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- 感謝|心理的負債感|すまないという心| 生涯における感謝の心
サイト主催者代表 内 藤俊史 (T akashi Naito ) お茶の水女子大学名誉教授 心理学 連絡先 naitogratitude@gmail.com 生涯における感謝の心 心理学、哲学 、宗教学など様々な分野の研究を参考にして、生涯における感謝の心について探究します。また、感謝には、恩返しをしなければならないという気持ち(負債感)や、すまないという気持ちが伴うことがありますが、それらの心も対象にします。 キーワード: 感謝、感謝心、ありがとう、心理的負債感、すまない、心理学、生涯における感謝の心 2021.1.1 以降、一回以上訪問した人の数 : 公開開始日: 2020.8.4 サイトメニュー 生涯における感謝の心 (序) 感謝の輪郭と意義 ----宗教における感謝 ----感謝の判断の構造 感謝の力 すまないという心の力 感謝と文化 年齢とともに変わる感謝 感謝の問題点 付: 感謝に関する小さな謎 サイト紹介 検索結果 言葉の説明 このサイトでは、感謝に関わる言葉を次のように用いています。 「感謝の気持ち」「感謝感情」 具体的な場面で短い時間生じる、感謝の意識と感情を指しています。心理学では「状態感謝state gratitude」と呼ばれます。 例、「感謝の気持ちが湧くとき」。 「感謝心」「感謝の心」「特性感謝」「感謝特性」「感謝傾向」 その人が感謝感情や感謝の気持ちをもつ傾向を意味します。心理学では、「特性trait」として扱われ、「特性感謝 trait gratitude」と呼ばれます。特性とは、その人がある程度、場面と時間を超えて一定の傾向をもつものとされます。感謝の気持ちを生じさせると想定される心です。 例、「感謝心が育つ」。 「感謝行動」「感謝の行動」 感謝をする行動、つまり感謝を相手に表明する行動に対して用います。お礼を言うことから、恩返しまでを含みます。必ずしも感謝心によって生じた行動のすべてを意味していません。その場合は、「感謝により生じた行動」「感謝にもとづく行動」です。 「感謝」 広く感謝に関わる心と感謝行動を意味します。心と行動を含む広い概念として用います。 . Ⓒ 2 020 Takashi Naito. All Rights Reserved.
- 感謝の判断の構造 | 感謝の文法|生涯における感謝の心
感謝の判断の構造 (202 0.8.4 最終 更新日 202 3.4.16) 感謝は、広く、 心と行動を含みます。感謝の心に限定しても、 感情と 認知が含まれます。 このセクションでは、 感謝の心に含まれる認知的な働き、つまり 感謝をするかどうか を判断する過程 、そし てその背景にある感謝の知的な構造に光を当てます 。 サイトメニュー このセクションの内容 感謝の判断 感謝の構造(感謝の文法) 感謝の気持ちを適切にもてる人-感謝の構造から 考える 相手に感謝の負担をかけない方法-感謝の構造から考える 生涯における感謝の心 (序) 感謝の輪郭と意義 ----宗教における感謝 ----感謝の判断の構造 感謝の力 すまないという心の力 感謝と文化 年齢とともに変わる感謝 感謝の問題点 付: 感謝に関する小さな謎 サイト紹介 検索結果 アンカー 1 感謝の判断: 感謝に至るまでの判断 感謝の心には、感謝をす るかどうか、そして、もし感謝をするなら どの程度の感謝をするかという知的な過 程、つまり感謝の判断の過程が含まれます。感謝の判断の過程には、メモを 取りながら考えるような「じっくりと考える過程」だけではなく、「直感」によるような過程も含みます。それらの過程 は 、さらに次のような過程から成っていると考えられます ( 図 1) 自分の 利益や幸福に気づく。 自分の利益や幸福に、「他者」(自分以外の何か)が貢献していることを知る。 後に説明する「感謝の構造 (感謝の文法)」に照らして、感謝に値するか、ど の程度の感謝をするかを判断する。 3で「感謝の構造(感謝の文法)」と呼ぶのは、感謝をするかどうかを判断するための、心の中にある感謝の規程集のようなものです。また、「文法」という言葉は、通常は意識化されることなく働いているという意味で、比喩として用いています(学術用語としてではありません)。「感謝の文法」は、社会である程度共有されていると考えられますが、他方で、世代、集団、文化による相違も考えられます。子どもたちは、この「文法」を習得しつつ、感謝に関わる社会的なコミュニケーションに参加していきます。 なお、これらをみると、感謝の過程はごく単純で、いつでも実施可能な過程にみえます。しかし、実際はそうではありません。私たちは、日常生活において、感謝すべき利益や幸福に気がつかないことも多々あります。また、何かうまくいったという経験をしたときに、それが 自分自身の努力や能力のみによってもたらされたのだと考えたい気持ちは捨て難いものです。 感謝の構造(感 謝の文法) 感謝の文法の 例を次に示します。 感謝について共通の定義をすることが難しいのと同じ様に、普遍的な文法を示すことは 容易なことではありません。ここでは、一つの"サンプル"を示します。 "サンプル" は、これまで、哲学者や心理学者によって提案された感謝の定義にもとづいています (Kant、 1797/1969); McCullough他、2 001 ; 内藤、2012: Roberts、2004: Smith、1759/2003)。詳しい説明は、次の 文書(PDF) を参照してください( ⇒ PDF文書 ) 。 感謝の文法 (感謝の構造 ) 「私は、私の利益や幸福について、Xさんに感謝をしている」という場合に適 用される条件または規則です。 a. 私の利益 や幸福の原因の少なくとも一部は、Xさんによるものであること 。 b. 私が受けた恩恵が大きいほど一層大きな感謝をすること。 (ただし、動機論的な 考えをもつ場合は、結果としての恩恵よりもXさんの動機 が考慮の 対象になる。) c. Xさんが費やした負担が大きいほど一層大きな感謝をすること。 (b.と c.を合わせると、私が感じるXさんの行為の「貴重さ」(有り難さ)と一部重なると考 えられます。) d. Xさんは、望ましい行為、少なくとも容認できる行為に よって、私に恩恵を与えたこと。 (Xさ んの行 為が望ましくなかった場合、少なくとも公然と感謝はし難い。) e. 私は、ポジ ティブな感情を結果として もつこと。 ( ここでいうポジティブな感情には、私が得た利益による喜び、Xさんとの絆が確認できたことや絆が強くなったことの喜び、Xさんに対する敬意・尊敬等がある。) これらの条件ではもの足りないと感じる人も多いと思います。少し厳密な「文法」には以下が含まれることでしょう。 f. Xさんは、私の利益や幸福を目的とした自発的な行いによって、私に恩恵を与えたこと。 aでは、利益や幸福の原因が「Xさんによるもの」というあいまいな表現になっていて、Xさんが何らかの形で影響を与えていればよいということになっています。しかし、f は、「私の利益や幸福を目的とした自発的な行いによって」という点で、より限定的です。その結果、Xさんの行為が、他の人の命令に従った場合は除かれます。また、道徳的な義務、法的な義務、その他の規則や慣習に従うことが動機となって行われた場合や、相手を助けるという目的が意識されることなく、流されるままに行われた場合なども、感謝の適用外になる可能性があります。 なお、現実の場面では、いつもこのような項目を確認する手順をふむとは限りません。歩いているとき、落としたものを拾ってくれた人に「ありがとう」と感じるのにさほど時間はかからないと思います。過去の同様の場面における判断の記憶を利用する等、手順は自動化、省略化されることがあるためです。 以下は、これまでの話の応用問題です。 感謝の気持ちを 適切にもて る人- 感謝の構造から 感謝の構造を踏まえた上で、適切に感謝の気持ち をもつことができる人とはどのよう な人なのかを考えてみましょう。 次の ような特徴が考えら れます。 自分の享受している利益や幸福に気づく 感 受性をもつこと。 恩恵 を与えてくれた人々の意図を理解し、払われたコストを正確に認識すること。 自分の得た利益や幸福の原因を探求し、その結果を受け入れること(都合の悪い人や事柄であっても受け入れること)。 自分の利益や幸福を当たり前(当然のもの)とし、その結果、自分の利益や幸福の原因を問うこと を、停止してしまうようなことがないこと。 これらは、常識的にもうなづけることではないかと思います。しかし、私たちは、社会的要因や発達的要因によって、時として、これらの特徴と相反する傾向をもつようになります。 なお、性格特性と感謝傾向との関係について、多くの研究が行われています。例えば、以下のような結果が得られています。これらの結果は、特定の性格特性が、これまで述べた過程全体に、あるいはその一部に影響を与えることを示唆しています。 正の関係 Szcześniak et al. (2020)の結果 協調性 agreeableness 外向性 extraversion 開放性 openness to experience 負の関係 Solom, et al. (20 17)の結果 物質主義 materialism シニシズムcynicism 自己愛 narcissism 自 己愛は、多く の研究者によって定義がなされていますが、基本的には自分が自分を愛すること(その結果他者を無視すること)、シニシズムは、他者に対する疑念的な態度、物質主義は人生の意味を物質的なものとする考えを意味します。 なお、感謝は、いつも正しいのかというと、必ずしもそうとは限りません。「 適 切 に」感謝の心をもつためには、感謝の問題点を知る必 要が あり ます。 感謝のもつ落とし穴については、別のセクションで検討します(セクション 「 感謝の問題点」 )。 相手に感謝の負担をかけない方法- 感謝の構造から 社会で共有されている感謝の構造(文法)は、いろいろな場面で確認することができます。 その一つは、恩恵を与えた人 が時々みせる、相 手への配慮による 言葉です。 恩恵 を与えた人が、相手に心理的な負担をかけまいと配慮して、「私は、たいしたことはしていません 」などの言葉を添えることがあります。それらの言葉のもとを辿ってみると、感謝の文法に含まれる感謝の原因に関わる規則を確認できることができます。 なお 、このような言葉が添えられるのは、私たちの社会で、感謝をする人に負債感などの心理的負担がともなうことが多々あるからだと考えられます(その他にも、感謝によって、特定の関係が強くなっては困るときに、そのような言葉を添えることなども考えられます)。 特に調査をした訳ではありませんが、それらの言葉をいくつかあ げてみましょう 。 その他にもいろいろとありそうですので、皆さんで加えてください。そして、背後にある感謝の文法を確認してください。 ・簡単なこ とですから。 ・それは、私の仕事ですから。 ・(贈り物をするときに)つまらないものですが。 ・お互い様ですよ。 ・前に助けてもらっていますから。 ・見ていられ なくて しただけですから。 ・自分のためにしたことです。 それぞれの言葉は、感謝の構造において、感謝が不要である、または感謝の程度を小さくするような工夫です。 感謝が求められることが多く、その負担が大きい社会では、逆に、感謝を抑制するような工夫が発達するのかもしれません。 セクション本文 終 わり アンカー 2 アンカー 5 TOPへ TOPへ アンカー 3 TOPへ TOPへ アンカー 7 TOPへ 文献 Kant, I .(17971969). Die Metaphysik der Sitten. Königsberg :Bey Friedrich Nicolovius. (吉沢伝三郎・尾田幸雄訳. カント全集第 11 巻 人倫の形而上学. 理想社,1969 年). McCullough, M.E., Kilpatrick, S. D., Emmons, R.E. & Larson,D.B.(2001). Is gratitude a moral affect? Psychological Bulletin, 127, 249-266. Roberts, C.R. (2004). The blessings of gratitude: A conceptual analysis. In R. A. Emmons & M. E. McCullough (Eds.), The psychology of gratitude.New York: Oxford University Press. (pp.58-78). 内藤俊史(2012). 修養 と道徳――感謝心の修養と道徳教育.『人間形成と修養に関する総合的研究、 野間教育研究所紀要』、51 集、529-577. Smith, Adam (1759/2003). The theory of moral sentiments, first edition. London: A. Miller. (水田洋訳.『道徳感情論』,岩波書店. 2003 年). Solom, R., Watkins, P. C., McCurrach, D., & Scheibe, D. (2017). Thieves of thankfulness: Traits that inhibit gratitude. The Journal of Positive Psychology,12(2), 1-10. Szcześniak, M., Rodzeń, W., Malinowska, A., & Kroplewski, Z. (2020). Big Five Personality Traits and Gratitude: The Role of Emotional Intelligence. Psychology research and behavior management, 13, 977–988. https://doi.org/10.2147/PRBM.S268643 アンカー 4 本文元に戻る 図1 感謝の過程 アンカー 6
