年の重要な心の変化であることがあります。感謝は、複雑な心の姿を映しだす鏡として重要な意義をもちます。  また、感謝は、人生における自分と他との関係を映し出す 鏡になることもあります。感謝しつつ人生の最期をむかえたいという言葉を、人間の生き方をテーマとする書物のなかに見出すことががあります。  例えば、次のような言葉があります。 「最期に、自分が受けたすべてのものに感謝して、「ありがとう」と言って死んでいける生き方、死に方がしたい」(日野原、2006、 p.16)。  この場合、感謝は、人生における自分と他との関係を映し出す鏡になります。それでは、人生の最後に感謝をもたらすような生き方とはどのような生き方なのでしょうか。それは、感謝の意義を探究するときの究極の問いと言えるでしょう。   文献 日野原重明 (2006). 有限の命を生きる. 週刊四国遍路の旅編集部『人生へんろ-「いま」を生きる30の知恵』、講談社. 文部科学省(2017). 『小学校学習指導要領解説 特別の教科道徳編 』(平成29年)、 downloaded 2022.8.17.     Naito, T., and Washizu, N. (2021). Gratitude in Education: Three perspectives on the educational significance of gratitude. Academia Letters, Article 4376. https://doi.org/10.20935/AL4376.     TOPへ 補足・参考資料 (ページ「資料室」) 次にあげるのは、それぞれ3,000字以上の私たちのレポート(PDF文書)です。感謝の定義に関する21世紀初めの心理学の状況と社会言語学の 研究成果を紹介しています。 1. 感謝の言葉をめぐって➩ 代表的な感謝の言葉である「ありがとう」と「すみません」の使用に関する研究結果をまとめています。 2. 感謝の 定義をめぐって ➩   哲学や心理学における感謝の定義について説明をしています。 セクション本文終わり TOPへ アンカー 1    注1 負債感: 他者にお返しをする義務がある状態で生じる、返報の義務の感情 (Greenberg, 1980)。 このサイトでは「心理的負債感」という語も用いますが、両者を区別をしていません。また、このサイトでは、「負債感」や「心理的負債感」等を、快く感じられないという意味で「ネガティブ感情」と呼んでいます。それは、好ましくないということを意味している訳ではありません。 すまないという感情: 相手に迷惑を与えたことに対して感じる自責の感情。相手のもつ期待にそぐわなかったことに対する感情も含まれます。このサイトでは、感謝とともに感じやすい「ネガティブ感情」の一つとして取り上げられています。 文 献 ・Greenberg, M. S. (1980). A theory   of  indebtedness. In K. J. Gergen, M. S. Greenberg, & R. H. Willis (Eds.), Social exchange: Advances in theory and research. (pp.3-26). New York: Plenum Press. ・Washizu, N., & Naito, T. (2015). The emotions sumanai, gratitude, and indebtedness, and their relations to interpersonal orientation and psychological well-being among Japanese university students. International Perspectives in Psychology: Research, Practice, Consultation. 4(3), 209-222. 本文元へ戻る

  • 感謝の発達|児童期、青年期、成人期、老年期における感謝の心| 生涯における感謝の心

    感謝の発達― 児童期から高齢期まで (内 藤俊 史 ・鷲巣奈 保子、2020.8.4 最終更新日 2024.7.6)   サイトメニュー クリックで該当ページへ移動  感謝の心や行動は、年齢とともにどのように変わっていくのでしょうか、そして、生涯のそれぞれの時期で、感謝はどのような意義をもつのでしょうか。 アンカー 1 【生涯における感謝の心 】TOP 感謝とは何か-感謝の典型、周辺、そして意義 感謝の力 心理的負債感とすまないという心の力 感謝の文化差と文化摩擦 感謝の発達 感謝の問題点 サイト・主催者紹介   【補足】神道と仏教における感謝 【補足】 感謝と親しさのパラドックス 【補足】感謝に至る判断 資料室 検索結果   このセクションの内容 年齢と感謝➩ 児童期まで- 「感謝」の習得➩ 青年期-自己アイデンティティの探究と感謝の再構成➩ 成人期-家族、 社会に対する責任と感謝➩ 高齢期-人生の意味づけと感謝➩ 参考   年齢とともに変わる感謝の歌(資料室へ)➩ TOPへ TOPへ TOPへ TOP TOPへ TOP アンカー 10     TOP 年齢と感謝   私たちは、生涯を通して「他」との関わりのなかで生きています。「他」との関わりは、成長とともに広がり、変化をします。人は、その都度生じる新たな課題、つまり発達上の課題に取り組みます(Erikson, 1977,1980)。感謝の心や行動は、それぞれの時期における発達上の課題に取り組むなかで、様々な姿を表わします。  次にあげる表1は、それぞれの時期における感謝の姿または感謝のテーマです (詳しくは、Naito & Washizu,2019 )。発達の時期の区分については、研究者によってさまざまな区分が提案されていますが、ここでは、「児童期」「青年期」「成人期」「高齢期」という 区分を採用しています。 表1 発達の各時期における感謝 のテーマ -------------------------- [児童期とそれ以前 ] 感謝の言葉や行動、そしてその背景にある感謝の目的・効用、感謝に関わる基本的なルールを習得します 。  [青年期] 社会的-歴史的世界において自分は何者なのか、つまり「自己アイデンティティ」を探究します。より広い視野の下で、これまで感じてきた感謝の意義やその適切性をあらためて問い直します。 [成人期]   家族や社会を維持、発展させる責任とともに、次の世代へのつながりを自覚します。感謝の対象と強さは、責任を果たすための関わりを認識するにつれて拡大をします。 [高齢期]   人生を振り返り、人生の意義を考えます。社会、世界、自然の歴史のなかに人生を位置づけ、あらためて感謝の対象や感謝のあり方を探ります。  ----------------------------  以下、「児童期とそれ以前」「青年期」「成人期」「高齢期」の各時期における感謝のテーマについて説明をします。 テキストです。ここをクリックして「テキストを編集」を選択して編集してください。 TOP 児童期まで ― 「感謝」の習得 ( 研究結果を含む詳しい説明 ページ資料室へ移動 ⇒ )    この時期における感謝のテーマは、 感謝の表現(言葉や行動)と、感謝の意義を学ぶことです。しかし、そのことは、児童期において、感謝という「心理-行動」のセットが、新たに獲得されることを意味している訳ではありません。 第一に、感謝には、人の動機の理解や因果関係の認識など、さまざまな知的能力や知識が前提とされています(このサイトの頁「感謝の判断の構造」 参照)。それら感謝の源資は、感謝の行動や意味を学ぶ前から育ち始めています。  第二に、感謝の行動と意義の習得は、児童期で完了するという訳ではありません。生涯を通じて、感謝のあり方は発達を続けます。ゲームでたとえれば、ゲームの規則を学びゲームの参加資格を得た後も、そのゲームに強くなるための技や能力が必要になるのと似ています。   児童期には、感謝の基本的な特徴のいくつかが学ばれます。  感謝の行動(言葉)   子どもたちは、「何かをもらったときにはありがとうと言う」など、単純な感謝の社会的ルーティンから学び始めると考えられます。単純な学習のようですが、次に紹介するアメリカ合衆国で行われた研究が示すように、さほど簡単な学習ではありません。  Grief and Gleason (1980)は、5 歳の子どもたちが、親と一緒にいるときに挨拶や感謝の言葉を話すかどうかを、実験室のなかで観察しました。その結果、86%の子どもは、親がきっかけや手がかりを与えたときに感謝の言葉を発しましたが、それらがないときには、感謝の言葉を声にした子どもは7%に過ぎませんでした。  さまざまな状況で 自発的な感謝の行動が可能になるためには、それに応じた知識と能力の獲得が必要になりそうです。     感謝の概念   子どもたちは、より洗練された感謝のルールや感謝の目的・効果を学びます。 児童期における次のような変化が、これまでの研究によって示唆されています。    児童期の初め   およそ小学校低学年までの子どもたちの感謝は、恩恵を与えてくれた人の意図や、費やされた負担(コスト)が十分に考慮されない傾向にあります。この時期の子どもたちが、恩恵を与えてくれた人の立場 に立って考えることが難しいことが、一つの原因と考えられます。このような場合の感謝の典型は、「Xをしてもらったらありがとうと言う」といった紋切り型の感謝です。     児童期の後期    小学校の高学年になると、恩恵を与えてくれた人の意図が、その人に感謝をするかどうかの重要な決定因になります。つまり、恩恵を与えた人が、規則や義務、あるいは他者からの命令によるのではなく、「相手のために」という自発的な意思に基づいて恩恵を施したときに、感謝を受けるに値すると考えるようになります。   また、恩恵を与えた人が費やした負担(コスト)に応じて、感謝の程度は異なるべきだと考えるようになります。  したがって、「高い犠牲を払ってでも、自分のために自発的に恩恵を与えてくれた人」への感謝は強くなり、相互の関係は強められます。つまり、感謝は、特定の関係を強めることに寄与するようになります 。 TOP 青年期 ― 自己アイデンティティの探究と感謝の再構成  青年期の年齢区分については諸説ありますが、ここでは10代前半から20代後半を想定します。青年期のあり方には個人差も考えられますが、典型的と思われる感謝のあり方を描くことにします。  青年期において、社会的世界は、認識の上でも活動の上でも広がります。児童期で築かれた他者との関係は、より広い社会的視点からとらえられるようになります。そして、あらためて、「自分は何者か」という問いかけ、つまり自己アイデンティティの探究が始まります。このような青年期の特徴は、青年期以前における感謝のあり方への疑念と再考を促します。 青年期の初め-感謝の対象の再考  拡大された社会的な視野に基づいて、それまで感謝の対象とされていた事柄や人々が、感謝の対象として相応しいものであるのか、あらためて問われます。場合によっては、これまで感謝の対象であった親に対する不信や反抗を伴います。   再考の過程では、自分が感謝すべき対象に十分な対応(恩返しなど)をしてきたのかという点にも、反省の目が向けられるようになります。自分が、感謝をすべき対象に対して相応しい対応をしていないと思ったときには、「すまない」という気持ちをもつ可能性が生まれます。  池田(2006)は、中学生から大学生を対象に、青年による母親への感謝について調査をしました。その結果、これまで親から受けてきた恩恵に対して十分に答えていないという感覚によって、「すまなさ」の感情の高まる時期(「母親に対する感謝の自責的な心理状態」)を示唆しています。   青年期の終わり -社会的な視野の下での感謝  その後、職業につくなど、いわゆる社会への参入を果たし、 責任を伴う自立が求められるようになります。また、他者からの恩恵は、その背景にある社会的状況や歴史的状況の因果関連のなかで理解されるようになります。例えば、親から受けた恩恵には、そのような親の行動を可能にした社会的、歴史的背景があることを認識し、より広範囲の対象が自分の幸福と関わりをもつと認識されるようになります。そして、「社会への恩返し」などより広い範囲への恩返しを考えることが可能になります。    TOP 成人期- 家族、 社会に対する責任と感謝      ここでは、20代後半から60代前半にかけての時期を成人期とします。  成人期に、特性感謝(感謝の傾向)が高まる傾向が見いだされています。Chopik, Weidmann, & Purol(2022)は、日本を含む88か国におけるインターネットによる大規模な質問調査の結果を分析したところ、各国で共通して、およそ20代後半(25-34歳)から60代前半(55-64歳)までの間、特性感謝つまり感謝傾向が高まることを見いだしました 。    いろいろな解釈が可能です。20代後半になって、家族や職をもつなど安定した社会的関係をもち、自分の幸福に他者が貢献していることに気づく人が多くなるのでしょうか。    TOPへ TOP TOP 高齢期-人生の意味づけと感謝 高齢期の定義やその時期についても、時代的変化や文化差があります。ここでは、およそ65歳以上を高齢期とします。 高齢期は、個人差が大きいといわれます。高齢期の人々を囲む環境に個人差が大きいこと、そして身体的な健康に関しても個人差が大きいからだと考えられます。また、高齢期といっても、初期と後期、さらには超高齢期では相違がみられます。それことを踏まえた上で、高齢期の一般的な傾向を考えたいと思います。   質的な変化と量的な維持 前に引用したChopikら(2022)の分析によると、高齢期以降は、量的な特性感謝つまり感謝の気持ちのもちやすさの程度はあまり変化がないとされています。 しかし、日本の10代から60代の男女に対して、感謝の対象を調べた調査によると、60代では、他の年代に比べて、次の項目への感謝が大きいという結果が得られています―日常生活のささいなこと、自分が生まれてきたこと、自然の恵み、いのちのつながり、自分が過去に苦労したこと、自分が置かれている環境、自分の健康状態、運命、神あるいは仏に対する感謝(池田、2015)。  およそ60歳以降、量としての特性感謝(感謝の気持ちのもちやすさの程度)には変化がないものの、感謝の対象の変化という質的な変化が生じていると考えられます。さらに推測すると、高齢期の初期とされる60代から、感謝の質的な変化が始まり、その結果、特性感謝つまり感謝をする傾向全体は減少しないという解釈も可能です。 高齢者の共通性と発達上の課題 高齢者の一般的な特徴は、身体的に活動可能な領域が狭くなること、そして、自分の生の限界を意識することでしょう。このような条件の下で、この時期の発達上の課題を引き受けます。Erikson (1977) は、生涯にわたる心理的発達の8つの段階を提唱しました(最終的には9つ目の段階が設定されました)。高齢期に当たる第8段階において、人々は自分の人生の意義を、社会-歴史的文脈のなかに見いだし、最終的には死を穏やかに受け入れるという課題を引き受けます。 世界観と人生の物語 人生の意義を見いだす過程で、自分の人生を位置づけるための背景が必要になります。背景には、社会史観、物理学的宇宙史観、先祖から続く家族史観など、様々なものが考えられます。 高齢者にとって、どのような世界を描くのか、そしてその世界のなかでどのように自分を位置づけるかが課題になります。そして、その「世界」において感謝がどのような働きをするか、あるいは感謝がどのように位置づけられるのかが、このサイトにおける私たちの問いです。 これらの点について、老年学や老年心理学の領域で注目されている「老年的超越」という概念は示唆に富みます。  老年的超越理論は、スウェーデンの社会学者、ラーシュ・トーンスタムLars Tornstamによって提唱された、高齢期に生じる価値観の変化と心理的適応との関連を説明する理論です。老年的超越理論によれば、高齢期において、物質主義的で合理的な世界観からより宇宙的で超越的な世界観への移行(これを老年的超越という)が生じ、そのような価値観の変化とそれに伴う心理・行動の変化が、高齢期における主観的幸福感の維持・向上に寄与しているとされます(Tornstam, 2017/2005)。この過程において、感謝が大きな役割を担っていると、私たちは考えています。 一方、日本の高齢者に同様の老年的超越インタビューを行った研究によると、いくつかの共通点が見いだされたものの、宇宙的な視野とは別に、先祖とのつながりに言及する回答が見いだされました(増井、2016 )。  これらの研究結果をみると、抽象的な世界観のなかに自己を位置づけるタイプとともに、既に亡くなられた方との関係を介在にして、先祖や神仏の世界との関わりを志向するタイプがあると考えられます(Naito & Washizu, 2021) 。  例えば、「お迎え」という現象があります。亡くなられた方から、生前に、既に亡くなられていた親族からの「お迎え」があったという話を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。  東北のある地域で行われた終末介護の経験者に対する調査によれば、42.3%の方からお迎え現象が報告され、その内52.9%が亡くなっている家族や友人でした(諸岡, 相澤, 田代, 岡部,2008) 。自分自身を位置づける死後の世界のイメージに関わる示唆的な現象と言えるでしょう。  もちろん、他にも様々な世界が、個人に応じて描かれることでしょう。各自が描く世界において、感謝はどのような役割をもつのでしょうか。それぞれの人々が適切な世界を描くために、どのようなサポートが可能なのでしょうか。   探究すべき課題が残されています。 文献 Chopik, W. J., Weidmann, R., Oh, J., & Purol, M. F. (2022). Grateful expectations: Cultural differences in the curvilinear association between age and gratitude. Journal of social and Personal Relationships, 39(10), 3001-3014. エリクソン、E.H., 仁科弥生訳(1977、1980). 『幼児期と社会1、2』、みすず書房. Gleason, J. B., & Weintraub, S. (1976). The acquisition of routines in child language. Language in Society, 5(02), 129-136. Greif, E. B., & Gleason, J. B. (1980). Hi, thanks, and goodbye: More routine information. Language in Society, 9(02), 159-166. 池田幸恭(2006).「青年期における母親に対する感謝の心理状態の分析」教育心理学研究  54巻 487‒497. 池田幸恭(2015).感謝を感じる対象の発達的変化. 和洋女子大学紀要 、55、65-75. 増井幸恵(2016). 老年的超越 日本老年医学会雑誌、53、 210-214.https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/publications/other/pdf/perspective_53_3_210.pdf 諸岡了介, 相澤出, 田代志門, 岡部健 (2008). 現代の看取りにおける<お迎え>体験の語り : 在宅ホスピス遺族アンケートから.死生学研究  第9号、東京大学グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」、2008年3月9日、205-223頁. 内藤俊史(2019).  青年期における心理的自立―感謝感情のあり方を通して―. 野間教育研究所紀要 、第 61 集青年の自立と教育文化、238-268. Naito, T. and Washizu, N. (2019). Gratitude in life-span development: An overview of comparative studies between different age groups. The Journal of Behavioral Science, 14, 80-93. Naito, T., Washizu, N. (2021). Gratitude to family and ancestors as the source for wellbeing in Japanese. Academia Letters, Article 2436. https://doi.org/10.20935/AL2436 トーンスタム、ラーシュ (2017). 冨澤 公子 (翻訳), タカハシ マサミ.『老年的超越―歳を重ねる幸福感の世界―』. 晃洋房. (Tornstam,L:Gerotranscendence;A Developmental Theory of Positive Aging . Springer Publishing Company, New York, 2005).   Wood, A. M., Froh, J. J., & Geraghty, A. W. (2010). Gratitude and well-being: A review and theoretical integration. Clinical Psychology Review, 30(7), 890-905.  高齢者の感謝についての私たちの論文とレポート [心理学等の研究結果] 鷲巣奈保子・内藤俊史(2022).高齢者における感謝の特徴と機能. お茶の水女子大学人文科学紀要  第18巻、157-168. PDF文書 ➩. [老年的超越と日本文化] 日本における老年的超越(約1,500字)日本語.(資料室ページへ)➩ [日本における祖先への感謝] 高齢者における家族と先祖への感謝(約5,000字)日本語(資料室ページへ)➩ ・  英文のオリジナル文書.➩ 参考  年齢とともに変わる感謝の歌 (資料室)へ移動➩ テキストです。ここをクリックして「テキストを編集」を選択して編集してください。