- 感謝の文化差|日本人の感謝|Cultural differences of Gratitude | 生涯における感謝の心
感謝と文化 (内藤俊史・鷲巣奈保子 2020.8.4 最 終更新日 2023 .11.8 ) このセクションの内容 感謝の文化差を理解することの大切さ 感謝の行動の文化による相違-いくつかの事例 感謝とともに生じる感情の文化差 文化差を知るための枠組み 参考 感謝を表わす言葉のない社会 アンカー 1 アンカー 2 生涯における感謝の心 (序) 感謝の輪郭と意義 ----宗教における感謝 ----感謝の判断の構造 感謝の力 すまないという心の力 感謝と文化 年齢とともに変わる感謝 感謝の問題点 付: 感謝に関する小さな謎 サイト紹介 検索結果 TOPへ TOPへ アンカー 3 TOPへ TOPへ TOPへ TOPへ 感謝の 文化差を理解すること の大切さ 感謝のあり方は、どの文化でも共通なのでしょうか、それとも文化によって異なるのでしょうか。感謝は、感情、認知、行動を含む広い概念ですが、なかでも、感謝を伝える「感謝の行動」の相違は、文化間のコミュニケーションにおいて、深刻な相互不信を導くこともあります。 私たちは、いつ、どのようなときに感謝をするかを示す感謝の規範を身に着けて いますが、それらを、そのまま 「人間なら誰でもがそうするはずだ」と信じ、他の文化の人々にも適用することがあります。また、自分たちと異なる形での感謝を「感謝」として理解しないこともあります。 その結果、相手のために尽くしたにもかかわらず、感謝をされていないと感じて落胆したり、場合によっては、人格を無視されたように感じることさえあるでしょう。 哲学者のカント(1797/1969)は、感謝には尊敬が含まれると論じましたが、まさにその逆の事態、人格を無視された事態とでもいえそうです。感謝についての誤解が、深刻な結果を導きやすいのはこのためと言えます。 他の文化との交流のためにも、感謝の文化的な普遍性や相違を知る必要があるのは確かです。しかし、現在、すでに多様な文化が存在し、これからさらに、文化の多様性が認識されるようになると考えられます。 信頼できる「感謝の文化的普遍性と相違の理論」が構成されるためにはさらに多くの研究が必要です。 このような状況で、私たちができることは、感謝に関する文化差の可能性を理解した上で、他の文化の人々と交流を重ねていくことではないかと思います。 次に、他の文化 に触れたときに生じた、感謝の行動をめぐる葛藤の事例をあげます。 なお、紹介する事例は、学会誌に公表されたものではありません。このことは、学会で通常設けられているデータ収拾の方法、結果の解釈と一般化についての規準が意識されているとは限らないことを意味します。それは、各著作の作品としての価値を低めるものではありませんが、考慮が 求められます。 感謝の行動の文化による相違-いくつかの事例 書籍 やインターネットにおいて述べられている5 つの 事例 をあげます。 それらの内の4 つは、日本 と海外との相違に関するものです。 a. 感謝を表現する ことの文化差 ― インドから アメリカ合衆国に移住した人の例 Singh(2015) は、インドからアメリカ合衆国へ移住した経験にもとづいて、感謝の表現の文化差について次のように述べています。 インドでは、ヒンズー語で感謝(dhanyavaad)を述べることはまれであり、もし話すとしても、かなりあらたまった場面であり、子ども同士でこの言葉を使うことはありません。しかし、アメリカ合衆国に移住後、頻繁に用いられる感謝表現として、”thank you”を学ぶこととなりました。しかし、久しぶりにインドへ帰郷をしたとき、今度は、インドの人々を不快にさせてしまいました。兄弟、友人に対して、感謝を述べると、冗談として受けとられたり、場合によっては相手を不快にさせました。ヒンズー語での感謝表現は、相手との新たな関係をもたらすのですが、すでに構築されている親密な関係における感謝の表現は、むしろ関係を悪くしてしまう可能性さえあるといいます。 b. 感謝の表現の頻度とタイミング―タイに赴任した日本人 社員の例 斉藤(1999)は、タイにおける滞在経験にもとづいて、日本とタイとの間のお礼のあり方の相違を述べています。 日本人である著者がタイに着任し、赴任の挨拶廻りをしたときのことです。日本で人気の出ていたポータブルテレビを持参したところ、取引先であるタイのオーナー夫妻は大変喜んでくれました。ところが、その二日後に、仕事で顔を合わせたときのことです。テレビのことは一切触れられることはなく、もちろん感謝の言葉はまったくありませんでした。 著者はそのことにひどく落胆したようです。確かに、日本人の多くは、そのときに、一言、感謝の言葉があると予想することでしょう。 著者は、次のように述べています-「日本流に右から左へとお返しをするのは、せっかくの相手の好意を無にする無朕な行為ととられるそうだ。秘書や女性スタッフのばあいは、筆者の誕生日やバレンタインデーに、一年分のお礼とばかり豪華なケーキ、ワインなどをプレゼントしてくれる。これが、タイ・ウェイである」。 なお、タイの人々の感謝について、別の説明もあります。参考までに加えておきます。Holmes & Tangtongtavy (1995)は、タイの慣習についての著書のなかで、仏教の思想が浸透しているタイでは、プレゼントに対して過度に喜ぶことは強い物欲を示すものとして控えられるのだと説明しています。 c. お礼のタイミングと頻度―日本における韓国からの留学生の例 私(内藤)が勤務していた大学で、留学生と研究の相談をしているとき、たまたま感謝やお礼の仕方について話題になったことがあります。その学生は、韓国からの留学生で、日本での生活はすでに10年を超えていました(30代女性 )。彼女は、贈り物をもらった後、短期間の間に何らかのお返しをするという日本の習慣になかなか慣れないとのことでした。今はその習慣に従ってはいるものの、未だに違和感があり、今でも、何かをプレゼントされると、嬉しい反面、そのお返しをどうするかを考えて重い気持ちになるとのことでした。 確かに、日本の社会での「お返し」「お礼」の習慣は、日本人にとっても、頭を悩ませるものだと思います。そして、韓国に限らず、他の文化から参入した人々にとって、日本における「お返し」「お礼」の習慣は理解するためには時間がかかることでしよう。 大崎(1998)は、日本と韓国とのコミュニケーションについて次のように述べています。 「相手との摩擦をさけるため潤滑油的にむやみやたらに「ありがとう」「すいません」を連発する日本人と、軽々しく謝辞を言ってはならないとする韓国人がコミュニケーションすると、両者の間には当然ながら誤解が生ずる。日本人は、謝辞のない韓国人の態度に不快となり、韓国人は、謝辞の多い日本人に水臭さを感じる」(大崎正瑠(1998)『韓国人とつきあう法』p. 104) d.お礼のタイミング―日本における中国からの留学生の例 村山(1995)は、中国からの留学生から聞いた、「お返し」に関する疑問について述べています。その留学生の疑問は、要約すると次のようなものでした。 「日本ではお土産が必要と聞いて、中国のお土産を日本の人々に差し上げたのですが、そのつどお返しをもらいました。しかも、そのお返しは、お土産を差し上げた直後にいただくのが常でした。このお返しの意味がよく理解できません」。 確かに、日本人の間では、何かを受け取ったときや恩恵を受けたときに、あまり時間をあけないうちにお返しをすることがあります。村山(1995)によれば、中国人の考え方からすると、プレゼゼントをもらってすぐお返しをすることは、商業上の売買と同じことになってしまい、相手からの厚意を厚意として受け取らないことになるといいます。むしろ、厚意は受け取り、そこで築かれた関係を忘れずに、何かのおりに感謝の返礼をすべきであるというのが中国における感謝の流儀という訳です。 e. お礼の表現の有 無-南アジア、中東における日本人旅行者 インドなど、南アジア、中近東を旅する日本人がよく経験する、 感謝に関わる文化差です。インドには、「バクシーシbaksheesh(英語)」という言葉があります。 それは、富める者から貧しいもの への施しであり、宗教的-社会的な務めとされます。観光地など様々な場所で、子どもや大人たちからバクシーシが求められます。功徳が得られるとされるこの施しに対して は、お礼の言葉はないのが普通 です。「お礼の一言」を期待しがちな日本人の多くは、違和感を感じることになります(事例をあげませんが、日本人による多くの体験談が、「バクシーシ」という語をインターネットで検索することによって得られます)。 こ れらの事例は文化差に関するものでしたが、日本人の間でも、同様のことが起こり得ます。つまり、その土地の お返しの習慣に反することをすれば、「水臭い」と言われたり、逆に「恩知らず」 と言われたりすることもあります。 感謝とともに生じる感情の文化差 これまで述べた事例は、主に感謝の行動に関するものでした。それでは、感謝の心に文化差はあるのでしょうか。 一つの可能性として考えられるのは 、感謝が生まれる場面で、同時に感じる感 情の文化差です。感謝という感情は、負債感、尊敬、尊厳など様々な感情と伴う可能性があります。したがって、ある文化では、感謝が神への感謝と強く結びついているために、感謝に尊敬や畏怖の心が伴いやすいということは、十分に考えられます。また、お返しが強く期待されている社会では、恩恵を受けたときに同時に負債を感じやすく、感謝が負債感と強く結びつくことも考えられます。 このように考えると、どのような感情が同時に生じやすいかという点で、文化による相違が考えられます。この点を示唆する次のような研究結果があります。 一つ目は、Morgan, Gulliford, & Kristjánsson (2014)による研究です。彼らは、プロトタイプ分析という方法で、英国における感謝概念を分析し、負債感などのネガティブな感情概念が、米国の結果よりも心の中で近い概念として位置づけられることを見出しています。この結果は、ポジティブな感情としての感謝とすまないという感情が同時に起こりやすいとされる日本の場合と共通すると思われます。 二つ目は、感謝の経験の効果に関する研究結果です。感謝したいことを想起する経験(例えば、毎日、感謝することを3つ思い出す)が、well-beingを高めるという結果が、アメリカ合衆国における複数の研究で得られているのに対して、日本と韓国のいくつかの研究では、そのような効果がみられないという結果が得られています(例えば、日本では、 相川充・矢田さゆり・吉野優香、2013)。 考えられる説明の一つは、アジアの文化、なかでも、関係規範を強調する文化では、感謝とともに負債感などの感情が同時に生起しやすいために、感謝の経験を思い出すことは、特に短期的には、心理的な幸福感などの高揚は生じ難いというものです。 文化差を知るための 枠組み 感謝は、文化に影響されそうな心理的過程を含んでいますので、感謝が文化によって異なるとしても不思議ではありません。例えば、感謝には、恩恵を与えてくれたものが誰(何)であるのか、そしてどのような理由で恩恵を与えてくれたのかを理解することが含まれています。それによって感謝の気持ちが生まれたり、あるいは感謝をすべきかどうかが判断されます。その過程で、文化によって異なる世界観、道徳的-宗教的義務などが関わることは容易に推察されます。 それでは、恩恵を受けてから感謝の行動に至るまでの間に、どのような文化差が生まれるのでしょうか。「A.感謝が生じるまで」「B.感謝を感じるとき」「C.感謝による行動」に分けて、援助を受けたときを例として整理をしてみました(表1)。 表1. 感謝に関わる 文化差 (援助を受け たとき を例として) A. 「感謝が生じるまで」- 援助の意義に関する文化差 その援助が、a)どのような原因によって行われたと解釈されるのか、b)どのような意義があるとされるのか、c)援助によってもたらされた ものにどの程度の価値が認められるのか、によって感謝の程度(有無)の文化差や、感謝の対象の文化差が生まれます。 a)「どのような原因によって行われたとされるか」 例「援助 者の自由意志」「社会的制度」「神仏などの超越者の意志」「自然の摂理」など。 b)「その援助行為はどのような意義をもつとされるか」 例「道徳的な義務」「社会的義務」「宗教的義務」など。 