  • 感謝に関わる解説資料|生涯における感謝の心

    アンカー 2 資料室 最終更新2024 .8.10 【生涯における感謝の心 】TOP 感謝とは何か-感謝の典型、周辺、そして意義 感謝の力 心理的負債感とすまないという心の力 感謝の文化差と文化摩擦 感謝の発達 感謝の問題点 サイト・主催者紹介   【補足】神道と仏教における感謝 【補足】 感謝と親しさのパラドックス 【補足】感謝に至る判断 資料室 検索結果 各ページの補足的な話題をこのページに収めました。それぞれの話題は、関連ページからリンクされています。タイトルをクリックすると、該当文書へ進みます。 感謝の言葉をめぐってー「ありがとう」「すみません」など     感謝の定義をめぐって     道徳的な力としての感謝   感謝を表わす言葉のない社会(自他の結合性、援助の義務性と慣習化)     年齢とともに変わる感謝の歌 感謝の発達 ― 乳児期から児童期 青年期における感謝 日本における老年的超越 高齢者における家族と先祖への感謝   小さな謎   サイトメニュー クリックで該当ページへ移動  感謝の言葉をめぐってー「ありがとう」「すみません」など (内藤俊史・鷲巣奈保子、2020)   「感謝とは何か」のページへもどる 人から恩恵を受けたとき、私たちは、恩恵を与えてくれた人やものに対して、いろいろな方法で感謝を伝えようとします。そこで用いられる言葉は、「ありがとう」「すみません」等、多様です。それらの言葉の使用やその背景となる心理は、社会言語学者によって検討されてきました。ここでは、それらの研究結果のいくつかを紹介します。 「感謝系」と「謝罪系」  他者から恩恵を受けたときに使われる言葉にはいろいろなものがありますが、それらは「感謝系」と「謝罪系」として分類されることがあります(例えば、岡本 1991、1992 )。前者は、「ありがとう」という言葉のように、恩恵を与えてくれた対象に対する愛着や尊敬を含むポジティブな感情を含む言葉です。そして後者は、「すみません」のように、恩恵を与えてくれた対象に対して、負い目や後悔など、ネガティブな感情も含む言葉です。   以下に、それぞれの言葉の来歴などについて紹介します。 「感謝とは何か」のページへもどる 「ありがとう」感謝系    感謝は、さまざまな言葉によって表現されます。東京では、「ありがとう」「ありがとうございます」がよく用いられます。各地の方言をみると、関西地方では「おおきに」、島根県や愛媛県では「だんだん」が方言として知られています。ところで、「ありがとう」の語源は、「有り難し」とされます。つまり、あるのは難しい、つまり、存在し難いこと、貴重なことという意味であり、仏教の世界で貴重な教えなどに対して用いられたものが、近世以降、感謝を意味する語として人間に対しても用いられるようになったといいます(山口、1988)。 「すみません」謝罪系  「すみません」という言葉は、感謝を表現するときだけではなく、謝罪の際にも用いられる言葉であり、その使用や背後に想定される心理について、内外の社会言語学者の関心を集めてきました(例えば、Coulmas、1981: 岡本、1991、1992: 三宅、1993)。  歴史的には、謝罪のために用いられた言葉が感謝を表すために使われるようになることは古くからみられるそうで、江戸時代には「はばかり」、明治以降は「すまない」という言葉がその例であるといわれます(西村、1981)。また、「かたじけない」という言葉は、現在でも時代劇などで聞くことがあります。この言葉は、平安時代からある言葉で、「すまない」とほぼ同義であったようです。  民俗学者の柳田国男によると、すまないとは、心が澄んでいないという意味であり、相手が自分に対して期待以上の不釣り合いな行為をしてもらったために、自分の心が安らかではないという意味であるといいます (柳田、1964)。    「感謝とは何か」のページへもどる 二つの言葉はどのように使い分けられるのか  それでは、現代において、謝罪の際にも用いられる「すまない」という言葉を初めとする謝罪系の言葉と、もっぱら感謝の目的で用いられる「ありがとう」などの感謝系の言葉は、どのように使い分けられているのでしょうか。  佐久間 (1983)は、「許しを乞う気持ち-自責-恐縮-喜びという心理の連続線に沿う形で、「ごめんなさい」-「すみません」-「恐れ入ります」-「ありがとう」という言葉が用いられるという説を提案しています。また、自己志向-他者志向という区別を用いて、「ありがたい」と「すまない」という言葉の使用について説明をしています。すなわち、自己の利益に焦点を当てた場合に「ありがたさ」が強調され、他者に向けられたときに「すまなさ」に焦点が当たるのだといいます。 これらの図式は、その後の言語学における実証的な研究に影響を与えています。研究の一つを紹介します。  岡本(1991、1992)は、女子短大生(104 名)に感謝の生じる場面を示した上で回答を求め、その回答を感謝型(感謝、ありがとう)、謝罪型(すみません、ごめんなさい)に分類しました。その結果、感謝型の使用頻度は、相手の負担の大きさ,話し手の負目と負の相関があり、気楽さ、気分の良さと正の相関が見られました。また、関係が親密であるほど、感謝型の言葉が用いられました。他方で、謝罪型の使用は、これらと逆の相関のパターンを示していました。相手のコストが大きな影響を与えますが、別の要因も関与していて、贈物を贈る場面ではコストがそれほど小さくないのに謝罪型に比べて感謝型が多用される傾向がありました。  他者への負担に関心が向く場合に「謝罪系」、そして自己の利益へ関心が向く場合に「感謝系」という図式は、私たちの言葉の使い方を省みると、説得力がありそうです。  三宅(1993)は、「すみません」という言葉が、恩恵を与えてくれた人に負担がないときには使えないことを指摘し、そのことは、「すみません」という表現には恩恵を与えた者の負担が関わることを意味すると主張しています。  私なりに説明を加えれば、 買い物をしたお客さんに対して、店員は「ありがとうございます」とはいっても「すみません」とはいいません。募金箱に募金をしてくれた人に、「ありがとうございます」とはいっても「すみません」とはいいいません。どちらも、相手の負担を慮るような場面ではないからです。これらは、すまないという言葉が、相手の負担に対する気持ちを表現するものであり、負担に言及することが適切なときにのみ用いられることを示しています。 まとめ  恩恵を受けたときの言葉による対応としては、謝罪系と感謝系があります。ともに、相手に感情を伝えることには変わりはありませんが、それぞれ、相手の負担に関心が向く場合、そして自己の利益に関心が向けられる場合に用いられます。もちろん、それらの言葉の選択に影響する要因は、その他にもあるでしょう。例えば、恩恵を受けた者と与えた者との関係をあげることができます。身近な人物からの援助と見知らぬ人からの援助では、感謝やすまなさの表現の仕方が異なることは確かです。例えば、親密な関係にある人からの援助に対して、「すみません」と言ってお礼をしたときに、「みずくさい」と言われた経験をもつ人もいるでしょう。  なお、私たちが、「すまない」「ありがたい」という言葉を用いているからといって、それらに対応して「すまないという心」「ありがたいという心」が存在すると考えるのは、必ずしも正しいとは限りません。  謝罪系と感謝系の言葉が、それぞれどのような心理的メカニズムによって生み出されるのかが、さらに明らかになることを期待します。 「感謝とは何か」のページへもどる 文献 Coulmas,F. ( 1981). Poison to your soul in: Thanks and apologies contrastively viewed. In F. Coulmas (ed.), Conversational routine . The Hague: Mouton, 69–91. 三宅和子. (1993). 感謝の意味で使われる詫び表現の選択メカニズム: Coulmas (1981) の indebtedness 「借り」 の概念からの社会言語的展開. 筑波 大学留学生センター日本語教育論集, (8), 19-38. 西村啓子(1981)「感謝と謝罪の言葉における<すみません>の位置」.日本文学 ノート.第16 号, 宮城学院女子大学日本文学会. 岡本真一郎. (1991). 感謝表現の使い分けに関与する要因.人間文化: 愛知学 院大学人間文化研究所紀要, 6, 95-105. 岡本真一郎. (1992). < 論文> 感謝表現の使い分けに関与する要因 (2):「ありがとうタイプ」 と 「すみませんタイプ」 はどのように使い分けられるか. 愛知学院大学文学部紀要, 22, 35-44. 佐久間勝彦(1983). 感謝と詫び. 水谷修編 話しことばの表現講座日本語の表 現3, 筑摩書房, 54-66. 山口佳紀 編 (1988). 暮らし言葉語源辞典. 講談社. 柳田国男 (1964). 毎日の言葉. 角川書店. users become familiar with your brand. 「感謝とは何か」のページへもどる  感謝の定義をめぐって (内藤俊史・鷲巣奈保子、2 020 ) 「感謝とは何か」のページへもどる 「感謝に至る判断」のページへもどる 以下の内容は、次の論文の一部を加筆修正したものです。 内藤俊史(2012) 修養と道徳――感謝心の修養と道徳教育 .『人間形成と修養に関する総合的研究、 野間教育研究所紀要』、51 集、529-577.       感謝の定義について、さらに一歩踏み込んで考えてみます。  人によっては、感謝は、あらためて考える必要を感じさせないほど、自明の感情かもしれません。しかし、多くの言葉と同様に、いざその語意や定義を考えるとなると難しさに直面します。以下は、感謝は何かという問いに対する私たちの探究のまとめです。  なお、諸外国、特に欧米における論議も参考にしますが、英語の gratitude や thank が、日本語の「感謝」や「ありがたい」と同等なのかという問題もあります。しかし、その重要性は認めつつも、ここでは、言語間の差異については、考察の対象から除きます。 行為としての感謝と心としての感謝   感謝は、行為としての面と、心としての面があります。この点について、辞書における記述を出発点として説明をしたいと思います。 「感謝」 ありがたく感じて謝意を表すること。「―のしるし」「心から―する」(『広辞苑』第6版 岩波書店、2008 年)   この説明では、「ありがたく感じること」と「謝意を表すること」が感謝に含まれています。ということは、それら二つがともなって初めて感謝と呼ぶことができるという意味として解釈できます。言いかえれば、表現されて初めて感謝という言葉を適用することができるということになります。     しかし、次のように批判する人もいるでしょう― 表現されない感謝の気持ちについて話題にすることはあるのではないか。それらは感謝に含まれないのだろうか。    このことは、むしろ感謝の多面性を示しています。つまり、「感謝をする」ことには、感謝の気持ちをもつという心理的な側面と、感謝を行為で表すという二つの側面があり、「感謝」という言葉がどちらの側面を意味するか (あるいは両方を含んでいるのか )は、その言葉の用いられた文脈に依存すると考えられます。  あらためて、感謝のそれぞれの側面の説明を加えたいと思います。 第一の感謝の側面は、個人のもつ感情としての感謝です。私たちは、恩恵を与えてくれたものに対してありがたいという感情をもちます。私たちが、感謝という語から連想する内容の一つは、ありがたいまたは感謝という気持ち、感情です。   感謝の第二の側面は、社会的行為としての感謝であり、ここで仮に「感謝行為」と呼ぶものです。それは、相手に対して感謝を表現する行為であり、他の人に「ありがとう」と言う場合がその典型です。それは、言語学者のオースティン(John, L. Austin)による言語行為論が専ら焦点を当てて分析をした、言語の働きの側面です (Austin, 1962/1972)。  つまり、「約束します」と発言することが、単に私が約束をしているという事実を相手に伝えているのではなく、ある行為の実行の責任をもつことを宣言する社会的行為であるように、「ありがとう」「感謝します」と発言することは一つの社会的行為なのです。相手が施してくれた行為を自分は受け入れること、自分は相手に対して敬意をもつこと等を相手に宣言することになるのです。それは、自分の気持ちを単に記述しているというよりも、相手に対して自分の態度を宣言する社会的な行為なのです。 「感謝とは何か」のページへもどる 「感謝に至る判断」のページへもどる 心としての感謝の性質 これまで、感謝が、心と行為の双方の面をもつことを指摘しました。私たちの主たる関心は、行為としての感謝の背後に想定される心としての感謝です。 それでは、感謝の心とは、どのような心を指しているのでしょうか。言いかえれば、感謝の心と呼ばれるためには、どのような性質をもたなければならないのでしょうか。   18 世紀のイギリスの哲学者-経済学者であるアダム・スミス(Adam Smith)は、 道徳的感情に関する著書『道徳感情論』(1759/2003)の作者としてもよく知られていますが、その著書の中で、感謝が適格であるための以下の規準を提案しています(Smith, 1759/2003)。 a. 感謝される者(恩恵を与えた者 )は、望ましいまたは受け入れられ得る行為によって恩恵を与えたこと (恩恵を与えた行為の望ましさ) b. 感謝される者(恩恵を与えた者)は、他からの強制による行為によって恩恵を与えていないこと、あるいは役割義務に従って恩恵を与えたものではないこと (行為の主体性) アダム・スミスによる条件は、私たちの常識的な考えにそっていると思われます。例えば、ある人が不正を犯して援助をしてくれたとき、私たちはその相手に感謝をしたり、感謝の気持ちをもったりすることにためらいを感じるでしょう(a)。また、他から強制されて行われた援助を受けたとしても、その援助者に対して感謝の感情をもつことにはためらいを感じるでしょう(b)。 一方、アメリカ合衆国の哲学者であるロバーツ (Roberts, C. R.)は、これまでの哲学者による論議をふまえて、感謝 gratitude の意味について論じています(Roberts. 2004)。ロバーツ は、感謝の定義をすることの難しさを指摘した上で、「感謝」と呼ばれるに値するための十分条件 (条件を充たしていれば必ず該当するが、充たしていなくても該当する場合もあります)を示すことはできるとして、次のような条件を十分条件としてあげています。 (a)感謝される者は、義務によってではなく相手を助けたいという意思によって助けたこと (b)感謝をする者は、広い意味での利益を受けたこと (c)感謝をする者は、負債と愛着の感情を、恩恵を与えてくれた者に対してもつようになったこと (a) は、次のことを意味しています。感謝される者は、誰かから命令されて恩恵を与えたのではなく、また自分の利益のために恩恵を与えたのではなく、相手を助けたいという意思のもとに恩恵を施していること。また、(b) は、感謝する者が、物質的な利益に限らず、心理的、精神的なのを含めて広い意味での利益を得ていることを意味します。最後に、(c) は、恩恵を与えてくれたものに対する感情を示しています。この感情については、それが多分に主観的な面も否めないため、異なる考えもあり得ます。         たとえば、哲学者のイマヌエル・カント(Kant, Immanuel)は、著書『人倫の形而上学』のなかで、尊敬や敬意が、感謝において重要な要素であることを指摘しています(カント、1797/1969)。カントによれば、もし感謝というものが、受けた恩恵に対する「負債-借り」の感情にすぎないのであれば、「借り」を返せば感謝の感情も消え失せるはずです。しかし、実際にはそのようなことはなく、十分に借りを返したとしても、感謝の感情はなくならないでしょう。なぜなら、感謝には、尊敬という要素が含まれているからだといいます。カント は、(c) で述べられている感情のなかに、尊敬や敬意という感情を含めるべきであると考えています。 先に述べたように、Roberts は、十分条件として以上の三条件をあげていますが、感謝が必ずもたなければならない条件(必要条件)については述べていません。確かに、Roberts のあげている条件を、必要条件としてしまうのは難しいでしょう。例えば、自然に対して私たちは感謝をしますが、自然が、(a) で述べられているように意図をもっていると言い切るのは難しいでしょう。 「感謝とは何か」のページへもどる 「感謝に至る判断」のページへもどる 心理学における「感謝」   それでは、心理学では、どのような心理的現象を感謝として扱っているのでしょうか。初めに、最近の傾向から話を進めます。  21 世紀以降の心理学、特にアメリカ合衆国の心理学の世界では、ポジティブ心理学の影響を受けた定義が広く受け入れられています。以下に、一例として、Tsang (2006)による定義をあげます。 “a positive emotional reaction to the receipt of a benefit that is perceived to have resulted from the good intentions of another “(Tsang, 2006, p.139) この定義は、感謝という概念について多くの人々がもつプロトタイプ(概念のなかの典型)といえるかもしれません。  しかし、感謝の心がポジティブな反応であるということに、物足りなさを感ずる人もいるでしょう。つまり、感謝という言葉には、ポジティブな感情だけではなく、助けてくれた人への負債感を初めとした様々な感情が含まれているのではないかという懸念です。 感謝をポジティブな感情とする傾向は、20 世紀後期から始まるポジティブ心理学の影響によると考えられます。ポジティブ心理学とは、20 世紀後期、アメリカの心理学会の会長であったセリグマン (Seligman, M.E.P.) が提唱した心理学研究の方向であり、従来の心理学が不適応や疾病に対して、もっぱら焦点を当ててきたことに対して、幸福や希望などの人間のポジティブな側面についての研究の重要性を唱えましました。ポジティブ心理学の主張を背景に、ポジティブな感情としての感謝に光が当てられることになり、21 世紀以降、アメリカ合衆国に限らず多くの国々において研究が行われています。 なお、Macullough ら(2001)によると、感謝が心理学において見過ごされてきたという点は、他の多くのポジティブな感情にもいえることですが、感謝に固有な理由も考えられるといいます。すなわち、援助を受けたときに感じる感謝は、心理的負債感等の他の感情に還元されてしまったこと、また、感謝が礼儀の一つとして理解され、そのため社会のあり方に起因するものとみなされ、心理学ではなく社会学の対象に相応しいと考えられてきたためだといいます。  私たちは多様な感情を経験しますが、そのなかの一部である「ポジティブな感情」としての感謝は、心理学ではあまり関心をもたれてはきませんでした。それは、アメリカ合衆国に限らず、日本を含む多く国々おいても同様です。その意味で、ポジティブな感情としての感謝にあらためて光を当てることの意義は大きいと考えられます。   しかし、他方で、感謝の心のなかに負債感等の感情を含めるべきであるという考えもあります―感謝はポジティブな感情とともに負債感などを含む総体としての感情であり、様々な要素を含む全体としての感謝のあり方を探究する必要があるという考えです。   感謝と呼ぶ対象をポジティブな感情に限定するべきか、それとも感謝をより広く負債感等を含むものとするべきかは、難しい問題です。しかし、確かなことは、恩恵を受けたときに、多くの場合、ポジティブな感情とともにネガティブな感情が経験されることであり、それらの間の相互作用の解明が求められていることです。 「感謝とは何か」のページへもどる 「感謝に至る判断」のページへもどる 文献 Austin, L. J. (1962/1978). How to do things with words. New York: Harvard University Press.(坂本百大訳. 言語と行為. 大修館書店、1978 年). Kant, I .(17971969). Die Metaphysik der Sitten. Königsberg : Bey Friedrich Nicolovius. (吉沢伝三郎・尾田幸雄訳. カント全集第 11 巻 人倫の形而上学. 理想社,1969 年). McCullough, M.E., Kilpatrick, S. D., Emmons, R.E. & Larson,D.B.(2001). Is gratitude a moral affect? Psychological Bulletin, 127 , 249-266. McCullough, M. E. (2002). Savoring life, past and present: Explaining what hope and gratitude share in common. Psychological Inquiry, 13(4), 302-304. Roberts, C.R. (2004). The blessings of gratitude: A conceptual analysis. In R. A. Emmons & M. E. McCullough (Eds.), The psychology of gratitude .New York: Oxford University Press. (pp.58-78). Tsang, J. A. (2006). Gratitude and prosocial behaviour: An experimental test of gratitude. Cognition & Emotion, 20(1), 138-148. Smith, Adam (1759/2003). The theory of moral sentiments, first edition. London: A. Miller. (水田洋訳.『道徳感情論』,岩波書店. 2003 年).   道徳的な力としての感謝  (内藤俊史・鷲巣奈保子 2020.8.4 最終更新日  2024.5.29)  このセクションの最後に、感謝のもつ力の一例として、「感謝の道徳的な力」について説明をします。  アメリカ合衆国の心理学者のマッカラ(McCullough, M.E.)らは 、感謝が、人から助けられるなどの道徳的な事柄によって生じること、そして他の人々を助けるなどの道徳的な行為を生み出すことから、「道徳的感情」と呼ぶに相応しいと主張しています(McCullough 他, 2001)。後者は、道徳的な力をもつ感情であるといってもよいでしょう。  そこで、なぜ感謝が道徳的な力なのかを、マッカラらの主張にもとづいて説明します。  a .感謝の心は、道徳的な行動を生じさせること   感謝の心は、恩恵を与えてくれた人に対する恩返しの行動を生みます。それも道徳的行動の一つといえるでしょう。しかし、それだけにとどまりません。感謝の気持ちをもつと、恩恵を与えてくれた相手だけではなく、その他の人々の幸福を目的とした行動への意欲が高まります。      b. 感謝は相手との関係を道徳的な関係に変えること マッカラらは、感謝は「道徳的バロメーターmoral barometer」であるといいます。他の人に助けられたとき、単に「うまくいってよかった」「助かった」という感情だけではなく、感謝の気持ちをもったとき、お互いの関係は一変します。そこには、利害関係とは別のいわば「人と人との関係」「道徳的な関係」が芽生えています。見方を変えれば、感謝の気持ちの有無は、その関係が道徳的なものであるかどうかを示しています。  私たちの言葉でいえば、感謝は、関係を道徳的な関係に変える力をもちます。 文献 相川充・矢田さゆり・吉野優香 (2013). 感謝を数えることが主観的ウェルビーイングに及ぼす効果についての介入実験.東京学芸大学紀要 総合教育科学系1,64, 125-138. Cregg, D. R., & Cheavens, J. S. (2021). Gratitude interventions: Effective self-help? 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Academia Letters, Article 2436. https://doi.org/10.20935/AL2436  原文は英語ですが、日本語訳を掲載します。ただし、引用文献欄は英語表記のままになっています。 「感謝の発達」 のページへもどる                                          感謝gratitudeに関する心理学の研究は、この20年間の間に急速に増加しましたが、なかでも感謝とwell-beingの関係は、感謝の研究の一つのトピックスとして多くの研究が行われています。最近行われたmeta analysisによると、感謝特性は、well-beingの様々なaspectsと、有意な正の関連があることを示しています(e.g., Portocarrero, Gonzalez, & Ekema-Agbaw, 2020; Jans-Beken, Jacobs, Janssens, Peeters, Reijnders, Lechner, & Lataster,2020).   感謝は、その理念的な意味において、感謝をする者と感謝をされる者との間に相互的な敬意が存在することを前提としています(Kant, 1991)。そのような感謝のもつ性質を考えれば、感謝は、相互に信頼し敬意をもつ関係のもとで、自分が支えられているという認識の表現でもあります。このように考えれば、感謝とwell-beingの関係についての上記の研究結果は、驚くことではありません。  しかし、さらに次のような問いが生じます。感謝とwell-beingの関係のあり方は、青年期、成人期など、どの年齢(発達)レベルにおいても同じだろうか? どのような相手に対して、どのようなことに対して感謝をすることが、各発達段階におけるwell-beingに結び付くのであろうか?  この問いに対して答えるためには、それぞれの年齢段階における感謝とwell-beingの関係の在り方を明らかにする必要があります。この小論文では、高齢者に焦点を当て、高齢者における感謝とwell-beingの関係を、日本における高齢者における感謝に関する研究をもとに考察します。  「 感謝の発達」 のページへもどる 高齢者の特徴  初めに、高齢者の一般的な特徴として明らかなことは、体力的に自己の活動可能な領域が狭くなること、自分の正の限界(死)を意識すること、自分の生涯の意味を理解しようとすることです。Erikson (1950) は、生涯にわたる心理的発達の8つの段階を提唱しました。第8段階は「誠実対絶望」の段階で、この段階で人々は自分の人生を歴史的文脈の中で評価し、最終的には死を穏やかに受け入れるという課題を引き受けます。  高齢者のwellbeingをどのように高めるかは、多くの国々の課題となっています。一方、高齢者における感謝の特徴については、次のような知見が得られています。Chopik, Newton, Ryan, Kashdan,and Jarden (2019)は、感謝特性が、年齢とともに増加することを示唆しています(N=31206、age range15 to 90 years)。彼らは、3つの調査を実施し、その結果、一貫して、高齢者 は、中年と若い大人たちより、より大きな感謝特性を示しました。 また、感謝特性とwell-beingとの関係については、Portocarrero, Gonzalez, and Ekema-Agbaw, (2020)は、meta analysisによって、高齢者において、感謝特性とwellbeingの関連は、より強いことを示しました。高齢者において、感謝特性が高く、また、well-beingとの関係がより強いとすれば、それはどのような要因によるのでしょうか。一つの可能性は、高齢者以外の人々、すなわち青年や若い成人においては、well-beingに対して、職業の達成などの要因がより多く関与しているからでしょう。そして、高齢者の感謝特性の高さは、自分の幸福の原因を探索する機会の増加と実際に他に起因する幸福が増加するためと考えられます。 「 感謝の発達」 のページへもどる 高齢者の感謝についての二つの両極的な立場  高齢者のこれらの性質について、主に二つの心理学的な説明がこれまでなされてきました。それらは、社会情動選択性理論と老年的超越理論です。  社会情動的選択性理論は、高齢者が感謝をより多く経験することを、次のように説明します(Chopik et al., 2017; Killen, & Macaskill, 2015)。(a)年齢を重ねるにつれ、人は自分の寿命が限られていることを意識します。(b)この意識により、人は個人的にポジティブで意味のある出来事を選択性し、ポジティブな価値を持つ刺激により多くの注意を払い、記憶するようになります。(c)(b)を確保するための一つの方法は、親しい重要な他者との社会的交流に専念し、親密で健康的な関係を維持する努力をすることです。(d)感謝の気持ちは、こうした親密でポジティブな他者との関係を促進します。  二つ目の説明は、Tornstam (2011) によって提案された 老年的超越理論に基づくものです。この理論は、ユングの理論、禅仏教とともに、高齢者の質的データに基づいています。この理論によると、(a)高齢化の過程で、人々は物質主義的・合理主義的な視点から、より宇宙的・超越的な人生観へと移行します。(b)人々は過去の世代への親近感を高め、表面的な社会的交流への関心を低下させます。 (c)社会情動的選択性理論とは対照的に、この理論では、人々はしばしば宇宙と密接な共感関係を感じ、この文脈で生と死を再定義することを提案します。そして、(d)すべてを包み込む宇宙への感謝の気持ちを持つようになると考えます。  これら二つの理論が描くgratitudeの姿は対照的です。そして、感謝の対象について、具体的-抽象的という次元を示しています。すなわち、今現在の身近な人々への志向性対、宇宙論的な時間―空間への志向性です。また、次のような論点を示唆しています。すなわち、老年的超越理論の描く感謝のあり方は、Eriksonの自我発達段階における老年期の発達課題を解決するあり方として、解釈することができます。しかし、社会情動的選択性理論の描く感謝のあり方については、次のような問いが生まれます。すなわち、社会情動的選択性理論によって描かれるような感謝のあり方をもつ高齢者は、どのようにして、歴史的脈絡において自分の生を価値づけるという発達課題を達成できるのでしょうか。 この点について、高齢者についての日本の研究結果は、示唆的です。 「感謝の発達」 のページへもどる 老年的超越性に関する日本における研究  日本における老人的超越に関する研究は、身近な者への限定的な感謝が、広い世界における自己の生涯のもつ意義の発見、そしてwellbeingへのつながりについて、新たなあり方を提案する可能性があります。  Masui, Nakagawa,Gondo,Ogawa,Ishioka,and Tatsuhira (2010)は、Tornstamによる老人的超越gerotranscendenceの概念を、日本において適用することを試みました。すなわち、Tornstamによるインタビューガイド( Tornstam, 1997)を用いて、日本人のeldersを対象にして、 インタビュを行ないです、その結果をもとに、日本版の老年的超越gerotranscendenceの質問紙尺度を作成した。その結果、Masui et al.は、Tornstamによるframeworkは、基本的には日本の高齢者の反応にも当てはまるが、あてはまらない点も見出しました。すなわち、日本の高齢者は、インタビューにおいて、宇宙的な視野をもつのではなく、現実の家族、死んだ夫や妻、先祖とのつながりに言及しました。さらに、Ono & Fukuoka (2018)は、高齢者におけるつながりの意識についてインタビューを行っていますが、「夫が死んでから,お仏壇を拝むようになりました. 普段思い出すことは少ないけれど,ときどき夢にでてきます」「両親については最近あまり考えないけどお墓参りには月に1回くらい行きます」などの発言が得られた。加えて、Ono & Fukuokaは、このようなつながりの意識がwell-beingと関連することを、質問紙調査によって、見出しています。   これらの回答は、一見、社会情動的選択性理論の描く高齢者の感謝と同じです。しかし、日本の伝統的な死生観を考慮したときに、また別の様相が浮かんできました。これらの日本における高齢者の回答を理解するためには、日本の伝統的な宗教的信念を知ることは、有用と思われます。それは、日本社会における先祖崇拝です。 先祖崇拝とは、「祖先として認識されている死者の超人的な力に対する信仰と、それに基づく儀式の総体」(森岡、1984)を指します。  「感謝の発達」 のページへもどる  日本における先祖崇拝の一般的な特徴として以下があげられます。 人は死後、短期間の儀式の後、原則として親族の墓に葬られ、霊となります。 霊は、現在生存している直系の子孫を中心とした親族によって供養されます。また、霊は、生存している子孫を見守ます。 ·霊は、年に何回か、数日間にわたって、家に迎えられて、現在生きている親族とともに過ごすとされる期間があります(盆など)。 · 霊は、最終的には、山や海などに移り、個別性のない先祖の神となり、生きているものを見守ます。  祖先崇拝とそれに基づく儀式(盆など)は、死後の世界と現世の関係のイメージを、日本人に提供してきました(現在でも、盆の期間には、多くの日本人が、先祖の墓や実家に訪れます)。