その援助がこれらの義務 に 該当する社会では、その援助は感謝の対象からはずされる傾向があります。一 方、義務ではなく「 賞賛に値する行為」とされるような場合には、感謝の気持ちは高められると考えられます。 *文化における「当たり前」 ところで、よく耳にする言葉に「当たり前」という言葉があります。「当たり前」の行為は、感謝を抑制する傾向があります。それでは、「当たり前」とはどのような意味でしょうか。「当然のこと」「自然の理に則っていること」「人間として当然為すべきこと」などの回答が得られるでしょう。それぞれの文化における「当たり前」には相違があり得ます。そして、感謝の文化差を生じさせます。 c)「援助によってもたら されたものにどの程度の価値が認められる のか 」 文化の価値体系は多様です。例えば、物質的利益にあまり価値を与えない文化では、物質的な利益があっても感謝の程度は小さくなるでしょう。 B. 「感謝を感じるとき」- 経験する感情の文化差 援助をされたときに感じる感情は、援助の意味づけ次第で変わります。感謝の意味づけは、文化により異なる可能性がありますから、感謝の際に感じる感情の文化差が生まれる可能性があります。例えば、その援助が、神仏によって導かれたものと されれば、神仏に対する感謝と畏敬を感じることでしょう。また、援助者の思いやりによるものとされるのであれば、援助者に対して、感謝、親しみなどを感じることでしょう。 例 「ポジティブな感謝の感情、愛着」「負債感」「畏怖」「尊敬」「すまなさ」「恥」など。 C. 「感謝による行動」- 感謝の表出、反応の文化差 援助の意味づけ(A)と経験する感情(B)の文化差 は、感謝による行動の文化差をもたらします。さらに、感謝の感情表現の方法や、恩恵に応える方法(手段や時期 )は、さまざまな社会的、文化的要因によって規定されます。 例 「感謝の感情を表現することへの社会的期待(感情を表わすことへの評価」「神仏への感謝を表現するさまざまな方法」など。 この表は、感謝の文化的相違を知るために役立つかもしれません。しかし、それらの文化差 についての理論的説明は、今後の課題です。 まだ明らかになっていない文化差は多く残されています。現在いえることは、感謝の様々な側面において文化差があり得るという認識の下で、お互いの尊重に基づいたコミュニケーションが求められることです。 参考 注意 音声 が出ます。 英語落語です。日本語の「ありがとう」は何通り? RAKUGO IN EN GLISH - 47 WORDS FOR "THANK YOU" 吉本興業所属カナダ人 落語家、桂三輝(かつらサンシャイン)さんの落語。日本語における感謝の言葉が多いことを描いています。2023.9.1アクセス 文献 相川充・矢田さゆり・吉野優香 (2013). 感謝を数えることが主観的ウェルビーイングに及ぼす効果についての介入実験.東京学芸大学 紀要 総合教育科学系1,64, 125-138. Holmes, H. & Tangtongtavy,H. (1995). Working with the Tha is:A guide to managing in Thailand. Bangkok: White Lotus. カント、イマニュエル (1797/1969). 吉沢伝三郎・尾田幸雄訳 『カント全集第11巻人倫の形而上学』 理想社 (原著は、Die Metaphysik der Sitten, 1797年出版 ) Morgan, B., Gulliford, L., & Kristjánsson, K. (2014). Gratitude in the UK: A new prototype analysis and a cross-cultural comparison. The Journal of Positive Psychology, 9(4), 281-294. 村山孚 (1995).『中国のものさし・日本のものさし』 草思社 Naito, T. and Was hizu, N. (2015). Note on cultural universals and variations of gratitude from an East Asian point of view. International Journal of Behavioral Science 10(2), 1-8. 大崎正瑠(1998).『韓国人とつきあう法』 筑摩書房 斉藤親載 (1999). 『タイ人と日本人』 学生社 Singh Deepak (2015). “I’ve Never Thanked My Parents for Anything” The Atlantic.JUNE 8, 2015 Downloaded 2020.11.22. htt ps://www.theatlantic.com/international/archive/2015/06/thank-you-culture-india-america/395069/ 参考 感謝を表わす言葉のない社会 このセクションを次の言葉で始めました-「感謝の心や感謝の行動は、どの文化でも共通なのでしょうか、それとも文化によって異なるのでしょうか」。この問いは、「感謝の普遍的な存在」が前提になっています。しかし、少なくとも感謝の言葉が存在しない文化が見い だされています。そ のことは、「感謝」が大切にされる私たちの社会のあり方を、あらためて認識 する契機を与えてくれます。このセクションの最期に1つの例を紹介します。 感謝を表わす言葉のない社会 文化人類学者の奥野(2018)によると、ボルネオ島に住む狩猟採集民族のプナンの人々は、「ありがとう」に該当する言葉をもたないといいます。何かを贈っても、「jian kenep」(よい心がけ)という言葉が使われることはあっても、感謝の言葉はありません。プナンの社会の特徴としてあげられる第一の点は、物を与えること(気前が良いこと)という強い規範があること、あるいは個人の所有欲を抑制する傾向が強いこと、第二に、共有という精神にみちていることです。共有という精神は、物に限らず、精神(知識や感情)、行動(共に行動する)について適用されます。 ところで、典型な「感謝」を最も 短い言葉で特徴づけるとすれば、自分と 分離された他者が、自分の幸福に対して自発的に寄与したことに対する敬意や親しみの感情ということになります。そこで、感謝が成立するためには、自—他の分離が意識される必要があります(「自分の幸福」や「相手の幸福のために」という概念が意識されるために)。そのように考えると、プナンの社会の特徴は、感謝の成立しにくい状況にみえます。どちらの社会が好ましいかというよりは、感謝の社会的基盤や発生を考える貴重な材料になります。 文献 奥野 克巳 (2018). 『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』 亜紀書房 アンカー 4 TOPへ TOPへ アンカー 5 TOPへ アンカー 6 アンカー 92 アンカー 93 アンカー 94 アンカー 95 アンカー 96 サイトメニュー TOPへ TOPへ セクション 終了
- 宗教における感謝 |神道と仏教|gratitude in Japanese religions| 生涯における感謝の心
宗教における感謝 —神道と仏教 (内藤俊史・鷲巣奈保子、 2020.8.4 最終更新日 2 0 23.9.1 ) サイトメニュー アンカー 5 このセクションの内容 はじめに 神道における感謝 日本 の仏教における感謝 感謝につ いて これから 考えるために 生涯における感謝の心 (序) 感謝の輪郭と意義 ----宗教における感謝 ----感謝の判断の構造 感謝の力 すまないという心の力 感謝と文化 年齢とともに変わる感謝 感謝の問題点 付: 感謝に関する小さな謎 サイト紹介 検索結果 はじめに アンカー 6 アンカー 1 世界には、数多くの宗教が存在し、多くの人々がそれらを信じています。感謝は、それらの宗教の多くにおいて重要な位置を占めてきました。このセクションでは、日本人の心や行動に影響を与えてきた神道と仏教をとりあげます。 もちろん、宗教の教理の内容が、そのまま私たちの感謝心のあり方を示す訳ではありません。しかし、私た ちの感謝心に影響を与えたり、逆に私たちの感謝心のあり方を映 するも のとして、感謝心を探究する際の道標になります。 なお、このセクションで は、それぞれの宗教の宗派 に よる相違には言及しません。それぞれの宗教における一般的な感謝の位置づけのなかに、私たちの探究のための示唆を見出すことが、このセクションの目的です。 このセクションの内容は、次の論文の一部を加筆修正したものです。 内藤俊史(2012) 修養 と道徳――感謝心の修養と道徳教育 .『人間形成と修養に関する総合的 研究 野間教育研究所紀要』、51 集、529-577. 神道における感 謝――自然、神、先祖への感謝 神 道は、日本で生まれた民族的宗教とされますが、 「国家神 道」「教派神道」「神社神道」などの言葉があり、さまざまな形態や立場が含まれています。ここでは、地域にみられる神社で行われる祭祀と、その背景となる伝統的な思想という意味での神道、つまり神社神道をとりあげます。 神道は、明確な教典をもたず、伝統的な儀式や生活様式のなかに、その世界観 や教え が組み込まれているといわれます。日本に住む多くの人々 にとって、伝統的な儀式が行わ れる神社はなじみがあると思います。神社は全国津々浦々にあり 、七五三などの年齢儀礼や年中行事である祭の日に、神社に訪れたことがあ る方は多いと思います。多くの人々は、そのような儀式や慣習のなかで、神道を実践しているともいえます。 神道において、感謝はどのような意義をもつものとされてきた のでしょうか。以下に神 道におけ る感謝の特徴として4点をあげます。 ・神- 自然に対する感謝 初めに神道の特徴としてあげるのは、神-自然に対する感謝に焦点が当てられていることです。神道においては、自然、動物、卓越した人物の霊など、人の力の及ばない力をもち畏怖や尊敬の対象とされるものは、広く神として扱われてきました。自然の現象を、神々の織りなすドラマとしてとらえる神道においては、農産物などの自然の恵みは神々による恵みでもあります。したがって、農産物の収 穫に当たって、多くの地域で神への感謝を表すための秋祭り(収穫祭)が行われています。 このように、「自然への感謝」は、神道における感謝の特徴として第一にあげることができます。 実際、山、海、岩石などの自然物を、ご神体として祀っている 神社があります。神社は、もともと山、岩、巨木などをご神体として拝むという形式や、降臨する神を受け入れるという形式から、神が常に神社に鎮座するという形式へと変わっていったとされます。古い時代の形式を残す神社としてよく知られているのは、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る奈良県櫻井市の大神神社(おおみわじんじゃ)です。三輪山が御神体とされ、 本殿はなく、 神社の拝殿から三輪山を拝みます。 参考 山の神 への感謝 注意 音声が出ます。 リンク先は、「NHKアーカイブ 岩木山の登拝行事」(2008年取材)です。青森県弘前市における伝統行事が描かれています。岩木山神社に参詣(踊りなどを含む)後、岩木山に登拝し、山の神に五穀豊穣を感謝します(2023.10.4にアクセス)。 ・ 亡くなっ た家族や先祖への感謝 人が神になる ことに関しては、神道のなかでも諸説あるようです(亡くなった人は、長い間の供養によって神になるという考えや、生前の特別な功労によって神になるという考えなど)。死後についての考えのひとつとして、人は死とともに穢れをもつ霊となり、その後長い年月の後、穢れが消えるとともに個別性を超えて、氏神、山の神、海の神等として人々を見守るようになるという考えがあります(柳田、1975)。この考えは、先祖への感謝(さらには先祖崇拝)を導きます。 現在の日本において、死者に対する儀式(葬儀)やその背景となる考えは、中世以降の日 本の仏教によ って大きな影響を受け ています(松尾、2011などを参照のこ と)。 参考 日本の各地で行われるお盆の行事 注意 音声が出ます。 お盆は、亡くなられた人々に感謝をし、供養するための年中行事です(期間は地域により異なり、主に8月13日から16日、または7月13日から16日)。この期間、先祖を家に招き、供養をします。日本の各地域でさまざまなお盆の行事が、伝統として行われています。リンク先は、NHKアーカイブ「各地に伝統あり 日本のお盆の風景」として、2016年8月10日に制作されたサイトで、いくつかの地域の行事が描かれています(2023.9.20にアクセス)。 ・感謝 するこ とによる結果を強 調する傾向 第3は、恩恵を受けたことに対 する応えとしての感謝よりも、むしろ感謝がもたらすもの を強調する傾向があることです。葉室(2000)は、神道の立場から感謝の意義について、以下のような逆説的な表現をしています。 「幸福が与えられたから感謝するのではなく、感謝するからこそ幸福が与えられるのです」(葉室、2000、p.19)。 感謝の心をもって神を拝むとき、神と相通じることが可能になり、神の恩恵を受けることになるといいます。