そして、前に引用した日本の高齢者による、先祖や、先に死んだ者たちとの親しみと感謝は、先祖崇拝の背後にある世界観、歴史観を背景にしています。一言でいえば、具体的で身近な親族との絆を確認し、そして彼らへの感謝を感じることは、背後にある先祖や自然への感謝でもあるのです。  ただし、ここで述べておかなければならないことは、最近の日本における先祖崇拝の変化です。祖先崇拝は、日本の伝統的な家制度と密接に結びついてきました。そして、長男が家を次ぎ、先祖崇拝の儀式をうけもつという制度を前提としています。しかし、第二次大戦以降、人々の自由な移動、子供の減少など、祖先崇拝の慣習の維持管理が難しくなりつつあります(Matsumoto,1997; Morioka, 1984). 儀式の存続にもとづく家制度、さらに家制度にもとづく先祖を中心とした世界観をもつことの困難が生じています。 「感謝の発達」 のページへもどる おわりに  私たちは、高齢者のwell-beingを高める可能な要因の一つとして、感謝に焦点を当てました。また、高齢者の感謝を説明する二つの理論として、社会情動選択性性理論と老年的超越理論をあげました。前者は、身近な対人関係に焦点を限定する傾向を示唆しますが、このような対人的傾向が、どのように自分自身の生涯の意義を見出すことができるのかはあきらかではありません。日本の高齢者の一部の反応は、この問いに対して、示唆的です。それは、先祖崇拝という文化的な背景にもとづく反応です。日本の高齢者の多くは、身近である他との密接な関係を述べ、ときに感謝を述べましたが、そのうちの一部は、親族や先祖との関係やそれらに対する感謝に言及しました。身近な者への感謝は、長く続く家という制度における自分自身の位置づけを提供します。このように、高齢者にみられる狭い物理的心理的世界において、文化的な信念は、ときとして、拡大された世界を目の前に提示します。それは、自分の生涯のもつ意義を感じる一つの在り方と考えられます。そして、現在の問題は、高齢者が新たな歴史-世界観をもつために、どのような援助が可能かということです。  「感謝の発達」 のページへもどる 文献 日本語の論文が英語表記のままになっています。   Chopik, W. J., Newton, N. J., Ryan, L. H., Kashdan, T. B., & Jarden, A. J. (2019). Gratitude across the life span: Age differences and links to subjective well-being. The journal of Positive Psychology, 14(3), 292-302.https://doi.org/10.1080/17439760.2017.1414296 Erikson, E. H. (1950). Childhood and society. NY: Norton. Kant, I. (1991). The metaphysics of morals (Die Metaphysik der Sitten) trans. M. J. Gregor, Cambridge: Cambridge University Press (Original work published 1797) Killen, A. and Macaskill,A. (2015). Using a gratitude intervention to enhance wellbeing in older adults. Journal of Happiness Studies, 16 (4), 947-964. https://doi.org/10.1007/s10902-014-9542-3 Jans-Beken, L., Jacobs, N., Janssens, M., Peeters, S., Reijnders, J., Lechner, L., & Lataster, J. (2019). Gratitude and health: An updated review. The Journal of Positive Psychology, 14(1), 1-40. https://doi.org/10.1080/17439760.2019.1651888 Kavedzija, I. (2020). An attitude of gratitude: older Japanese in the hopeful present. 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Tornstam L(1989). Gero-transcendence;Ameta-theoretical reformulation of the disengagement theory. Aging:Clinical and Experimental Research,1(1),55-63. トーンスタム,ラーシュ (2017). 冨澤 公子 (翻訳), タカハシ マサミ.『老年的超越―歳を重ねる幸福感の世界―』. 晃洋房. (Tornstam,L:Gerotranscendence;A Developmental Theory of Positive Aging. Springer Publishing Company, New York, 2005).   「感謝の発達」 のページへもどる   参考 ―年齢とともに変わる感謝の歌 「感謝の発達」のページに戻る   年齢を重ねていくとともに、感謝のあり方は変わっていきます。 それぞれの年齢層を対象としていると思われる感謝の歌(日本語)で、アクセス数の多い歌をリストしました。 それらの歌詞をみると、感謝が、それぞれの年齢で大切にされていることがわかります。しかし、それがどのような意味で大切なのかは、年齢によって異なるようです。 「感謝の発達」のページに戻る 注意 音声が出ます。広告が入ることがあります。 「ありがとう」歌 伊藤碧依、作詞・作曲小林章悟➩ 卒園式や卒業式で歌われることがあると聞きます。子どもたちにこのような感謝の心が育って欲しいという願いのこもった歌 。 「ありがとう」歌 いきものがかり、作詞・作曲水野良樹 ➩ これから共に生きて、幸せを分かち合う人に対する感謝の歌。2010年度上半期のNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の主題歌でした。 「 ありがとうの唄」歌・作詞・作曲𠮷幾三➩   (約1分50秒後に歌が始まります) 年齢も少し高くなって、人生を振り返りながら、これまで出会った人、出会ったこと・ものに対して感謝をしつつ人生を終わらせるような生き方をしたいと願う歌。 「感謝」歌 坂崎幸之助、作詞北山修、作曲加藤和彦➩   (約60秒後に歌が始まります) 亡くなる人の立場からの感謝の歌です。 「感謝の発達」のページに戻る 青年期における感謝 (内藤俊史 2022) 以下の論文から該当部分をとりあげ、語句の修正をしました。 内藤俊史(2019)青年期における心理的自立―感謝感情のあり方を通して―.『野間教育研究所紀要』、第 61 集青年の自立と教育文化、238-268. 青年期における自立と感謝の発達過程を前期、中期、そして後期に分け、以下のようにまとめました。 ・青年期前期――感謝の対象の再考 青年期前期において、生活世界と社会的な認識の世界は拡大され、親を初めとする他者との関係が、より広い視野の下に問い直されます。それは、青年期における自立の過程の始まりともいえます。  関係の見直しには、それまで感謝の対象とされていた親や他の大人が、感謝の対象として相応しいのかを問い直すことが含まれます。青年期前期では、既に習得されている感謝の基本的な文法にもとづいて、相手が感謝の対象として相応しいのかが問われます――自分に与えられた恩恵は、利他的な意図の下で、正しい方法によってもたらされたのだろうか等々。 ・青年期中期――感謝の対象との関係における自己への反省 一層広い社会的視点から他との関係が問い直され、それまでの関係が問い直されますが、同時に、自分が、感謝すべき関係にある人物に対して相応の対応をしているのかという点に、一層、目が向けられるようになります。池田()の研究では、この時期は「すまなさ」を感じる自責的な感謝の時期とされています。すなわち、相互的な期待をもつ親子関係において、これまで親から受けてきた恩恵に対して十分に答えていないという感覚が、「母親に対する感謝の自責的な心理状態」を生み出すと考えられます。また、西平(1990)は、若干時期的な相違がありますが、第二次心理的離乳期についての説明において、依存への反省という特徴を指摘しています。 ・青年期後期――広い視野にもとづく感謝感情の見直し 青年期後期では、職業につく等を通じてより広い社会に参入することによって、 様々な面での自立が具体性をもって求められます。それとともに、社会における自己と、家族内での自己との葛藤がより具体的なものとして認識され、何らかの形での統合された自己が形成されます。  この時期における心理的自立がもたらす感謝感情のあり方として、以下の2 点をあげることができます。 第一は、一対一の閉じられた関係における感謝感情から、より広い視野の下での感謝感情へという変化です。青年期後期におけるより広い社会への参入と拡大する社会的世界とともに、社会的事象はより複雑な因果関連の下に理解されるようになります。したがって、他者からの恩恵は、その背景にある状況や歴史的状況の因果的関連のなかで理解されます。例えば、親から受けた恩恵には、そのような親の行動を可能にした多くの背景があることを認識し、感謝感情はより広範囲の対象に向けられます。 この過程は、感謝感情が生み出す関係性と公正性の葛藤を解決する過程の始まりともいえます。すなわち、親という特定―個別的な関係をもつ感謝感情の対象を、より広い社会的な視野からとらえ直し、より広い因果の網の下に、あらためて感謝感情の対象を位置づけます。親への感謝感情を維持しつつも、背景となる他者や社会のあり方は感謝感情の新たな対象となります。例えば、親についての認識も、自分との具体的な関係をもつ者としてだけではなく、広く社会において道徳的な義務や権利をもつ一人の人間としてみることになります。親への感謝は、このような観点からがあらためて問い直されます。   第二は、心理的自立に含まれる道徳的主体としての自立のもたらす影響です。自立には、様々な領域における自立が考えられますが、道徳的議論における主体としての自立も含まれます。それは、一言でいえば、公的な道徳的議論に参加する一員としての資格を得ることであり、道徳的な問題における決定に加わる資格をもつことを意味します。道徳的議論は、様々な形で実際に行われることもありますが、内面的な思索という形で個人の意識のなかで行われることもあります。そして、公正性の原則等の規則に則って行われ、決定に従う義務、責任、権利がともないます。このような資格が与えられた以上、「若さ故」といった弁明は効力を失います。   道徳的主体としての自立意識の発生は、感謝感情のあり方にも影響すると考えられます。例えば、親は、単に自分との具体的な関係を担うものとしてではなく、道徳的な義務や権利をもつ一人の人間として理解されるようになります。親への感謝感情は、このような観点、つまり道徳的な観点からあらためて見直されます。   西平(1990)は、青年が親への感謝感情をもつに至る際、親を、これまで歴史の脈絡のなかで生き、そして現在の状況に生きる者として理解するといいます。親に対する客観的な視点はまた、親を一人の人格としてみなすことを含んでいます。ここでの感謝感情は、恩恵に対するお返しの気持ちや、一層強まった絆を表現したりするもの以上のものであり、相手を人格として認め、場合によっては敬意をその内に含むものを意味します。 池 田 幸 恭 青 年 期 に お け る 母 親 に 対 す る 感 謝 の 心 理 状 態 の 分 析.(教 育 心 理 学 研 究 54 巻  2006  487 一一497 頁 。 西平直喜 成人になること—生育史心理学から 東京大学出版 1990 感謝の発達 ― 乳児期から児童期 (内藤俊史・鷲巣奈保子 2020.8.15)    乳児期 感謝感情の発達に関わる最初の問いは、感謝の心は生まれながらに備わっているのかというものでしょう。アメリカ合衆国の心理学者、エモンズとシェルトン Emmons, & Shelton, (2002)は、生後間もない子どもが自発的に感謝を表すことはなく、また、多くの親が子どもたちに感謝の心や感謝の行動を教えようと努力しているという事実からすれば、感謝の心が生まれながらに備わっているとはいえないと主張しています (Emmons & Shelton, 2002)。 確かに、大人の社会におけるような意味で、感謝をしたり、感謝の気持ちをもったりするためには、様々な能力が必要です。感謝をするということは、単に快さや嬉しさを感じることとは異なり、比較的高い知的判断をその内に含んでいます。例えば、自分が得た幸福は誰によるのか、そしてその人がどのような意図をもって自分に幸福をもたらしたのかを判断することが含まれています。これらを判断する能力が生まれながらに備わっているとは考え難いと思います。したがって、感謝の心が生まれながらに備わっているとは考え難いことになります。 他方で、乳児をもつ多くの母親にとって、授乳の後にみせる乳児の表情は、「ありがとう」という言葉がなくても、感謝の気持ちを表しているとしかみえないかもしれません。しかし、乳児が、単に空腹をみたされた満足感を表わしているのか、それとも母親への感謝を表わしているのかを、その表情や動作だけから見極めることは難しいと思います。 「 感謝の発達 」 のページへもどる 感謝の心が生まれながらに備わっているのかという問題は、興味深い問いには違いありません。しかし、現在のところいえることは、感謝感情の基盤としての心理的な要素、例えば共感や愛着などは、早くから備わっていると考えられるものの、感謝感情には、高度な認知的要素が前提になっていて、人は誕生以降徐々にそれらを獲得していくということでしょうか。 初めに焦点を当てるのは、言葉による感謝の表現です。日本の子どもたちの多くは、感謝を表すための言葉を幼児期に獲得すると考えられます。実際、何かをもらった3―4歳の子どもに「ありがとうは?」といって、親が子どもに感謝の言葉を促している姿はよく見受けられます。また、幼稚園での挨拶などの教育の姿をみても、多くの場合、子どもはかなり年少のころから「ありがとう」という言葉を学ぶことがうかがえます。 それでは、この時期の子どもたちは、実際には感謝の言葉をどの程度学んでいるのでしょうか。幼児期の子どもたちの感謝の言葉についての研究がアメリカ合衆国でいくつか行われています。 感謝の言葉の使用について、5、6 歳の子どもたちと 10 歳程度の子どもたちを比較した研究が行われています。5 歳の子どもたちが親と一緒にいるときに、「こんにちは」、「ありがとう」、「さようなら」という言 葉を話すかどうかを実験室のなかで観察した研究が行われています(Grief and Gleason, 1980)。その結果、86%の子どもは、親がきっかけや手がかりを与えたときは感謝の言葉を発しましたが,それらがないときには、感謝の言葉を発した子どもは7%に過ぎませんでした。 同様の研究には、ハロウィンの夜の子どもたちの行動を観察した研究があります(Gleason & Weintraub, 1976)。ハロウィンには、子どもたちがグループで各家を回ってキャンディやお菓子をもらうという習慣が北米にみられます。ハロウィンの夜、大人からキャンディをもらったときの子どもたちの会話を分析したところ、10 歳児では 83%の子どもたちが感謝を述べていましたが、6 歳以下の子どもたちで、感謝を述べたのは 21%に過ぎませんでした。 これらの研究は、5、6 歳程度の子どもたちの多くは、親などから手かがりやきっかけを与えられれば感謝の言葉を発しますが、自発的に感謝の言葉を述べるようになるのは、10 歳程度であることを示唆しています。 ただし、以下の点を考慮する必要があります。一つは、状況による差異です。感謝をする場面が、頻繁に生じる場面である場合や、相手が親しみのある相手である場合は、より年少でも感謝の言葉を言うことば可能でしょう。また、第二は、文化差の存在です。例えば、インドにおいてはヒンズー語で感謝 (dhanyavaad)を述べることは稀であり、もし述べるとしてもかなりあらたまった場面であり、また子ども同士で使うことはほとんどないといいます(Singh, 2015) 「 感謝の発達 」 のページへもどる 児童期から青年期前期における感謝のルールの習得  一般に、およそ10 歳以前の時期に、家族との関係とともに、他の子どもたちとの関係が生まれてきます。そのような相互のやり取りのなかで、大人と同様の感謝の形が獲得されていきます。私たちは、感謝に関するある程度共通の概念やルールをもち、子どもたちは、それらを成長とともに習得をしていくと考えられます。そこで問題になることは、感謝に関する共通の概念やルールとはどのようなものなのだろうかというものです。ここでは、感謝に関するそれらのルールを「感謝の文法(感謝図式)」と呼び、その内容を整理します。 感謝の感情や感謝の行為を特徴づける性質は何でしょうか。古くは、感謝のもつべき性質について、哲学者のイマヌエル・カント(Immanuel Kant)は、感謝には恩恵を与えてくれた者に対する尊敬という要素が含まれることを強調しました(Kant,1797/1969)。また、社会学者のアダム・スミス (Adam Smith) は、感謝される者は、自分の自由な意志にもとづいて行われた望ましい行為によって、他者に恩恵を与えている必要があることをあげています(Smith,1759/2003)。 また、21 世紀になって、アメリカ合衆国の心理学者、E.,マッカラ (McCullough, E.)らは、アダム・スミスを初めとする哲学者や心理学者の見解にもとづいて、感謝のもつべき性質をまとめています(McCullough et al.2001)。 ここであらためて、「感謝の文法(感謝図式)」として、以下に手短にまとめます(このHPの別のセクション「感謝に至る過程」にも掲載)。なお、これらの規則は、ある程度人々の間で共有されているとはいえ、世代、集団、文化による相違もまた考えられます。 「私はXさんに利益や幸福(Y)について感謝をしている」というときの、感謝の文法(規程集)。 私の利益や幸福(Y)の原因の少なくとも一部は、Xさんによるものであること。 私が受けた恩恵が大きいほど、Xさんに対して一層大きな感謝の感情をもつこと。ただし、動機論的な考えの場合は、結果よりもXさんの動機が考慮の対象になる。 Xさんが費やした負担が大きいほど、私はXさんに対して一層大きな感謝の気持ちをもつこと。 Xさんは、望ましい行為、少なくとも容認できる行為によって、私に恩恵を与えたこと。 私は、ポジティブな感情を結果としてもつこと。ここでいうポジティブな感情には、私が得た利益による喜び、Xさんとの絆が確認できたことや絆が強くなったことの喜び、Xさんに対する敬意・尊敬等がある。 これらの条件は、ゆるい感謝の規準かもしれません。少し厳しい「文法」には以下が含まれます。 6. Xさんは、私の利益や幸福を目的とした自発的な行いによっ て、私に恩恵を与えたこと。 5で述べられているように、感謝の感情の生じる状況では、同時に様々な感情を伴うことがあります。それらの感情として、恩恵を与えてくれた人に対する親しみ、尊敬、そして畏怖の感情などいわゆるポジティブな感情、そして、負債感、すまないという感情、自尊心への脅威などのネガティブな感情があります。どのような感情が度の程度伴うのかは、感謝の生じる状況や文化により異なる可能性があります。 感謝という行為や感情について、ある程度共有されているルールがあり、子どもや青年はこれらを習得することによって、大人の社会における社会的なやり取りに参加をします。感謝についてのこれらのルール、つまり感謝のルールが、どの程度の普遍性をもつのかは、今のところ明らかではありませんが、感謝感情の発達を考える際の仮説的な枠組みを提供します。 「 感謝の発達 」 のページへもどる 児童期における「感謝の文法(感謝図式)」の獲得―いくつかの研究 感謝の文法(感謝図式)の獲得や発達に関わる、いくつかの研究が行われています。ここでは、代表的な研究を紹介します。 初めに、前にあげた「d. 感謝される人は、相手の利益や幸福を目的とした行為により恩恵を与えていること」というルールについての研究を紹介します。 グラハム・サンドラ Graham Sandra (1988) は、5歳から 11 歳の子どもたちを対象にして、感謝感情を初めとする3つの感情(感謝感情、誇り、罪悪感)と動機との関係認識が、どのように発達するのかを検討しました。感謝感情に関しては、「相手を助けたいという自発的な動機のもとに行われた行為でなければ感謝の対象にはならない」というルールの獲得の年齢的な変化を調べました。 子どもたちは、感謝に関する以下2つのシナリオのうちの一つを読み、後に続く質問に対する回答が求められました。感謝のシナリオ(シナリオ1)は、学校のサッカーチームのキャプテンが、思いやりから転校生を選手に選ぶというものでした。それに対応する二つ目のシナリオ(シナリオ2) は、サッカーチームのキャプテンが転校生を選手に選ぶが、理由は、校則のなかに新しい転校生をチームの選手にするという決まりがあるからというものでした。 実験に参加した子どもたちは、それぞれ一方のシナリオを読み、次に、いくつかの質問に回答しました――転校生が野球のボールを2つ手に入れたとします。そのとき、転校生はお礼としてその一つをキャプテンにプレゼントする可能性はどのくらいあると思いますか。また、転校生はどの程度、感謝を感じたでしょうか。 その結果、5-6歳児では、その後の転校生の行動や感謝の程度は、ほとんど2条件で差がありませんでしたが、10-11 歳児では、統計的に意味のある差がみられました。すなわち、5-6歳児では、感謝やお礼の行為は、思いやりが原因となって恩恵を受けた場合と、校則が原因となっている場合とで区別されていませんが、その後、年齢とともに、「感謝される人は、相手の利益や幸福を目的とした行為により恩恵を与えていること」という感謝のルールが獲得されていくことが示唆されました。 その他、「恩恵を与えた人が、恩恵を与えるために費やしたコストが大きいほど、大きな感謝を受ける(d)」という感謝のルールに関連して、デクック, P. (DeCooke, P.)は、小学校2年生、3年生、5年生各40 名を対象にした研究を行っています(DeCooke, 1992 )。この研究では、子どもたちに、ある人から援助受けた場合を想定し、助けてくれた人が後に困っているときに助けてあげなかったときに感じる感情、お返しとして助けることの重要性などについて質問をしました。その際、助けてくれた相手の負担が大きい場合と小さい場合の話を用意し判断が異なるかどうかを調べました。その結果、過去に助けてくれた相手の負担が大きいときと小さいときとで助けることの重要性が異なるのは、小学校 5 年生のグループでした。つまり、この時期になると大人の場合と同様に助けてくれた人の負担に応じて負債の感覚が異なるようになることを示唆しています。 感謝の発達に関する研究はわずかに行われているに過ぎず、仮説の域を脱することはできませんが、これらの研究は、感謝のルールが、主に児童期において習得されることを示唆しています。また、感謝のルールの各項目において必要とされる認知的機能、たとえば因果関係の認識や他者の行為の動機に関する認識は、児童期が終わるまでに獲得ないしは洗練されるという多くの研究結果をみると、感謝のルールが、児童期の終わるまでにかなりの程度習得されると考えてもよいでしょう。 「 感謝の発達 」 のページへもどる 感謝にもとづく反応の変化―応報の感謝から関係の感謝へ これまで、「感謝の文法(感謝図式)」の獲得に焦点を当てました。一方、より広い観点から、願いを叶えてもらったときにどのような反応をするかを調べた一連の研究があります。なお、この場合、願いを叶えて もらったときに、感謝の感情が生じることが想定されています。 感謝から導かれる行動のあり方の年齢的な変化を扱った研究として、 20 世紀初めにスイスで行われたバウムガルテン―トラマーBaumgarten -Tramer(1938)による先駆的な研究があります。 この研究は、80 年近く前のスイスにおける研究であり、現在の日本の子どもたちにそのまま当てはまるとはいえないかもしれませんが、感謝の発達についての示唆を含んでいます。その内容を以下に紹介します。 この研究では、スイスの 7 歳から 15 歳の子どもたち 1059 名を対象とし、自分がもつ望みを訪ねた後に、もしその望みを叶えてくれた人がいたらその人に何をするかを質問しています。そして、子どもや青年の回答から、以下の4つの感謝のタイプを見出しました。 ・「言葉による感謝」verbal 感謝を言葉で述べるという回答。7-14 歳まで、30-40%でほぼ一定の比率を占め、年齢的な変化はみられませんでした。 ・「具体的な感謝」concrete 希望をかなえてくれたお返しに何かをあげるというような応報的な回答です。8歳で 51%の子どもたちがこの種の回答をするが、12 歳から 14 歳の子どもたちでは、この種の回答をするのは、6 %に過ぎませんでした。なお、バウムガルテン―トラマーは、これらの回答は、(相手ではなく)自分にとって価値のあるものを、お返しとしてあげるという相 手の観点を考慮しない傾向をもつとしています。 ・「関係性の感謝」 combinational 恩恵を与えてくれた人との精神的な結びつきが高められたことを表わす。例えば、友情が深まったことを相手に伝えるという回答や、相手にとって必要なものを与えるという回答が含まれます。12 歳の子どもたちの比率が最も高く、60%でした。 ・「目的的な感謝」finalistic バウムガルテンートラマーが最後にあげるのが、目的的な感謝と呼ばれる回答です。自分の望みをかなえてくれたときに、その望みの最終目標に向かって努力をするという回答です。例えば、パン作りの職人になりたいと希望している青年が、もしパン屋の職の機会を与えられたとしたら、立派なパン職人になろうと努力するという回答があげられています。ただし、バウムガルテンートラマーは、このタイプの感謝が各年齢でどの程度の比率でみられたかを述べていません。 バウムガルテンートラマーの研究以降およそ 70 年たってブラジルで行われた 7 歳から 14 歳の子どもたち 430 名を対象とした研究でも、「言葉による感謝」がほぼすべての年齢で同様の比率でみられること、相手との関係の深まりを表現する「関係性の感謝」が年齢とともに増加すること、そして相手に対してお返しをするという「具体的感謝」が減少するという結果が得られています (Freitas, Pieta, & Tudge, 2011)。この結果は、さらにアメリカ合衆国の南東地域における7歳から 14 歳の子どもたちを対象とした研究でも確認されています(Tudge,Freitas, Mokrova, Wang, & O'Brien, 2015)。 「 感謝の発達 」 のページへもどる まとめ およそ10 歳以前の時期は、一般に、家族との関係とともに、他の子どもたちとの関係が生まれてきます。そのような相互のやり取りのなかで、大人と同様の感謝のあり方が獲得されていきます。 この時期の感謝心の発達について、以下のように考えることができます。 児童期の初め、すなわち小学生の低学年の子どもたちの感謝感情や負債感は、恩恵を与えてくれた人の意図や、費やした負担(コスト)が考慮されない傾向があります。この感謝感情のあり方は、「何かをしてもらったら感謝をする」という、紋切り型の感謝を想像させます。それはまた、恩恵を与えてくれた相手の観点に立って考えることが不十分であることにもよると考えられます。 児童期の後期、すなわち小学校の高学年になるにつれて、恩恵を与えてくれた人の意図のあり方が、その人に感謝をするかどうかの重要な決定因の一つになります。つまり、恩恵を与えた人が、規則や義務、あるいは他者からの命令によるのではなく、自分自身の意思によって恩恵を与えたときに、その人は感謝を受けるに値すると考えるようになります。また、恩恵を与えた人が費やした犠牲(コスト)に応じて、感謝の程度は異なると考えるようになります。言いかえれば、感謝は、恩恵を与えた人の意図と費やしたコストに応じて分化されます。このような感謝のあり方は、高いコストを費やしてでも、自発的に恩恵を与えてくれる人との関係を深めることにつながります。つまり、感謝が分化することによって、関係の強さもまたさらに分化をすることになります。 「 感謝の発達 」 のページへもどる 文献 Baumgarten-Tramer, F. (1938). Gratefulness" in children and young people. The Pedagogical Seminary and Journal of Genetic Psychology, 53(1), 53-66. Emmons, R. A., & Shelton, C. M. (2002). Gratitude and the science of positive psychology. In C. R. Synder & S. J. Lopez (Eds.), Handbook of positive psychology (pp. 459– 471). New York: Oxford University Press. Graham, S. (1988). Children's developing understanding of the motivational role of affect: An attributional analysis. Cognitive Development, 3(1), 71-88. Greif, E. B., & Gleason, J. B. (1980). Hi, thanks, and goodbye: More routine information. Language in Society, 9(02), 159-166. DeCooke, P.A. 1992. Children’s understanding as a feature of reciprocal help exchange between peer. Developmental Psychology, 28, 948-954. Freitas, L. B. D. L., Pieta, M. A. M., & Tudge, J. R. H. (2011). Beyond politeness:The expression of gratitude in children and adolescents. Psicologia: Reflexão e Crítica, 24(4), 757-764. Gleason, J. B., & Weintraub, S. (1976). 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Human Development, 58(4-5), 281- 300. 「 感謝の発達 」 のページへもどる 小さな謎  感謝について考えていると、基本的な問題とは別に、興味深い問いに出会うことがあります。一見、些細な問いかもしれません。また、日本の文化固有の問いかもしれません。しかし、感謝の性質を考える上で、重要な問いに結びつくのかも知れません。それらの問いをあげます。ただし、このサイトでは「正答」は用意されていません。   義務として行われたことに対する感謝 強制や義務によって行われた行為は、感謝の対象にはならないといわれています。   そこで、次のような問いが生まれます。 「子どもを育てるのは親の義務なのに、なぜ、子どもは、親に感謝をしなければならないのでしょうか?」 「学校の先生は、教師としての義務を果たし、給与を得ています。なぜ、卒業の時に、生徒は先生に感謝をしなければならないのでしょうか?」 さらに、お医者さんや警察官に助けられたときはどうでしょか?    これらの問いにどのように答えたらよいでしょうか。義務によって行われたことは、感謝を受けるに値しないという考えは、誤りなのでしょうか。そもそも、親や教師に感謝をすることが誤りなのでしょうか。 「感謝により関係が親密になること」―「親密な関係の下での感謝のみずくささ」のパラドックス  感謝の気持ちをもち、感謝を表すことによって、相手との関係は親密になるといわれます。しかし、親密さが増してくると、感謝をするのはみずくさいとされるようになります。一見、矛盾しているようにさえ感じます。この現象は、どのように説明されるのでしょうか。「人は感謝をすることによって、感謝のない関係を作る」ということでしょうか。  それとも、感謝の気持ちをもつことと、感謝の行為をすることとは別ということでしょうか。 なぜ、感謝を述べることは、照れくさいのでしょうか 。  特に、実証的なデータを示す必要もないと思いますが、多くの日本人、特に中高年の男性にとって、家族などに感謝を表現するとき、照れくささが伴うと言われます。   実際にそうなのでしょうか。 もしそうならば、なぜ、感謝を伝えるときに「照れくさい」などの感情をもつのでしょうか。他の文化と異なるのでしょうか、もし異なるのであればなぜでしょうか。  人間以外の動物に、感謝の心はあるのでしょうか。  この問題は、動物学の研究者にとっては「小さな」問題ではないかもしれません。また、感謝を進化論的に考える研究者にとっても同様です。「鶴の恩返し」は別としても、地域ぐるみで世話をしているネコが、小動物をとってきて、家のドアの前に置いていったとか、動物が人間に感謝のしるしらしきものを贈ってくれたという動物好きの人の話はよく聞きます。