葉室によると、感謝は、恩恵を与えてくれた人に対する補償的な行為として、相互のやり取りを完結させるものではありません。感謝は、他者からの恩恵に対してもつべき感情や行動である以上に、力をもつものなのです。端的に言えば、「ありがとう」という言葉を心から発するときの心は力をもつのです。 ・儀式における 感謝の表明 第4は、神や自然に対する 感謝は、多くの場合、集団で行う祭などの儀 式や慣習のなかで表明されることです。その年の収穫について神に感謝をする儀式は、 伊勢神宮における新嘗祭や、各地の神社で行われる秋祭です。先に述べたように、神道には教典に該当するものがありません。神道は、他の宗教と同様に多くの儀式を含んでいますが、儀式を通じてある種の「教え」が人々に伝えられてきたと考えられます。 それでは、祭事は、人々の心に、どのような形で、どのような影響を与えているのでしょうか。また人々の自然に対する感じ方や行動にどのような影響を与えているのでしょうか。今後、明らかになっていくことを期待します。 参考 伊 勢神宮における神嘗祭 注意 音声が出ます。 先に述べたように、神道における自然への感謝を示す儀式として、宮中祭祀の神嘗祭(かんなめさい)があります。 リンク先は、伊勢神宮作成による伊勢神宮で行われる神嘗 祭の動画です (2021.1.11にアクセス)。 日本の仏教における感謝―恩の思想 仏教は、インドを発祥の地として、6世紀に日本に伝わったといわれます。以降、仏教は、日本の社会において変化をしつつ、長期にわたって日本人の心に大きな影響を与えてきました。仏教学では、「感謝」よりも「恩」という概念に焦点が当てられてきたようです注1 。 以下に、仏教における「恩」という概念について、その特徴を探ってみたいと思います。 ・知恩と報恩の区別―恩の分析 仏教では、恩をめぐってさまざまな概念が展開されましたが、そのなかに、「知恩」と「報恩」があります。恩をこの二つの位相に分けることは、恩や感謝の新たな面に光を当てます。 「知恩」 恩の側面の一つは、恩を知るという側面です。恩を知ることは、仏教の根幹となる教えと密接な関係をもっています。仏教の基本的な原理として縁起説があります(例えば、水野、1972)。それは、世界のあらゆるものが相互依存の関係のなかで成り立っているという考えであり、人々はこの真実に目覚めなければならないとされます。この考えが、「他による恩を知ること」を含むのは自明と思われます。 「報恩」 受けた恩恵に対して報いるという意味での報恩は、日本では「鶴の恩返し」などの説話のテーマとしてよく知られています。しかし、仏教学者の壬生(1975)によれば、インド初期仏教の考えが収められている原始経典には、「恩を知る」という意味の知恩に該当する語は見うけられるものの、報恩に該当する単一の語は見出せないといいます。報恩という概念は、その後成立した大乗仏教において強調されるようになり、さらに、大乗仏教の伝わった中国において、当時の社会的規範、つまり皇帝-従者等の関係規範や家族内の関係規範が結びつくことによって、確かなものになったと考えられます (壬生、1975: 中村、1979)。 ・布施行の一つとしての報恩 報恩という考えは、日本に伝わり、現在に至っています。しかし、報恩には、一つの問題があります。 「報恩」という言葉からは、受けた恩に対する 同等以上のお返しを思い浮かべることでしょう。しかし、このような意味での恩返しを日常生活のなかで徹底するのは、かなり難しいのではないでしょうか。なぜなら、私たちの生活には、多くの人々、他の生物、無生物が関わっているはずです。そして、そのなかに恩を受けた多くの人々やものが含まれています。さらに、恩人の恩人、そのまた恩人のように間接的に受けている恩を 含めれば、その範囲は膨大なものとなるはずです。もし、すべての恩に報いなければならないのだとしたら、私たちは、際限のない報恩にあけくれることになります。 したがって、報恩が、受けた個々の恩すべてに対して返報をしなければならないという意味であれば、それは非現実的のように思われます。 この疑問に対して、仏教学者のひろ (1987)は、次のように答えています。 まず、釈迦の教えでは、恩を知るという意味での知恩の意義が説かれているのだといいます。その上で、人々に求められているのは、布施行(修行)としての報恩であるといいます。布施行は、一言でいえば、見返りを求めずに他者に対して恩恵を与える行為です。悟りに近づくた めの布施行の一つとして、恩返しは位置づけられます。 確かに、報恩を修行の一つとしてとらえることは、それが自分自身の決意に委ねられる行為、いわば「個人的行為」とされることで、少しばかり気を楽にさせるかもしれません。しかし、すべての問題が解決する訳ではありません。これまで受けた恩義のなかでどれが重要なのかという問いは、依然として残されます。実際、仏教の歴史のなかで、重要な恩を示す 四恩説などが提起されています。しかし、この点についてのさらなる論議は、このセクションの目的上、他に譲りたいと思います。 ・感謝のレベル 仏教では、個人における恩の意識や感謝心は、どのように成長していくと考えられているのでしょうか。ここでは、町田(2009)による解説を紹介します。 町田(2009)は、感謝の水準について述べています。最初の水準の感謝は、儀礼としての感謝であって、相手から受けた恩恵に対してありがたいという感情をもつことです。それを超える高度な感謝は、どのような相手、例えば敵に対しても感謝をすること、さらには「生きていること自体」への感謝であるとします。そして、最終的には、災難に対してさえも感謝をすることができるという境地をあげています。 このように、悟りに近づくにしたがって、感謝の境地も変わっていきます。悟りの境地に近づくにつれ、世界の見方が変わり(縁起の世界を知り)、個々の恩ではなく、より広い関係を認識します。それとともに、感謝の対象を含む感謝の姿は変わっていきます。恩恵を与えてくれた人―それ以外の人という区別もなくなり、感謝の対象は、あらゆる事柄に向けられます。 注意 音声が出ます。 参考 仏教の曹洞宗の開祖道元による『修証義』(2022/3/27アクセス) 曹洞宗東海管区教化センターによる第五章行持報恩のお経です。音声でお経も味わえます。仏陀が私たちに真理を伝えたことに感謝をすべきであり、その恩に応えるべきである。そして、その恩に応えるために、私たちは、日々修行に努めなければならないと説きます 補足---儒教における恩 日本の文化に影響を与えた宗教思想は、神道と仏教に限ることはできません。なかでも、 儒教は日本の社会や文化に大きな影響を与えてきました。道端(1979)によると、仏教の経典に恩という言葉を見いだすのが容易であるのに対して、儒教の代表的な古典の一つである『礼記』では「恩」の文字の出現頻度は少ないといいます。しかし、『礼記』には「恩は仁なり」という言葉が述べられています。仁は、儒教の中心的な概念であり、人と人の親愛の情です。道端(1979)によると、仁は親子の感情=孝から始まりますが、孝は恩なくしては考えられません。このような意味で、恩は仁に結びつくのだと解釈されています。つまるところ、恩は、儒教においてもその重要性はかわらないと考えられます。 感謝について これから 考える ために このセクションでは、日本にお ける主要な宗教として、神道と 仏教 をとりあげ、それぞれにおける感謝の位置を探りま した 。そして、感謝につい ての考察を進 めるた めに 、次のような示唆を得ました 。 感謝の機 能の二面 性 感謝は、人間としてもつべき心や為すべき行為 であるとともに、幸福をもたらすものでもあります(神道)。感謝は、「感謝を しなければならない」という規範としての面と、「幸福がもたらされる」という面との二面を併 せもちます。 感 謝の対象の多様性 感謝の対象は、人間に限る必要はありません。人は、人間に限らず、神、先祖 、自 然など、様々な「もの」や「こと」に対して、感謝を感じてきました。 「知恩」と「報恩」との間 日常、「恩を知ること」と「恩返し」は、あまり区別することなく扱われているのではないかと思います。しかし、それらは、単純に自動的に結びついている訳ではありません。仏教における知恩と報恩の区別は、その間に重要な要素が介在していることを教えています。 成長とともに変わる感謝 仏教では 、恩の意識は、縁起の世界の理解の深まりとともに変わるものとされます。感謝は、人間の心の成長とともに、その姿を変えていきます。 文献 松尾剛次 (2011). 『葬式仏教の誕生-中世の仏教革命』 平凡社 . 葉室頼昭 (2000). 『神道 感謝のこころ』. 春秋社. ひろさちや (1987). 『親と子のお経 父母恩重経』.講談社. 町田宗鳳 (2009). 『法然を語る 上』. NHK 出版. 道端良秀 (1979). 儒教倫理と恩. 仏教思想研究会編 『仏教思想4恩』.平楽寺書店,131-148. 壬生台舜 (1975). 仏教における恩の語義. 壬生台舜編『仏教の倫理思想とその展開』. 大蔵出版, 305-350. 水野弘元 (1972) .『仏教要語の基礎知識』, 春秋社. Naito, T., Washizu, N. (2021). Gratitude to family and ancestors as the source for wellbeing in Japanese. Academia Letters, Article 2436. https://doi.org/10.20935/AL2436 https://doi.org/10.20935/AL2436 中村元 (1979). 恩の思想. 仏教思想研究会編, 『仏教思想4恩』. 平楽寺書店, 1-55. 柳田国男 (1975). 『先祖の話』, 筑摩書房. セクション本文終 わり TOPへ TOPへ アンカー 2 アンカー 4 注1 恩と感謝は、他者から恩恵を受けたときに生じる観念や感情である点では共通するものの、それぞれが意味するものは異なっています。恩は「君主・親などの、めぐみ。いつくしみ」を指すとされます(『広辞苑第六版』岩波書店より)。また、「恩を知る」「恩を忘れない」という言葉があることを考えれば、「恩」は、与えてくれた恩恵そのものやその行為を指して用いられるといってよいでしょう。それに対して、「感謝」は、恩恵を与えてくれた相手に対する感情や、その感情を表す行為を指しています。したがって、「恩」=「感謝」という訳ではありません。このように考えると、仏教では、感謝の前提として恩の認識が説かれて いるともいえるかもしれません。 TOPへ TOPへ TOPへ TOPへ アンカー 3 TOPへ
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サイトメニュー アンカー 7 生涯における感謝の心 (序) 感謝の輪郭と意義 ----宗教における感謝 ----感謝の判断の構造 感謝の力 すまないという心の力 感謝と文化 年齢とともに変わる感謝 感謝の問題点 付: 感謝に関する小さな謎 サイト紹介 検索結果 感謝の 力 (2020.8.4 最終更新日 2023.7. 23) 感謝は 、する側にも される側にも何かを もたらします。このセ ク ショ ンでは、主に感謝をする側に焦点を当てます 。なお 、感謝におけるポジティブな感情をとりあ げ、感謝とともに 感じや すい負債感やすまないという感情は、別のセクション (「すまないという心の力」) で扱います。 このセクションの内容 感謝のもつ力 感謝 の力を示 唆する研究 感謝はどのようにして力 になるのか1 (提案されたいくつかの仮説) 感謝はどのよう にして力になるのか2 (統合へ) 参考 道徳的な力としての感謝 アンカー 2 参考 感謝の力 北京オリンピックにおける日本と米国のカーリングの試合で、シ ョットを放つ藤沢選手の手には漢字で「感謝」 とい う文字が書かれていました。リンク先は、2/16 日 刊スポーツ、21:10配信、撮影・菅敏 (2022.3.8アクセス) 感謝のもつ力 感謝は、感謝の心と行 為を含み、全体として、様々な結果をもたらします。このセクション では、 感謝の心を起点として話を進め ます。 感謝の心 は、ただ感じるだけの受け身の心ではありません。感謝の心は 、積極的に、自分や他の人々の幸福に向けた様々な行動を 引き起こす 感情です。その意味で、感謝の心は力をもちます。それは 、自分や他の人々の幸福に向けて働く力であり、よりよく生きるために働く力 です。最近の言葉を使って言いか えると、感謝は、well-beingをもたらす 力であるとともに、well -beingに含まれる力です(well-beingについ ては、 注1参 照 )。 TOPへ アンカー 4 TOPへ TOPへ アンカー 3 TOPへ TOPへ 注1 Well -being は、1946年のWHO憲章において新たに述べられた健康概念です。単に、 病気にかかってい ないということではなく、広く身体的な面、精神的な面、社会的な面において良好であること、そして、それらを達成し維持する実践が含まれます。 訳すのは難しく、「幸福感」などと訳されることもありましたが、最近は、「well-being」や「ウェルビーイング 」と記される場合が多く見受けられます。