  • 感謝の問題点と落とし穴 | 生涯における感謝の心

    感謝の問題点 ― 感謝 の落とし穴 (内 藤俊史・鷲巣奈保子, 2 020.8.4   最終更新日, 2023.4.12)   サイトメニュー クリックで該当ページへ移動  感謝には問題点はないのでしょうか。また、感謝の過程で陥りやすい落とし穴はないのでしょうか。 【生涯における感謝の心 】TOP 感謝とは何か-感謝の典型、周辺、そして意義 感謝の力 心理的負債感とすまないという心の力 感謝の文化差と文化摩擦 感謝の発達 感謝の問題点 サイト・主催者紹介   【補足】神道と仏教における感謝 【補足】 感謝と親しさのパラドックス 【補足】感謝に至る判断 資料室 検索結果 このセクションの内容 感謝の落とし穴➩ 別の心との葛藤➩ 公正性との葛藤を見逃すこと(恩人vs他の人々、恩人vs自分)➩ 自尊感情との関わりを見過ごすこと➩ 同時に感じるすまないという感情や負債感を無視すること➩ 真の感謝をめぐって➩ 「虐待的な関係」における不合理な感謝を見誤ること➩ 他の文化における異なる感謝のあり方に気づかないこと➩ まとめ➩ アンカー 1 TOP 感謝の落とし穴 「感謝の心」という言葉は、美しく響く言葉であり、 大切な徳の一つとされてきました。また、感謝の気持ちをもつ傾向の高い人は、well-beingの程度が高いな ど、感謝の心のもつプラス面が心理学の多くの研究によって示されています。 し かし、 感謝にも問題点や落とし穴があります。それら を克服することによって、感謝の心はより高いレベルの感謝へと成長します。        実際、感謝のもつ負の側面を指摘している論文も少なくありません(Layous, & Lyubomirsky, 2014; Morgan, Gulliford, & Carr, 2015; Wood, Emmons, Algoe, Froh, Lambert, & Watkins, 2016)。このページでは、それらの論文で指摘されていることを参考にしつつ、あらためて、感謝の気持ちをもつことの問題点や落とし穴を考えます。  別の心との葛藤 公正性との葛藤を見逃すこと(恩人 vs. 他の人々、恩人vs.自分) 感謝の気持ちをもったときに、感謝の対象となる人やもののために何かをしたいと思うのは自然なことです。しかし、そのとき、徳の一つである「感謝」と、同じく徳の一つの「公正性」との間に葛藤が生じることがあります。つまり、感謝の気持ちから特定の人や集団に対して恩返しをすることが、他の人々に対して不公平になってしまうことがあります。  感謝の落とし穴の一つは、感謝の大切さに心をとらわれたために、公正性を初めとする他の道徳的価値がその状況に関わっていることを見逃してしまうことです。  感謝と公正性との葛藤は、「恩義をとるか、それとも公正さをとるか」といった形で、話題になることがあります注1。  この問題には、感謝のもつ特徴が関わっています。「すべての人への感謝」という言葉もない訳ではありませんが、感謝は、多くの場合、恩恵を与えてくれた特定の個人や集団に対するものです。したがって、「恩恵を与えてくれた人(集団)」と「それ以外の人々」とが区別され、その上で、「恩恵を与えてくれた人(集団)」との関係が感謝によって深められることになります。このような特定の個人や集団との関係の深まりは、公正性との葛藤を生み出す素地を提供することになります。   また、これまで述べた、恩人とその他の人々に対する公正性とは別に、恩恵を与えてくれた人と自分との間の公正性の問題があります。例えば、恩を受けた人から、「命の恩」などの名目で、際限のない恩返しが求められることもないとは言えません。  恩人に対する感謝と敬意を保ちつつ、公正性を初めとする様々な価値を考慮した、適切な恩返しが求められます。  このような葛藤に気づくことは、より精錬され、成熟した感謝の心へ発達するための契機になると考えられます。問題となるのは、公正性との葛藤に気づかないことです。 自尊感情との関わりを見過ごすこと   適度な自尊感情(自尊心)は、積極的な活動を生み、生活を豊かなものにします。感謝 の2つ目の落とし穴は、感謝が、場合によっては自分の自尊心を低めてしまうことです。  感謝の気持ちをもつためには、自分の幸福の原因を認識することが必要です。その際、感謝の大切さが過度に強調されたため、他者による貢献を過大に評価し、自分自身の貢献や力を過小評価してしまうことがあります。その結果、自尊心を不当に低めてしまうことが考えられます。自己主張が抑制され、他者への配慮が強く求められる社会において陥りがちな事態といえそうです。  ただし、誤解を避けるために述べますが、このような危険を避けることができれば、感謝は自尊心を高める方向で働く可能性が考えられます。感謝の過程で、人は、他の人々や社会が自分を支えてくれていることを認識するはずです。自分を支えようとする人々や社会を認識することは、自分の人格が認められ、価値ある存在であるという認識につながり、自尊心を高める道を開きます。事実、いくつかの研究は、感謝傾向と自尊心との間に正の相関があることを見出しています(例えば、Lin,2015)。 同時に感じるすまないという感情や負債感を無視すること  最近の心理学では、感謝のポジティブな感情に焦点が当てられる傾向があります。しかし、感謝の気持ちが生まれるとき、ポジティブな感情とともに、すまないという気持ちや負債感が同時に生じることがあります。3つ目の落とし穴は、感謝を感じる場面でこれらの感情を無視してしまうことです。それらの「ネガティブな」感情は、マイナスの面をもつとともに、反省を促すことによって私たちの生活を豊かにする可能性ももつ感情です。  詳しくは、このホームページの「すまないという心の力」のページをみてください(→「すまないという心と心理的負債感の力」のページへ移動 )。 アンカー 2 アンカー 3 アンカー 4 TOP TOP アンカー 8 アンカー 5 真の感謝をめぐって 「 虐待的な関係」における不合理な感謝を見誤ること  4つめは、ある種の関係の下で、不合理な感謝の気持ちが生じることがあり、それをそのまま受け入れてしまうことです。Woodら( 2016)は、感謝のもつ負の側面について考察していますが、その論文で指摘されている負の側面の一つは、彼らが「虐待的関係abusive relationships」と呼ぶ関係における感謝です。彼らのいう「虐待的関係」は、例えば、独裁政治下における独裁者と国民のような社会的関係を例とするものです。そのような社会において、人々が独裁者に感謝を感じることがありますが、それは、さらに強者への不合理な従順を促し、批判的な思考を妨げる傾向があり、感謝の負の側面であるとされています。  独裁者の行動が、その社会において、過度に強調されたり、美化されたりすることは歴史によって裏付けられているといえるでしょう。その際、独裁者への感謝や恩義が強調されることもまれではありません。また、誘拐や監禁等の被害者に時としてみられる「ストックホルム症候群」との関連も考えられます。  不合理な感謝の現象がどのような条件のもとで生じるのか、生じるとすればどのような対応が可能かという点について、さらなる研究が求められています。 他の文化における異なる感謝のあり方に気づかないこと   私たちは、自分の文化における感謝のあり方にもとづいて、他の文化の人々の行いを解釈することがあります。5つめの問題点は、その結果、他の文化の人々に対して、「恩を知らない」などの道徳的な評価を誤って下してしまうことです。   自分たちの文化の常識に則った方法で感謝を表さないことが、感謝の心をもっていないとか、他者(恩人)を尊重していないことをそのまま意味する訳ではありません(感謝の文化差については、他のページ(「 感謝の文化差と文化摩擦」) を参考のこと)。    まとめ   このセクションでは、感謝の気持ちをもつときの落とし穴をとりあげましたが、感謝をされたときにも、落とし穴はありそうです。感謝をされることは、心理学における行動主義の言葉では、社会的強化を受けたことになります。例えば、援助をしたときに、相手から感謝をされると、感謝をされた人の援助行動は増加します。しかし、援助の行為が、元来の目的を離れ、感謝されること自体を主目的とするようになったときに、感謝の強要や、感謝の有無による援助の不公正に向かう可能性が生まれます。  自己から離れて「他」に心を向けたときに、感謝への道が開かれます。しかし、より成熟した感謝の心をもつためには、自他を含めてさらに広い視点から、感謝を省みる必要があります。 文献 Layous, K., & Lyubomirsky, S. (2014). Benefits, mechanisms, and new directions for teaching gratitude to children. School Psychology Review, 43(2), 153-159. Lin, C. C. (2015). Gratitude and depression in young adults: The mediating role of self-esteem and well-being. Personality and Individual Differences, 87, 30-34. Morgan, B., Gulliford, L., & Carr, D. (2015). Educating gratitude: Some conceptual and moral misgivings. Journal of Moral Education, 44(1) , 97-111. Wood, A. M., Emmons, R. A., Algoe, S. B., Froh, J. J., Lambert, N. M., & Watkins, P. (2016). A dark side of gratitude? Distinguishing between beneficial gratitude and its harmful impostors for the positive clinical psychology of gratitude and well-being. The Wiley handbook of positive clinical psychology, 137-151. セクション終わり  TOP アンカー 6 アンカー 7 TOP TOP TOP 注1 いつの時代でも、公正性と報恩との葛藤は見られるようです。民俗学者の柳田国男は、1958年の神戸新聞のコラムで、代議士となった加藤恒忠が、東京に帰る際に、見送りにきた地元の中心人物を呼び「僕はとくに松山のために働くことはしないからね」といって帰京したことを伝聞としてあげています。そして、「今でもこんな代議士が一人や二人あってもよいはずだ」(柳田、1964、455頁)と微妙な表現ではあるが支持をしています。読売新聞におけるコラム(読売新聞2009年11月28日)では、柳田による文の一部を引用しつつ、「忘恩」という言葉を用いて、今日の国会議員が選挙等の際の地元の恩にいかに対応するかを考えなければならないことを示唆しています。 文献 柳田国男(1964).「故郷70年」.『定本柳田国男集 別巻3』、筑摩書房 1-421. (内藤俊史(2012). 修養と道徳 ――感謝心の修養と道徳教育.『人間形成と修養に関する総合的研究 野間教育研究所紀要』、51集、529-577.540-541より). 本文に戻る

  • 感謝に至る判断、そしてその背後にある感謝の構造 | 生涯における感謝の心

    感謝に至る判断 (内藤俊史、20 2 0.8.4 最終 更新日 202 3.4.16) このセクションでは、感謝をすべきかどうかを判断する過程と、その背景にある感謝の認知的な構造について説明します。   サイトメニュー クリックで該当ページへ移動  アンカー 1 【生涯における感謝の心 】TOP 感謝とは何か-感謝の典型、周辺、そして意義 感謝の力 心理的負債感とすまないという心の力 感謝の文化差と文化摩擦 感謝の発達 感謝の問題点 サイト・主催者紹介   【補足】神道と仏教における感謝 【補足】 感謝と親しさのパラドックス 【補足】感謝に至る判断 資料室 検索結果 このセクションの内容 感謝の判断➩ 感謝の文法(感謝の構造)➩ 感謝の気持ちを適切にもてる人-感謝の構造から 考える➩ 相手に感謝の負担をかけない方法-感謝の構造から考える➩   アンカー 5 アンカー 3 感謝の判断― 感謝に至るまでの判断   感謝の心には、感謝をするかどうか、感謝をするならどの程度の感謝をするかという感謝の判断が含まれます。それには、「じっくりと考える過程」だけではなく、「直感による過程」も含まれます。それらの過程は、次のような過程 を含むと考えられます (図1) 。 自分の利益や幸福に気づく。 自分の利益や幸福に、「他」(自分以外の何か)が貢献していることを知る。 後に説明する「感謝の文法」に照らして、感謝に値するか、どの程度の感謝をするべきかを判断する。   ここで 「感謝の文法」と呼ぶものは、感謝をするかどうかを判断するための、心の中にある規程集のようなものです。「文法」という言葉は、通常は意識化されることなく働いているという意味をこめて比喩的に用いています。  「感謝の文法」は、世代や文化によって異なることが予想されますが、社会のなかではある程度共有されていると考えられます。このページでは、日本の社会における「感謝の文法」を、仮説として描いてみたいと思います。文化差や年齢差は別のページ、「感謝の文化差と文化摩擦」 「 感謝の発達 」 で扱います。   感謝の文法(感謝の構造)   日本の社会で暮らす人々(成人)を想定して、感謝の文法がどのようなものかを考えます。その際、哲学者や心理学者によって提案された感謝の定義を参考にします (Kant、1797/1969; McCullough他、2001; 内藤、2012: Roberts、2004: Smith、1759/2003。 詳しい説明 ⇒資料室ページへ 。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       感謝の文法(感謝の構造) 「私は、私の利益や幸福について、Xさんに感謝をしている」という場合に適用される条件または規則です。  ********************************* a. 私の利益や幸福の原因の少なくとも一部は、Xさんであること。 b. Xさんによる恩恵 は、私にとって貴重であること(「有り難い」こと)。 貴重であればあるほど、感謝の強さは増します。人によって「貴重さ」の規準は異なる可能性がありますが、一般的には、次の規準が考えられます。 私が得た利益や幸福の大きさ 動機論的な考えをもつ人の場合には、結果としての利益や幸福よりもXさんの動機が考慮の対象になります。 Xさんが費やした負担の大きさ Xさんの行為の稀少さ 「ありがとう」という言葉は、「有り難し」(=有るのが難しい)に由来するといわれています。その恩恵の希少性は、感謝に影響すると考えられます(「それは好ましくない」という意見もありそうですが)。 c. Xさんは、望ましいあるいは容認できる行為によって私に恩恵を与えたこと。 Xさんの行為が、少なくとも、私にとって容認できるようなものでないとき、Xさんに感謝をすることは難しいでしょう。 d. 私は、結果としてポジティブな感情をもつこと。   ここでいうポジティブな感情には、私が獲得した利益による喜び、Xさんとの絆が強くなったことや絆が確認できたことの喜び、Xさんに対する敬意、Xさんに対する尊敬・畏怖があります。感じる感情によって、感謝をさらに分類することが可能です。 ****** **********************************  これらの条件ではもの足りないと感じる人も多いと思います。厳密な「文法」には以下が含まれることでしょう。 e.Xさんは、私の利益や幸福を目的とした自発的な行いによって、私に恩恵を与えたこと。   aでは、利益や幸福の原因が「Xさんによるもの」というあいまいな表現になっていて、Xさんが何らかの形で影響を与えていればよいということになっています。しかし、eは、「私の利益や幸福を目的とした自発的な行いによって」という点で、より限定的です。その結果、Xさんの行為が、他の人の命令に従った場合は除かれます。また、道徳的な義務、法的な義務、その他の規則や慣習に従うことが動機となって行われた場合や、相手を助けるという目的が意識されることなく行われた場合なども、感謝の適用外になる可能性があります。    なお、現実の場面では、いつもこのような項目を確認する手順を踏むとは限りません。歩いているとき、落としたものを拾ってくれた人に「ありがとう」と感じるのにさほど時間はかからないと思います。過去の同様の場面における判断の記憶を利用する等、プロセスは自動化、省略化されることがあるためです。  以下はこれまでの応用問題です。 感謝の気持ちを 適切にもて る人- 感謝の構造から  感謝の文法に従うためには、幸福の原因を認識する能力を初めとして様々な知的能力が必要です。言いかえれば、感謝の気持ちを適切にもつ人は、それらの能力をもち、その能力を適切に活用する人と言えます。  以下に、感謝の気持ちをもつことができる人の特徴をあげます。 利益や幸福の認識   自分の受けた利益や幸福に気づく感受性をもつこと。あるいは、出来事や事態を、利益や幸福として解釈する傾向があること。 利益や幸福の原因に関わる認識 自分の利益や幸福の原因を探るために、他との関係を含む認識の枠組みをもつこと。 自分が得ている事柄や幸福の原因を探究し、その事実を受け入れること( 自分の利益や幸福を当たり前とし、それらの原因を問うことを止めないこと)。 恩恵を与えてくれた人々の意図を理解し、払われたコストを的確に認識すること。   アンカー 2 TOPへ TOPへ TOPへ TOPへ 相手に感謝の負担をかけない方法- 感謝の文法 から     社会で共有されている感謝の構造(文法)は、いろいろな場面で確認することができます。  その一つは、恩恵を与えた人が、相手に心理的な負担をかけまいとして投げかける言葉です。例えば、「私は、たいしたことはしていませんから」といった言葉です。それらの言葉について考えてみると、感謝の文法における「感謝の原因に関わる規則」が関わることを確認することができます。  特に調査をした訳ではありませんが、それらの言葉をいくつかあげてみます。  「簡単なことですから」 (b.コストの低さ)。 「私の仕事ですから」 (e.個人的な自発的行為ではないこと)。 「(贈り物をするときに)つまらないものですが」 (b.利益の少なさ)。 「いつもお世話になっていますから(そのお返しです)」 (e.自発的な援助というよりは公正性の義務に従っているだけである)。 「見ていられなくなってしまって」 (e.自分のためにしたこと、または意志的てはないこと)。   それぞれの言葉は、感謝の文法に照らして、相手の感謝を不要にしたり、感謝の程度を小さくしたりするための工夫と考えられます。感謝に負担が伴いやすい社会では、感謝を抑制するような工夫がより頻繁に用いられるようになると考えられます。 文献 Kant, I .(17971969). Die Metaphysik der Sitten. Königsberg :Bey Friedrich Nicolovius. (吉沢伝三郎・尾田幸雄訳. カント全集第 11 巻 人倫の形而上学. 理想社,1969 年). McCullough, M.E., Kilpatrick, S. D., Emmons, R.E. & Larson,D.B.(2001). Is gratitude a moral affect? Psychological Bulletin, 127, 249-266. Roberts, C.R. (2004). The blessings of gratitude: A conceptual analysis. In R. A. Emmons & M. E. McCullough (Eds.), The psychology of gratitude.New York: Oxford University Press. (pp.58-78). 内藤俊史(2012). 修養と道徳――感謝心の修養と道徳教育.『人間形成と修養に関する総合的研究、 野間教育研究所紀要』、51 集、529-577. Smith, Adam (1759/2003). The theory of moral sentiments, first edition. London: A. Miller. (水田洋訳.『道徳感情論』,岩波書店. 2003 年). セクション本文 終 わり TOPへ 本文に戻る 図1  感謝の過程