また、その内容をめぐって議論がなされています。例えば、Riff(1989)は、主観的Well-being、主観的幸福感に対して、「心理的well-being」という概念を提案しました。また、Seligman, M (2012)は、 P(Positive emotion/ポジティブな感情) E(Engagement/物事への積極的な関わり) R(Relationship/他者とのよい関係) M(Meaning/人生の意義の自覚) A(Accomplishment/達成感) からなるPERMA を提案しています。 心理学の研究では、well-beingの基本的な概念の下に、関連する心理的尺度を選択して用いられたり、構成されたwell-being尺度が用いられています。 文献 Ryff, C.D. 1989 Happiness is everything, or is it? Explorations on the meaning of psychological well-being. Journal of Personality and Social Psychology, 57, 1069-1081. Seligman, M. E. (2012). Flourish: A visionary new understanding of happiness and well-being. Simon and Schuster. アンカー 5 アンカー 10 アンカー 8 アンカー 9 TOPへ TOPへ もどる アンカー 11 図1. 感謝、well-being、その他の要因の概略 Hypothetical relations between gratitude, well-being, and other variables アンカー 6 感謝 の力 を示唆する研究 心 理学において 、感 謝 の力の証拠とされる数多くの研究が 行われています。 次に、 代 表的な研究 を紹介します。 相関研究 一つは、相関研 究と いわ れる研究です。感謝の心、つまり感謝を感じる傾向と、様々な人格特性、well-being などとの相関関係を調べる研究です。それらの心理的性質は、質問項目からなる質問紙によって測定されます。アメリカ合衆国で行われた 大学生 を対象とした先駆的な研究では、感謝特性尺度(GQ-6)は、生活満足度(.53)、主観的幸福感(.50)、バイタリティ(.46)、楽観性(.51)と正(プラス)の相関をもち、不安(-.20)、抑鬱傾向(-.30)と負の相関を持つことが見いだされています(かっこの中の数字は相関係数)(McCullough, Emmons,& Tsang,2002)。 その後、多数の研究が行われています。Portocarrero, Gonzalez, and Ekema-Agbaw (2020)は、感謝特性dispositional gratitudeとwell-beingとの関係を扱った、英語、スペイン語、ポルトガル語による144の論文で報告された研究 結果に対してメタ分析を行いました。つまり 、 これまでに得られた 研究結果について総合的な分析を行い、感謝特性が、positive well-being (幸福感、生活満足等)と正の相関があり、またnegative well-being(不安傾向、抑うつ等)と負の相関があると結論づけています。 さらに、感謝 特性が 向社会性(利他性、分かち合い等の傾向)と正の関連をもつことも、別の研究者によるメタ分析によって明らかになっています(Ma, Tunney, & Ferguson, 2017)。 なお、相関研究は、二つの変数のどちらが原因であるのかを明らかにする訳ではありません。これまで述べてきた研究結果も、感謝が原因とも考えられますが、 「 結果として」感謝心が高まるという解釈も可能です。その他にも、相互に影響しあった結果である可能性も十分に考えられます。関係のあり方を結論づけるためには注意が必要です。 感謝を経験することの効果の研究 もう一つは、感謝の気持ちを経験するという実験的な手続きによって、well-beingなどが変化をするかを調べる研究です。なかでも、「感謝を数える方法」はよく用いられています。研究の参加者に、例えば一週間に一度、その週で感謝することをあげてもらうという実験手続きを用います。先駆的な研究が、Emmons & McCullough(2003)によって行われています。結果は、概ね、感謝という経験がwell-beingのさまざまな面に対してプラスの効果をもつというものでした。 その後の研究に影響を与えた研究ですので、手短に研究の概略を説明します。彼らの論文には3つの研究が報告されていますが、研究1では,一週間のうちで感謝したことを 5つ以内記録する感謝条件、厄介な出来事を5つ記録する煩雑条件、影響力のあった出来事を 5つ記録する出来事条件を設定し、実験参加者は、いずれかの条件に振り分けられました。各々の条件にしたがって、10週間の間、参加者は毎週1度、記録した回答用紙の提出が求められました。 それぞれの条件の効果を調べるために、以下の項目が実験の事前と事後に調べられました―「気分」「体調」「運動時間(激しい運動と適度な運動)」「包括的なWell-beingの評価(現在の生活全般の質と未来の生活全般への期待,他者との関係)」「サポートに対する反応」「カフェインを飲んだ量」「アルコールを飲んだ量」「アスピリン錠や痛み止めを飲んだ量」「前日の夜の睡眠時間と質」「向社会的行動(道具的サポートと情緒的サポート)」。結果を要約すれば、感謝条件において、Well-beingに関わる得点が高いという結果が得られました 。 これらの研究以降、同様の研究が数多く行われています。そして、それらの研究結果を総合して結論を導くメタ分析もいくつか行われるようになりました。しかし、それらの分析結果は、必ずしもこの方法の大きな効果を示してはいません。例えば、Cregg & Cheavens (2021)は、不安傾向や抑うつ傾向に対して、感謝を記録することがどの程度の効果をもつのかを、これまでの研究結果にもとづくメタ分析により検討しています。その結果、感謝することを書きとどめるという方法の効果は控えめmodestであり、不安傾向や抑うつという症状に対しては、より効果の大きい他の技法を採用することを推薦すると結論づけています。 この分析結果は、「感謝が力となる」(well-beingを高める)ためには、いくつかの条件や手続きが必要であることを示唆しています。 例えば、文化的な背景も影響しているかもしれません。アメリカ合衆国において、肯定的な結果を報告するいくつかの研究がある一方で、日本と韓国では効果がみられないという研究もあります(例えば、相川・矢田・吉野、2013; Lee, Choi, &, Lyubomirsky, 2013)。 いくつかの解釈が考えられますが、私たちは、次のように考えています―ある文化的環境、例えば日本や韓国では、感謝は、同時に心理的負債感やすまないというネガティブな感情を伴いやすい。したがって、感謝の経験から短期間においては、主観的幸福感のような感情の変化は生じにくい。生じる可能性があるのはより深いレベルでの変化であるが、それが生じるためには、感謝の経験にもとづいて、他者や社会と自己との関係を考え直すことが必要である。その結果として、より洗練されたwell-beingの状態に達することが考えられる(Naito, & Washizu, 2010 )。 このセッションでとりあげた「感謝の経験のもつ効果の研究」は、むしろ、感謝が「より確実な力」をもつためには、何らかの条件や経験が必要であることを示唆して います。 感謝はどのようにして力になるのか1 (提案された いくつかの仮説) 感謝は、 広く自分や他者の幸福に向かって働く力です。なかでも、感謝の心、つまり感謝をする人格特性(傾向)がwell-beingを高めるという仮説は、多くの研究によって検討され、支持されつつあります。 それでは、感謝の心をもつことは、どのようなメカニズムで、well-beingに影響するのでしょうか。現在のところ、唯一の有力な 学 説といったものはなさそうです。むしろ、感謝の心がwell-beingに影響を与える道筋は、一つとは限らないとも思います。 そこで、提案されているいくつかの仮説をここでは紹介したいと思います 。Wood, Fro h, and Geraghty (2010)は、およそ2010年までに提起された、感謝心とWell-beingとの関係に関する4つの仮説をとりあげています。それらの仮説を初めに紹介します。 ・感謝のスキーマが感謝心を高め、well-beingを導く 第1は、スキーマ理論による仮説です。感謝心の強い人は、他者から恩恵を受けたとき、その行為を、自分にとって価値があること、利他的な動機でなされたこと、そして、大きなコストをかけて行われたと解釈する傾向があります。別の言葉でいえば、そのような解釈を行う図式、枠組み(スキーマ)をもっています。このような傾向の結果、感謝心の強い人は、感謝を感じることが多く、感謝にもとづく思いやり行動も増加します。そして、さらに、他の人々からの援助を受ける機会も増加します。 ・感謝の心をもつ人はストレス状況において、社会的資源を有効に用い、その結果well-beingを高める 第2は、コーピング仮説です。コーピングとは、ストレス状況における対処、対応を意味する言葉です。感謝の気持ちをもちやすい人は、適切なコーピング、つまり、問題が起こったときに、家族や友人を初めとする「社会的な資源」を積極的に活かして、問題に取り組む傾向があるという研究結果があります。感謝の心をもつ人は、適切に人や社会に頼ることができるといってもよいでしょう。逆に、例えば薬物使用のような回避的行動をとる傾向は低いとされます。 ・ 感謝の気持ちに含まれるポジティブな感情が、well-being をもたらす 第3は、ポジティブ感情仮説です。一般的なポジティブ感情、つまり快く感じる感情は、それが習慣的に経験されることにより、不適応状態に対して効果があるとされています。感謝も、ポジティブ感情を含みます。感謝心のもつwell-beingへの効果は、この「一般的なポジティブ感情」のwell-beingへの効果であるというのが、第3の仮説です。 なお、感謝のwell-beingへの効果は「すべて」この一般的なポジティブ感情によるものであるという仮説に対しては 、Woodら(2010)は、感謝心のwell-beingへの 効果が、一般的なポジティブ感情の効果だけでは説明できないという研究結果をもとに否定しています。つまり、一般的ポジティブ感情では説明できない感謝固有の効果があるという訳です。 ・感謝 感情 は、ポジティブ感情をともなうがが、ポジティブ感情は、思考と行動をより"広い"ものにし、その結果well-beingを高める 第4は、拡張・形成仮説と呼ばれています。これは、Fredrickson (2001)により提唱された一般的理論であり、「ポジティブな感情は、思考や行動のレパートリーを一時的に拡張する傾向があり、その結果個人のもつ資源が培われることになる」とされます。これを感謝の心に当てはめると、感謝の心は、感謝の経験を生じさせますが、感謝にともなう安らかな感情の状態は、広くものごとを考えさせるようになり、その結果個人の能力を高めるという仮説です。 以上がWoodらがとりあげた4つの仮説です。その他にも、Algoe(2012)による感謝の“find-remind-and-bind”理論があります。感謝は,将来的に質の高い人間関係を築いていくことのできるパートナーを発見すること(find)や,現在自分とそのような関係にあるパートナーを再認識すること(remind)を促し,他者との絆を強くする(bind)機能をもち,そのような機能を通じて人間関係の形成・保持・発展を促進するというものです。 これらの仮説が必ずしも相互に矛盾するという訳ではなく、両立する場合も考えられます。また、感謝が力になる道筋は、一つだけとは限りません。 感謝はどのようにして力になるのか 2 (統合へ ) そもそも、感謝が、感謝の心から行動までを含んでいるとすれば、その効果は 多様であってもおかしくありません。 以上の仮説を眺めていると、感謝とwell-beingの関係について 図1 のような全体像が浮かんできます。簡単に、図1の説明をします。 感謝の気持ちに至るまで : 感謝のスキーマが十分に活性化されているとき、つまり、感謝の心あるいは感謝の構えによっ て、他者や自分に対して心が開かれているとき、感謝をする前にすでに得られるものがあります。 例えば、感謝のスキーマは、「感謝をしなければならないことは何か」と問うことによって活性化されるでしょう。そして、他の人々や自分自身の心に耳を傾けることになります。そのような心のあり方は、感謝に結びつかなくても、他の人々との関係の質を高め、well-beingを高めると推測されます。 感謝の感情の経験: 次は感謝を感じたとき、あるいは感じているときです。感謝は、文化や状況によって、負債感情などさまざまな感情が伴いますが、ポジティブな感情は、感謝の主たる感情の一つとして経験されます。そのなかには、プレゼントをもらった直後のような短期間の喜びの感情もあれば、関係が強まることによる長期的な信頼感、安心感のような感情も含まれます。