  • 生涯における感謝の心と心理的負債感

    サイト編著(代表)   内 藤俊史 (T akashi Naito )   お茶の水女子大学名誉教授  連絡先 naitogratitude@gmail.com 生涯における感謝の心 公開開始日: 2020.8.4 2024.1.1 以降、訪問数 : 心理学、哲学 、宗教学など様々な分野の研究を参考にして、生涯における感謝の心について考えます。また、感謝には、恩返しをしなければならないという義務感-負債感や、すまないという気持ちが伴うことがあります。このサイトでは、それらの心も対象にします。 [キーワード]: 感謝、感謝心、ありがとう、すまない、心理的負債感、心理学、生涯発達   サイトメニュー クリックで該当ページへ移動  【生涯における感謝の心 】TOP 感謝とは何か-感謝の典型、周辺、そして意義 感謝の力 心理的負債感とすまないという心の力 感謝の文化差と文化摩擦 感謝の発達 感謝の問題点 サイト・主催者紹介   【補足】神道と仏教における感謝 【補足】 感謝と親しさのパラドックス 【補足】感謝に至る判断 資料室 検索結果 このサイトにおける感謝に関わる言葉の説明    このサイトでは、感謝に関わる言葉は、次のような意味で用いています。 「感謝の気持ち」「感謝感情」 これらの言葉は、個々の状況で短時間生じる感謝の意識と、感謝の感情を指します。 用例、「感謝の気持ちが湧くとき」。  なお、心理学では、個々の状況で生起する感謝の心理的状態を、 「状態感謝 state gratitude」と呼んでいます 。 「感謝心」「感謝の心」「感謝傾向」 これらの言葉は、区別をしないで用いています。感謝の感情と感謝の気持ちをもつ傾向を意味します。用例、「感謝心が育つ」。  心理学では、感謝の意識と感謝の感情をもつ傾向を、「特性trait」の一つとし、それを「特性感謝 trait gratitude」と呼びます。特性とは、ある程度、場面と時間を超えて一貫してもつ個人の傾向を意味します。この場合は、感謝の気持ちを生じさせる、個人の内にある心と言ってもよいでしょう。 「感謝行動」「感謝の行動」  二つの語ともに、感謝を相手に伝えることを目的とした行動を指します。相手にお礼を言うなど、様々な行動 が含まれます。 そ れらの行動以外にも、感謝は、恩返しを初めとして様々な行動を導きます。広く、 感謝によって導かれた行動は、「感謝によって生じた行動」「感謝にもとづく行動」などと記します。 「感謝」 広く、感謝の意識、感謝の感情、感謝行動を含む行為全体を意味します。 

  • 感謝と親密さの不思議な関係|親しさと感謝のパラドックス|生涯における感謝の心

    感謝と親しさのパラドックス ― 感謝は感謝のない社会を築くのか? (内藤俊史 2020.8.4, 最終更新日 2024.11.28)     サイトメニュー クリックで該当ページへ移動  【生涯における感謝の心 】TOP 感謝とは何か-感謝の典型、周辺、そして意義 感謝の力 心理的負債感とすまないという心の力 感謝の文化差と文化摩擦 感謝の発達 感謝の問題点 サイト・主催者紹介   【補足】神道と仏教における感謝 【補足】 感謝と親しさのパラドックス 【補足】感謝に至る判断 資料室 検索結果 このセクションの内容 序  感謝は感謝のない社会を築くのか 1.感謝の3つの性質と、それらから導かれること  2.親しい人からの援助に対する感情-ある調査の結果 3.親しい関係において感謝を感じるとき 4.結論          序  感謝の気持ちをもち、感謝を伝えることによって、相手との距離は近くなるといわれます。ところが、お互いの距離が近くなると、感謝をするのはみ ずくさい言われるようになります。感謝は、お互いに助け合い、感謝をし合う集団や社会を招くと考えるのが自然ではないでしょうか。一見、矛盾しているようにさえ感じます。この事実は、どのように説明することができるのでしょうか。このページでは、この事実を、感謝のもつ性質にもとづいて解釈を試みます。 1.感謝の3つの性質と、それらから導かれること  [感謝の性質] 上記の現象は、次にあげる感謝のもつ性質からもたらされると考えられます。 感謝は、その対象である人との関係をより親しいものにする。 親しい関係の下では、援助行為は当然とされる(強い信頼関係、規範意識などにより「当たり前」とされる)。 行為が当然とされる場合、その行為は、感謝の対象にはならない 。 [感謝が不要になるまで] あらためて、その過程を推測してみます。  感謝をすることによって、関係はより親しいものになります。親しい関係になった結果、少なくとも相互における援助の一部は、「当然のこと」「当たり前」とみなされるようになります。お互いの援助が当然のこととして行われることが、関係の親しさの証になることさえあります。そのような状況で感謝が表明されたときは、「みずくさい」「わざとらしい」「よそよそしい」「形式的」などと非難を受けることになります。   また、別の観点から考えると、親しい関係の下で、より多くの相互援助が習慣化-常態化するようになると、その都度感謝を意識し表現することは、心身ともに負担が大きくなります。その負担を軽減するために、感謝を意識し伝える行為は減少すると考えられます。  事実、世界的な規模で行われた比較的親しい間柄における感謝の言葉を中心とした調査によると、多くの文化において、食卓で塩をとってもらうなどの手助けに対して、感謝の言葉が発せられるのは一般に思われているよりも少ないという結果でした ( Jennifer Schuessler、 藤原朝子 、2018)。  しかし、お礼などの感謝の表現については納得する人が多いかもしれませんが、感謝の心については、疑問を感じる人は少なくないのではないでしょうか。  そこで、これまで感謝の表現と感謝の気持ちとを分けずに考えてきましたが、次に、感謝の気持ちに焦点を当てて考えてみましょう。 TOPへ 2.親しい人からの援助に対する感情-ある調査の結果  このテーマと関連する私たちの調査データがありますので、紹介します(Naito, Wangwan, and Tani, 2005 のデータに基づく追加分析 Fig.1 )。   調査では、「骨折した自分のために荷物を毎日学校まで運んでくれた」等の架空の場面を設定し、助けてくれた人物をいろいろと変えて、そのときに感じると思う感情を大学生に対して尋ねました。その結果、見知らぬ人から援助を受けた場合に比べ、友人、母親、父親から援助を受けた場合、「うれしい」「あたたかい」「幸福」「感謝」というPositive feelingの合計点は、見知らぬ人からの援助よりも大きな値になりました。 これは、「親しくなると援助に対する感謝の気持ちが減少する」という考えにとって不利な証拠です。  なお、他方で、「恥ずかしい」「迷惑をかけた」「心苦しい」「借りが出来た」というNegative feelingの合計点は、父母から援助を受けた場合に、より低い値になりました。   調査の結果は、少なくとも、親しい関係にある人からの感謝が、それ以外の場合と比べて、異なる性質をもつことを示唆しています。それでは、親しい関係における感謝には、どのような特徴があるのでしょうか。  3.親しい関係において感謝を感じるとき  このページの初めに示した説明では、親しい関係の下では、いくつかの援助は当然とされ、また当然とされる行為は感謝の対象にならないために、感謝は減少するというものでした。ということは、これらに当てはまらない場合には、感謝が生じる可能性があることを意味します。つまり、親しい関係にあっても、その行為が当然とされない場合には感謝が生じる可能性があります。 それはどのような場合でしょうか。親しい関係において感謝が生じる場合として、次のような場合が考えられます。 a 援助の行為が、「当然とされるもの」「当たり前とされるもの」ではない場合 「食卓で醤油の瓶をとってあげる」といった慣習化しやすい援助は別として、あまり慣習化されるようなことのない援助や当然かどうかあいまいな援助の場合は、感謝の気持ちは、親しくなった後に弱くなるようなことはないと考えられます。 b  信頼関係の存在や発展を確認したとき(「友情を確認した喜びと感謝」「援助によって友情が深まったことへの感謝」など) 相手への直接的な感謝とは別に、「友情を確認した喜び」など、関係自体が喜びや感謝の対象になることがあります。恩恵を与えてくれるような関係があること自体やそれが発展することへの喜びと感謝です。   社会に視野を広げれば、感謝を確認する日々が制度として設けられています。多くの国々で設けられている「感謝の日」です。感謝の日には、「当たり前」という枠をはずして、親しい関係である父母等への感謝、そしてそれを裏打ちする関係自体への感謝が呼びかけられます。    TOPへ 4 結論 (まとめ)    a. 親しい相手からの恩恵に対して、それが当然とみなされる限りは、感謝の表現や感謝の気持ちは、他の相手からの恩恵と比べて減少する傾向がある。 b. 親しい関係にあっても、当然と見なせない恩恵を受けた場合は、感謝の対象となる。 c. 親しい関係の場合、その関係の維持や発展に焦点が当てられたとき、その関係自体への感謝が生まれることがある。   このページの結論は、「感謝は、感謝のない社会を導く訳ではなく、親しい関係の下では、感謝のあり方が異なるようになり、表面上、感謝が減少するようにみえる」というものです。 文献 Jennifer Schuessler、 藤原朝子訳 (2018)「人は思っているほど「ありがとう」と言わない ―やってもらうのは結構当たり前. 東洋経済オンライン 2018/07/06 https://toyokeizai.net/articles/-/228180  2024.8.24アクセス  Naito,T., Wangwan,J.,and Tani, M.(2005). Gratitude in university students in Japan and Thailand. Journal of Cross-Cultural Psychology, 36 ,247 -263. セクション本文終わり TOPへ 本文に戻る

  • サイト紹介|サイト主催者の経歴と公刊論文|内藤俊史|生涯における感謝の心

    サイト ・主催者 紹介   (内藤俊史 2020.8.4. 最終更新日 2024.4.7) アンカー 1 【生涯における感謝の心 】TOP 感謝とは何か-感謝の典型、周辺、そして意義 感謝の力 心理的負債感とすまないという心の力 感謝の文化差と文化摩擦 感謝の発達 感謝の問題点 サイト・主催者紹介   【補足】神道と仏教における感謝 【補足】 感謝と親しさのパラドックス 【補足】感謝に至る判断 資料室 検索結果 このホームページについて このサイトは、様々な分野の研究成果にもとづいて、感謝に関する知識を提供することを目的としています。 サイトの内容は、感謝心をテーマとする私たちの研究グループによる討論に基づいています。グループは、元お茶の水女子大学教授内藤俊史と、指導学生であった有志により構成されています。 サイトの編集と運営は、内藤俊史が担当しています。各ページの執筆者の氏名は、ページの初めに記しています。 このサイトは、2020年8月4日に初めて公開された後、度々変更が加えられています。各ページの最終更新日は各ページの初めに執筆者の氏名とともに記載されています。 ページの表紙の画像(PC版のみ)は、編集者の撮影によるものです。 このサイトについてのご意見は、以下にお願いします。      naitogratitude@gmail.com 内藤俊史 サイト編著(代表)     内藤俊史 Naito, Takashi    お茶の水女子大学名誉教授 博士(教育学)、学校心理士 現在           「傾聴ボランティア、ハミング」所属  (埼玉県川越市において活動) 川越市社会教育委員会委員・図書館協議会委員   サイトメニュー クリックで該当ページへ移動  公開開始日: 2020.8.4 2024.1.1 以降、訪問数 : 詳しい経歴・論文  感謝についての私たちの主な論文 下線のある論文は、下線部をクリックすると論文の掲載されているサイトにつながります。 内藤俊史(2004). 成長とともに身につける「ありがとう」「ごめんなさい」.児童心理 、58(13) 、1173-1177. Naito,T., Wangwan,J.,and Tani, M.(2005). Gratitude in university students in Japan and Thailand. Journal of Cross-Cultural Psychology, 36 ,247 -263. Naito, T., & Sakata,Y. (2010). Gratitude, indebtedness, and regret on receiving a friend’s favor in Japan. Psychologia, 53, 179-194. Naito, T. and Washizu, N. (2015). Note on cultural universals and variations of gratitude from an East Asian point of view. International Journal of Behavioral Science. 10, 1-8. Naito, T. and Washizu, N. (2019). Gratitude in life-span development: An overview of comparative studies between different age groups. The Journal of Behavioral Science, 14, 80-93. Naito, T., and Washizu, N. (2021). Gratitude in Education: Three perspectives on the educational significance of gratitude. Academia Letter, Article 4376.https://doi.org/10.20935/AL4376. Washizu, N., and Naito, T. (2015). The emotions sumanai , gratitude, and indebtedness, and their relations to interpersonal orientation and psychological well-being among Japanese university students. International Perspectives in Psychology: Research, Practice, Consultation. 4(3), 209-222. 鷲巣奈保子・内藤俊史・原田真有(2016) .感謝、心理的負債感が対人的志向性および心理的well-beingに与える影響.感情心理学研究、24、 1-11. 鷲巣奈保子 (2019). 感謝,心理的負債感,「すまない」感情が心理的well-b eingに与える影響とそのメカニズムの検討.  お茶の水女子大学博士論文.    鷲巣奈保子・内藤俊史(2022). 高齢期における感謝の特徴と機能. お茶の水女子大学人文科学研究 第18巻 、157-168.

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