これらのポジティブな感情は、他の負の感情、例えば抑うつや不安を、抑える可能性があり、well-beingに影響を与える可能性をもちます。 感謝の感情を感じた後、そして感謝を表わした後: 三つめは、感謝を表現したり、感謝によって何らかの行動が生まれた後です。感謝の後、他者、集団、社会との信頼関係は、より強いものになる傾向があります。感謝は、結果として、対人関係を質量ともにより豊かなものにし、また、集団や社会における相互的な援助の質を高めると考えられます。ペイフォワードという言葉があります。それは、感謝を感じた人が、恩恵を受けた人以外の人々にも援助などを行うことです。援助的な行動が広がっていくことは、想像できます。 感謝は、様々な形でwell-beingを高めますが、それぞれの過程について明らかになることが期待されます。 なお、well-beingについ て一言述べたいと 思います。 well-be ingの一般的な内容については、共有されやすいかもしれません。しかし、その 具体的内 容について決めることはなかなか難しいと思います。しかも、時 代を超えたwell-beingとなるとなおさらです。「well-beingとは何か」という問いは、永遠に続く問いではないでしょうか。それは、「幸福」や「理想」の内容が、時代とともに常に問い直されていく のと同じです。そして、well-beingを高めるものとしての 感謝の意義もまた、問い続けられることになります。 参考 道徳的な力としての 感謝 このセ ク ショ ンの最後に、感謝の力の一つの例として、「道徳的な力」について説明をします。 アメリカ合衆国の心理学者、マッカラ(McCullough, M.E.) らは、感謝が、人から助けられる等の道徳的な事柄によって生まれること、そして生じた感謝の心は、他の人々を助ける等の道徳的な行為を生み出すことから、「道徳的感情」と呼ぶに相応しいと主張しています(McCullough, et al.,2001)。感謝は、道徳的な力をもつ感情であるといってもよいでしょう。 そこで、なぜ、感謝が道徳的な力なのかを、マッカラらの主張にもとづいて説明します。 a .感謝の心は、道徳的な行動を生じさせること 感謝の心は、恩恵を与えてくれた人に対する恩返しの行動を生みます。それも道徳的行動の一つといえるでしょう。しかし、それだけにとどまりません。感謝の気持ちをもつと、恩恵を与えてくれた相手だけではなく、その他の人々の幸福を目的とした行動への意欲が高まります。一例をあげれば、特定の個人が助けてくれたことへの感謝は、その人が助けてくれるようになったさまざまな原因を認識することによって、感謝の範囲は広がるでしょう。 b. 感謝は関係を道徳的な関係に変えること マッカラらは、感謝は、「道徳的バロメーターmoral barometer」であるといいます。他の人に助けられたとき、単に「うまくいってよかった」「助かった」という感情だけではなく、感謝の気持ちをもったとき、お互いの関係は一変します。そこには、損得の関係とは別のいわば「人と人との関係」「道徳的な関係」が芽生えています。見方を変えれば、感謝があるかないかは、その関係が道徳的なものであるかどうかを示しています。 私たちの言葉でいえば、「感謝は、関係を道徳的な関係に変える力」をもちます。 文献 相川充・矢田さゆり・吉野優香 (2013). 感謝を数えることが主観的ウェルビーイングに及ぼす効果についての介入実験.東京学芸大学 紀要 総合教育科学系1,64, 125-138. Algoe, S. B. (2012). Find, remind, and bind: The functions of gratitude in everyday relationships.Social and Personality Psychology Compass, 6(6), 455-469. Cregg, D. R., & Cheavens, J. S. (2021). Gratitude interventions: Effective self-help? A meta-analysis of the impact on symptoms of depression and anxiety. Journal of Happiness Studies, 22(1) , 413-445. Emmons, R. A., & McCullough M. E (2003). Counting blessings versus burdens: An experimental investigation of gratitude and su bjective well-being in daily life. Journal of Personality and Social Psychology, 84 , 377-389. Fredrickson, B. L. (2001). The role of positive emotions in positive psychology: The broaden-and-build theory of positive emotions. Amer ican psychologist, 56(3), 218-226. Froh, J.J. et al. (2014). Nice thinking! An educational intervention that teaches children to think gratefully. School Psychology Review 43(2), 132-152. Lee, L, K., Choi, H. I., &, Lyubomirsky, S. (2013). Culture matters when designing a successful happiness-increasing activity. Journal of Cross-Cultural Psychology, 44(8), 1294-1303. Ma, L. K., Tunney, R. J., & Ferguson, E.(2017). Does gratitude enhance prosociality?: A meta-analytic review”. Psychological Bulletin, 143(6), 601-635. McCullough, M. E., Emmons, R.A., & Tsang, J (2002).The grateful disposition:A conceptual and empirical topography.Journal of Personality and Social Psychology, 82, 112–127. Naito, T. and Washizu, N. (2015). Note on cultural universals and variations of gratitude from an East Asian point of view. International Journal of Behavioral Science 10(2), 1-8. Portocarrero, F. F., Gonzalez, K., & Ekema-Agbaw, M. (2020). A meta-analytic review of the relationship between dispositional gratitude and well-being. Personality and Individual Difference s, 164, 110101. Wood, A. M., Froh, J. J., & Geraghty, A. W. (2010). Gratitude and well-being: A review and theoretical integration. Clinical Psychology Review, 30(7) , 890-905. セクション本文 終 わり 元にもどる アンカー 1 TOPへ もどる
- 感謝とは|感謝の輪郭と意義| 生涯における感謝の心
感謝の輪郭と意義 (感謝とは何か) (内 藤俊史・鷲巣奈保子、 2020.8.4 最終更新日 2023 .9 .7 ) サイトメニュー 生涯における感謝の心 (序) 感謝の輪郭と意義 ----宗教における感謝 ----感謝の判断の構造 感謝の力 すまないという心の力 感謝と文化 年齢とともに変わる感謝 感謝の問題点 付: 感謝に関する小さな謎 サイト紹介 検索結果 このセクションの内容 感謝の典型―定義にかえて 感謝の意味の広がり1-意志をもたないものへの感謝 感謝の意味の広がり2 -負債 感とすまないという気持ち 感謝の意味の広がり3 -心と 行為 向き合った上での 敬意— 感謝の核にあるもの 感謝の心の意義 [補足] (長文3,000字以上) 感謝の 定義をめぐって 感謝の言葉をめぐって アンカー 3 感謝の典型―定義にかえて どの言葉でも、いざ定義をするとなると、簡単ではありません。「感謝」も同じです。しかし、これからこのサイトで感謝について考えていく際、感謝の意味の相違にもとづく混乱を避ける必要があります。そこで、初めに 、感謝の典型(中心的な例、プロトタイプ prototype) を考えたいと思います。「感謝」という言葉を聞いて最初に思い浮かべるイメージといってもよいかもしれません。この方が、共有しやすいのではないかと思います。 感謝の典型 (プロトタイプ) 「他者による善意にもとづく自発的な行為によって、自分(私)に利益や幸福が生じたときに経験する、その人に対する親しみや敬意の感情」 要するに、自分の利益や幸福が、他者の善意によってもたらされたときに感じる、その人に対する敬意や親しみの感情です。なお、最近の心理学の動向を取り入れて、感謝におけるポジティブな感情に焦点を当てています。つまり、他の人から恩恵を受けたときに経験する「負債感 (借りを作った感じ)」や「すまない」という感情 注1 は、この感謝の典型には含まれていません。 ここであげた感謝の典型は、多くの人々にとって、感謝という概念の中心に位置するのではないかと思います。 しかし、それは感謝の典型ではあるとしても、感謝は、その周辺に、無視できない重要な領域を携えています。 「感謝」の意味の広がり1-意志をもたないものへの感謝 前に示した感謝の典型には、「善意にもとづく自発的な行為によって」という言葉が含まれています。しかし、この条件を充たさない、いわば周辺領域の感謝もあります。 例えば、私たちは、穀物や野菜を育ててくれる自然に感謝をします。しかし、自然は、通常または「公式にいえば」、意志をもつとはみなされません。つまり、この場合「善意にもとづく自発的な行為」という語は当てはまりません。このように感謝の対象が意志をもたないというケースはさほど珍しいことではありません。 そこで、上記の「感謝の典型」を典型として認めつつ、次のようなより広い意味での「感謝」や「感謝の心」を、探究の対象にしたいと思います。 「自分の幸福や利益が、生物、非生物に関わらず他に起因するときに感じる、それらに対する敬意や親しみの感情」 なお、少しわき道に入る話なので、スキップ可能ですが、次の2点を補足します。 第一に、典型的な感謝の場合、幸福の内容を認識し、その幸福をもたらしている他者を認識したときに感謝の気持ちが生まれます。しかし、幸福の内容と感謝の対象(「他者」)とがはっきり区別できない場合もあります。例えば、「豊かな時代に生まれてきたことに感謝している」という言葉は、ときどき聞かれますが、誰に(何に)感謝をしているのかはっきりしません。 このような言葉は、自分以外の何ものかによって幸福がもたらされたことを知り、感謝の気持ちをもちつつも、感謝の対象を特定できない場合における、いわば省略的な感謝の表現とみなすことができると思います。 感謝は、幸福をもたらした「自分以外の何ものか」への感情であるということは確かですが、このように感謝の対象が特定できない場合もあります。このサイトでは、それらを無視することなく探究を進めていきたいと思います。 ただし、感謝という感情が、単に「嬉しい」とか「喜び」という感情と混同されることのないように注意を払う必要があります。感謝の気持ちは、それらの感情と、いくつかの点で異なります。 第二に、恩恵を与えてくれた事物の意志の必要性に関しては、次のような反論もあることを付け加えておきます―「幸福をもたらすものとして、自然に対して感謝をするとき、私たちは自然を擬人化してとらえ、自然の「善意」を想定しているのである。したがって、「善意による自発的な行為」という条件は捨てる必要はない。」 「感謝」の意味の広がり2-負債感とすまなさ 「感謝」を感じる場面では、同時に別の感情を感じることがあります。その主たるものとして、 心理的負債感やすまないという感情をあげることができるでしょう。一般的に言えば、「心理的負債感」は、お返しをしなければならないという義務感、そして「すまない」という感情は、期待される役割を果たさなかったときなどに生じる、他者への迷惑に対する自責の感情と言えるでしょう。 これらの感情を、初めから「感 謝」や「感謝の心」に含めるべきだという立場も考えられますが、このサイトでは、それらは感謝に関係の深い別の感情として扱います。しかし、これらの感情が感謝と同時に生じることは多く、感謝について探究する上で、それらを含めることは不可欠です。 参考 実例という訳ではありませんが、感謝の場面を含めて、「すみません」という言葉を頻繁に使う人をとりあげたCMです。 東京ガス CM 家族の絆 「くちぐせ」篇 2017/01/10 アクセス) 注意 音声が出ます。 感謝の意味の広 がり3 心と 行 為 これまで、「感謝」を、感謝の気持ちや 感謝感情のような「心」を想定して話を進めてきました。しかし、あらためて考えてみると、感謝は行為を含む広い概念で はないか と思います。実際、辞書には、次のように書かれています。 「感謝」 ありがたく感じて謝意を表すること。「―のしるし」「心から―する」(『広辞苑』第6版 岩波書店、2008 年) 。 「ありがたく感じて」までは心の姿ですが、「謝意を表する」は行為です。 そこで、このサイトでは、「感謝」を「感謝の心」と「感謝の行動 (感謝を表す行為)」を含むものとします。 もちろん、感謝の心と感謝の行動は、一致するとは限りません。例えば、 感謝の気持ちがあっても表現できないことは、誰でもあると思います。このサイトでは、話が複雑になるのを避けるために、感謝の心と行動の 不一致の問題を 扱っていませんが、 分けて考えざるを得ないときは、分けて記述したいと思います。 また、「感謝の行動」と 似た概念として、「感謝の心によって生じた行動」があります。それは、感謝を表現する行動だけではなく、感謝の心が原因で生まれたさまざまな行動を広く意味します 。 向 き合った上での敬意―感謝の核にあるもの 感謝の典型をもとに、感謝の意味について考えてきました。ここでは、感謝の意味というよりも、感謝の核にあるものあるいは感謝の価値について考えます。 感謝を表す際によく用いられる「ありがとう」という言葉は、有 り難し」(=まれである、貴重である)から由来するといわれています。感謝に は、ものごとを 当たり前とする日常性を超えて 、「 貴重である」「尊重すべきである」「普通ではない」という感覚 が根底に含まれます。 このことを踏まえた上で、あらためて、感謝の性質を考えてみましょう。 感謝には、自分の幸福が「他」つまり他の人、事物、事柄によってもたらされたという、いわば「おかげで」という認識が含まれます。そして、今述べたように、 それらが貴重なものであると認め、相手に対する敬意が含まれます。 それは、相手をあらためて自分とは別の存在(人格)として向き合い、その上で敬意をもつことといってもよいでしょう。 この感謝の性質は、次のような機会に垣間見ることができます。 ・子どもたちに対する「ありがとう」という言葉は、「よくできま した」という誉め言葉とは別の意味をもちます。子どもたちに、一人の人間としての敬意を伝えることになるからです。 ・激しい敵対関係がこうじて、相手に敬意のひとかけらも感じられなくなってしまった、不幸な場合を想像してみましょう。そのようなとき、相手から援助を受けたとしても、感謝の気持をもつのは難しいでしょう。それは、感謝のなかに「敬意」が含まれているからです。むしろそのような相手から助けられたことに屈辱さえ感じるかもしれません。しかし、もし感謝の気持ちを感じたとき、関係は変わりつつあります。 ・ごく親しい相手にあらたまって感謝をすると、「みずくさい」といわれることがあると思います。その説明は、いろいろありそうですが、一つは、感謝が、「いったん自分から切り離された」相手に対する感情だからではないかと思います。つまり、感謝には、相手と自分とをそれぞれ独立した人格として、切り離して認識することがともなうからです。蛇足ですが、このような点を考えると、育ててくれた人々からの巣立ちとしての結婚式や卒業式など、感謝は別れのときがよく似合います。 感 謝の心の意義 感謝の心の意義や大切さはいろいろな文脈で述べられています。学校で行われる道徳教育では、感謝は道徳の内容項目として学習指導要領に含まれています(例えば小学校について、文部科学省、2017、 p.42) 。また、書店では「自己啓発」の棚に感謝に関わる書籍を見つけることもあるでしょう。しかし、感謝の大切さは、多くの人々によって唱えられてはいるものの、それがどのような意味において大切なのかというと、必ずしも一致している訳ではなさそうです。 そこで、いくつか考えられる感謝の意義を、「感謝がもたらすもの」「感謝自体」「感謝をもたらすもの」という三つの観点から整理をしたいと思います(Naito & Washizu, 2021より )。 A. 感謝がもたらすものに注目⇒「感謝の心は、自分や他者に幸福をもたらす故に意義をもつ」 感謝は 、結果として自分自身や周囲の人々に幸福や健康をもたらすことがあります。それは、感謝のもつ重要な意義の一つです。このサイトの「感謝の力」というページで述べられている「感謝は力をもつ」という立場は、この立場の一つといえます。 B. 感謝自体に注目⇒「感謝の心は、それ自体、道徳的な意義をもつ」 感謝は、幸福を導くから大切なのではなく、それ自体で意義をもつという考えです。人は、他の人々との関係の下に生きていますが、お互いに人格を認め合うことは、人間としての関係を成り立たせる道徳的な基礎です。他者による適切な行為による 恩恵に対して感謝をすることは、他者の人格を認めることであり、人間の相互的な行為において重要な意義をもつという考えです。 ただし、相手の人格を認めるということは、その人の意見の正しさや権威を認めることを意味してはいません。 C. 感謝をもたらすものに注目⇒「感謝は、その人の心を映し出す鏡として意義をもつ」 感謝をするかしないかは、その人の心のあり方を表わします。家族に対する不満ばかり話していた青年が、家族に対する感謝の気持ちを表わすようになったとき、大切なことは、感謝をするようになったこと以上に、なぜその青年が感謝をするようになったかということでしょう。感謝のもととなった心の変化は、その青年の重要な心の変化であることがあります。感謝は、複雑な心の姿を映しだす鏡として重要な意義をもちます。 また、感謝しつつ人生の最期をむかえたいという言葉を、人間の生き方をテーマとする書籍のなかに見出すことががあります。 例えば、 「最期に、自分が受けたすべてのものに感謝して、「ありがとう」と言って死んでいける生き方、死に方がしたい」(日野原、2006、 p.16)。 ここでも、感謝は、心のあり方や生き方を映し出すものとして、位置づけられています 。それでは、そのときに感謝をもたらす生き方とはどのような生き方なのでしょうか。それは、感謝の意義を探求するときの最終的な問いの一つに違いありません。 文献 日野原重明 (2006). 有限の命を生きる. 週刊四国遍路の旅編集部『人生へんろ-「いま」を生きる30の知恵』、講談社. 文部科学省(2017). 『小学校学習指導要領解説 特別の教科道徳編 』(平成29年)、 downloaded 2022.8.17. Naito, T., Washizu, N. (2021). Gratitude in Education: Three perspectives on the educational significance of gratitude. Academia Letters, Article 4376. https:// doi.org/10.20935/AL4376. アンカー 2 アンカー 11 アンカー 1 TOPへ TOPへ TOPへ 注1 負債感: 他者にお返しをする義務がある状態で生じる、返報の 義務感を伴うネガティブな感情 (Greenberg, 1980). このHPでは「心理的負債感」という語も用いますが、特に断らない限り両者を区別をしていません。 すまないという感情: 相手に迷惑を与えたことに対して感じるネガティブな感情。相手のもつ期待にそぐわなかったことに対する感情等が含まれます。 文献 Greenberg, M. S. (1980). A theory of indebtedness. In K. J. Gergen, M. S. Greenberg, & R. H. Willis (Eds.), Social exchange: Advances in theory and research. (pp.3-26). New York: Plenum Press. 12 アンカー 13 本文元へ戻る アンカー 14 TOPへ アンカー 15 TOPへ アンカー 4 アンカー 31 補足・参考資料 次にあげるのは、それぞれ3,000字以上の私たちのレポート(PDF文書)です。感謝の定義に関する21世紀初めの心理学の状況と社会言語学の 研究成果を紹介しています。 1.感謝の 定義をめぐって 哲学や心理学における 感謝の定義について説明しています。 2. 感謝の言葉をめぐって 代表的な感謝の言葉である「ありがとう」と「すみません」の使用 に関する研究結果をまとめています。 セクション本文 終 わり TOPへ アンカー 32
- すまないという心の力|心理的負債感の力| 生涯における感謝の心
すまないという心の力 内藤俊史・鷲巣 奈保子 2020.8.4 最 終更 新日 2021.1.25) サイトメニュー 感謝ととともに「すまない」という感情や負債感を感じることがあります。それらの心地のよくない感情 は、幸福のための力になるのでしょうか。もし、なるのだとしたら、どのようにしてなるのでしょうか。なお、以下では、これらの感情を「ネガティブ感情」と呼びます。 アンカー 7 このセクションの内容 ネガティブ感情の意義 ネガテ ィブ感情がなぜwell-bingを高めるのか 1 ―ポジティブな恩意識 ネガティブ感情がなぜwell-bingを高めるのか 2 ―高次の感謝への転化 生涯における感謝の心 (序) 感謝の輪郭と意義 ----宗教における感謝 ----感謝の判断の構造 感謝の力 すまないという心の力 感謝と文化 年齢とともに変わる感謝 感謝の問題点 付: 感謝に関する小さな謎 サイト紹介 検索結果 アンカー 3 アンカー 1 アンカー 8 図 1 感謝の経験におけるれぞれの感情の影響についての仮説 (鷲巣・内藤・原田(2016)の結果等にもとづく) *positive reframing: 苦境において、状況の解釈(見方)を変えて、ネガティブな感情を低減したり、ポジティブな感情に至ること。 アンカー 4 ネガティブ感情の意義 他からの恩恵を知ったとき、心地よい感謝の感情(ポジティブ感情)だけではなく、心地のよくない感情(ネガティブ感情)を感じることも ある と思います。例えば 、失くしてしまった財布を、見知らぬ人が拾い 30分歩いて交番に届けてくれたことを知ったとき、ありがたいという気持ちとともに、 「す まない」という気持ちをもつこともあ ると思います。 ありがたいというポジティブ感情とともに感じられるネガティブ感情には、「 負債 感(心理的負債感)」、「すまないという感情」、「自尊心への脅威」などがあります 注1 。 これらのネガティブ感情、特に負債感については、それが抑うつ的な感情をともない、対人的な関係を 阻害するために、well-beingにとっての阻害要因とされます(McCullough, Kilpatrick, Emmons, & Larson, 2001)。 単純に考えれば、ポジティブ感情が増加し、ネガティブ感情が減少することは、望ましいことであると考えられます。しかし、実は、ネガティブ感情の経験がポジティブ感情や幸福感のために役立つことが あります。それに加えて、ネガティブ感情の経験があってこそ、より豊かな幸福感が得られるという考えは、私たちの常識の世界に根強く存在しています。 ネガティブ感情のもつ積極的・肯定的な働きは、これまでに、様々な分野で語られてきました。 古くは、仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタは、生老病死という苦に向き合うことを契機として、地位を捨て悟りへの旅を始めたといわれます。また現代においても何人かの思想家や研究者が、ネガティブ感情である悲しみを直視することの意義を論じています(竹内、2009; 山折、2002; 柳田、2005)。柳田(2005)は、次のように述べています。 「悲しみの感情や涙は、実は心を耕し、他者への理解を深め、すがすがしく明日を生きるエネルギー源となるものなのだと、私は様々な出会いのなかで感じる」(柳田邦男 2005、p.143)。 ネガティブ感 情がなぜwell-bingを高めるのか 1 それでは、他からの恩恵を知ったときのネガティブ感情は、どのようにして、自分自身のwell-beingや他者の幸福を高めようとする行動に結びつくことがあるのでしょうか。 一つは、ポジティ ブな感謝感情と同様の効果が、ネガティブ感情にも独自な形で存在するという説明です。それは、恩の意識にもとづく次のような説明です。 恩恵を受けた後に負債感やすまないという感情をもつことがあると思いますが、それらの感情には、「恩が生じた」という形で共通して恩という要素が関わっています。恩の意識は、当然、相手への恩返しという行動を高めますが、恩返しは、より広い相互関係を認識することによって、広い範囲の人々への恩返しへと発展します。 このように、恩の意識(後出の図1では「応報義務感」)が、他者との関係を深めたり、ときには拡大させることもあると考えられます。そしてその結果、人々をより高いwell-beingへ導くかもしれません。 ただし、他方で、他者からの大きな恩、あるいは負債をもつことに耐えられずに、他との関係を閉ざしていくことも考えられます。負債感のもつ負の側面の可能性については、これまで、主に海外の研究者によって指摘されてきました。 恩意識や負債感は、両方向的な影響をもち得ると考えられます。それらの感情が、他者との関係を閉ざすように働くのか、それとも、他者との交流を維持し、拡大するように働くのかは、その人を囲む環境、文化によります。 話を元に戻します。社会学者の見田(1984)は、私たちの心の根底にある「原恩意識」を指摘しています。すでに生きていること自体が「天地の恩」であり、それは、抑圧的なものでもなく、「むしろ反対に、生きていることのよろこびの発露のようなものである」といいます(見田、1984、p.157)。もし、私たちに「原恩」というものがあれば、他者から恩恵を受ける経験は、そのような「原恩」を意識する機会になるのかもしれません。 ネガティブ感情がなぜwell-bingを高めるのか 2 もう一つは、ネガティブな感情が深い省察を促した結果、ネガティブな感情が高次の感謝の感情に転化しWell-beingを高めるというものです。 内観療法の創始者の吉本伊信は、半世紀前に以下のように述べています(忠義、孝行の言葉は当時の時代を反映)。 「反省すれば必ず慚愧が伴ひ、懺悔の後には必ず感謝報恩の念が湧き出て來ます。懺悔の伴はない感謝では眞實の報恩になりません。自からの不忠に氣づき、不孝を知る深さだけ眞の忠孝が行へるのであり、せめてはとの思ひのみが眞實の忠義も孝行も湧き出るものと信じます。」(吉本、1946)。 内観療法の説明は、他に譲るとして 注2、 ここで指摘したいことは、内省による次のような過程です。つまり、他者へのすまなさが、このような自分でさえ認めてくれた他者へのポジティブな感謝感情を高め、その結果高められた敬意や尊敬がさらにすまないと気持ちを高めるといった循環を通して、最終的に、他者や社会への積極的な関与と自分自身の成長を高めようとする状態への過程です。 自分が他に迷惑をかけた(かけている)という認識は、快不快であえて分ければ、不快な感情です。しかし、その上で、それでも他の人々が私を支えてくれたという認識は、ポジティブな意味での感謝の感情を生み出します。つまり、このポジティブな感謝の気持ちは、迷惑をかけたことから感じる不快感を、(論理的にということはできないまでも)ほぼ前提にしています。あるいは、それらは相関しているともいえそうです。(「この程度の迷惑なら、それを許してくれた人々にさほどありがたくは感じない」という場合を想像して下さい。) 図1 は、感謝、負債感、すまないという感情の仮説的な見取り図です。説明を必要とする項目 が含まれていますが、参考までに掲載します。 また、この図では、時間的な経過がうまく表現されていません。推測の段階に過ぎませんが 、およそ以下のような過程が考えられます。 ポジティブな感謝の感情とネガティブな感情が同時的に生じる。 ポジティブな感謝は、関係の拡張などへ影響する。 ネガティブな感情の一部(心理的負担)は、関係からの逃避を促し、別の部分(応報義務感、恩返しの心)は関係維持として働く。 他方で、ネガティブな感情は、「前向きの再解釈」(positive reframing)などの過程を経た場 合に、ポジティブな感謝をともなうようになり、関係の拡張や充実へと移行する。 このように考えると、感謝と心理的負債感を感じてからの心の過程はさほど単純ではなさそうです。 文献 Greenberg, M. S. (1980). A theory of indebtedness. In K. J. Gergen, M. S. Greenberg, & R. H. Willis (Eds.), Social exchange: Advances in theory and research. (pp.3-26). New York: Plenum Press. McCullough, M. E., Kilpatrick, S.,Emmons, R.A., & Larson, D. (2001). Is gratitude a moral affect? Psychological Bulletin, 127, 249–266. 見田宗介(1984 ). 新版現代日本の精神構造 . 弘文堂. 竹内整一(2009).悲しみの哲学. NHK出版局. 山折哲雄 (2002). 悲しみの精神史 . PHP. 柳田邦男 (2005). 言葉の力、生きる力. 新潮文庫. 吉本伊信 (1946).反省(内観). 信仰相談所 1946.7.12 downloaded 2011.8.29 http://www.naikan.jp/B4-2.html 鷲巣奈保子・内藤俊史・原田真有(2016). 感謝、心理的負債感が対人的志向性および心理的well-beingに与える影響. 感情心理学研究、24 、1-11. Washiz u, N., & Naito, T. (2015). The emotions sumanai, gratitude, and indebtedness, and their relations to interpers onal orientation and psychological well-being among Japanese university students. International Perspectives in Psychology: Research, Practice, Consultation. 4(3), 209-222. 鷲巣奈保子 (2019). 感謝,心理的負債感,「すまない」感情が心理的well-beingに与える影響とそのメカニズムの検討. お茶の水女子大学博士論文. 鷲巣奈保子・内藤 俊史 (2021). 感謝と負債感が対人関係に与える影響-援助者に対する認知と動機づけに注目して-. お茶の水女子大学人間文化創成科学論叢、23、 151-159. セクション本文 終 わり 注1 なお、「負債感」と「すまない」という感情は、次のような意味でこのサイトでは用いています。 負債感: 他者にお返しをする義務がある状態で生じる、返報の義務感を伴うネガティブな感情 (Greenberg, 1980). このHPでは「心理的負債感」という言葉も用いていますが、両者を区別はしていません。 すまないという感情: 相手に迷惑を与えたことに対して感じるネガティブな感情。相手のもつ期待にそぐわなかったことも含まれます。 アンカー 6 TOPへ アンカー 5 本文へ戻る TOPへ 注2 内観療法の簡単な説明(内藤, 2012, pp.548-550より、一部略) 内観療法は、吉本伊信によって確立された心理療法である。社会的な不適応に対する心理療法として、あるいは矯正施設の一部において適用されてきたが、最近では学校教育に適用する試みもみられる。 a 内観療法の手続き 初めに、その基本的な方法を紹介する。 一般に、狭い場所(部屋のすみを屏風で囲う等)で、他者と隔離された形で行われる。 そして、1日15時間、7日前後続けられる。 この時間に、たとえば、自分と関連の深い人物一人に対して、ある特定の期間に「していただいたこと」を想起する。 同じく、「して返したこと」を想起する。 同じく、「迷惑をかけたこと」を想起する。 これらは、想起の対象とする人物、期間をかえて繰り返される。一般には、初めに母親が対象とされる。そして、父親、兄弟・姉妹等へとかえられる。このような過程で期待されていることは、過去にそれぞれの人々に「して返したこと」に対して、「していただいたこと」「迷惑をかけたこと」の大きさに気づくことであり、その結果として、自分が他者との関係のなかで生きてきたこと、他者からの大きな恩恵によって自分が生きてきたことを認識し感じとることである。 多くの場合、このような過程によって、来談者(クライアント)は大きな負債感またはすまないという感覚をもつ。 b「すまない」という感情から感謝へ しかし、「すまない」という感情は否定的な感情である。少なくとも、当人にとっては苦痛な感情である。また、場合によっては、自己破壊的な行動を導くこともあり得る。積極的な行動のためには、すまないという否定的な感情から、積極的な感情いわば前向きな感情への変換が必要である。内観療法において注目すべき面の一つは、否定的な感情に終らずに、肯定的な感情への転換が期待されている点であろう。この点に関する吉本(1983)による事例、失意の感情から感謝への移行の事例を以下に示す。 地方検察庁検事の例 「過去三十八年間、私はまるで嘘と盗みの海の中で暮らしてきたようなものです。(略) このように、嘘と盗みについて調べを続けた私は失意のどん底に突き落とされてしまったのですが、しかし、そこにまた道は開けていたのです。自然は、また私の周囲の人達は、よくぞこのような私を今日まで暖かく生かし育てて下さったものだという心境に至り、失意の底から感謝の光明を仰ぎ見ることができるようになったのです。」(吉本伊信『内観への招待』 朱鷺書房 1983年 208-209頁)。 クライアントである地方検察庁検事は、過去の自分についての反省、つまり内観の初期の段階で、自分の過去の行動について深い罪悪感をもつに至っている。 しかし、自然や周囲の人々がそのような自分でさえも暖かく育ててくれたことに気づき、積極的な「感謝」を感じるようになったことを報告している。この変化は、否定的な感情から肯定的な感情への転化と言えよう。 このように、内観療法においては、過去や現在への反省の結果単に他の人々に対する罪悪感や「すまない」という感情を喚起させることで終らずに、肯定的な感情への転換を更なる目的としていることは、注目に値する。 内藤俊史(2012). 修養と道徳 ――感謝心の修養と道徳教育.『野間教育研究所紀要』、51集(人 間形成と修養に関する 総合的研究)、529-577. アンカー 2 アンカー 9 元の個所に アンカー 10 元の個所に TOPへ
- 感謝に関する小さな謎| small questions of gratitude|生涯における感謝の心
付: 感謝に関する小さな謎 (2020.8.4 最終更新日 2023.8.7) 感謝について考えていると、基本的な問題とは別に、興味深い問いに出会うことがあります。一見、些細な問いかもしれません。また、日本の文化固有の問いかもしれません。しかし、感謝の性質を考える上で、重要な問いに結びつくのかも知れません。それらの問いをあげます。ただし、このHPでは「正答」は準備されていません。 サイトメニュー アンカー 1 生涯における感謝の心 (序) 感謝の輪郭と意義 ----宗教における感謝 ----感謝の判断の構造 感謝の力 すまないという心の力 感謝と文化 年齢とともに変わる感謝 感謝の問題点 付: 感謝に関する小さな謎 サイト紹介 検索結果 疑問のリスト 義務として行われた行為に対して、感謝する必要はないのでしょうか。 感謝によって関係が深まるにも関わらず、関係が深くなってから感謝を表現すると「みずくさい」といわれます。 なぜ、感謝を述べるときに、照れくさいのでしょうか。 人間以外の動物に、感謝の心はあるのでしょうか。家で飼っているペットに感謝の気持ちはあるのでしょうか。 以下に問いの説明をします。 義務として行われたことに対する感謝 強制や義務によって行われた行為は、感謝の対象にはならないといわれています。 そこで、次のような問いが生まれます。 「子どもを育てるのは親の義務なのに、なぜ、子どもは、親に感謝をしなければならないのでしょうか?」 「学校の先生は、教師としての義務を果たし、給与を得ています。なぜ、卒業の時に、生徒は先生に感謝をしなければならないのでしょうか?」 さらに、お医者さんや警察官に助けられたときはどうでしょか? これらの問いにどのように答えたらよいでしょうか。義務によって行われたことは、感謝を受けるに値しないという考えは、誤りなのでしょうか。そもそも、親や教師に感謝をすることが誤りなのでしょうか。 「感謝により関係が親密になること」―「親密な関係の下での感謝のみずくささ」のパラドックス 感謝の気持ちをもち、感謝を表すことによって、相手との関係は親密になるといわれます。しかし、親密さが増してくると、感謝をするのはみずくさいとされるようになります。一見、矛盾しているようにさえ感じます。この現象は、どのように説明されるのでしょうか。「人は感謝をすることによって、感謝のない関係を作る」ということでしょうか。 それとも、感謝の気持ちをもつことと、感謝の行為をすることとは別ということでしょうか。 なぜ、感謝を述べることは、照れくさいのでしょうか。 特に、実証的なデータを示す必要もないと思いますが、多くの日本人にとって、感謝を表現するとき、照れくささが伴うことがあります。 私たちは、なぜ、感謝を伝えるときに「照れくさい」などの感情をもつのでしょうか。他の文化と異なるのでしょうか、もし異なるのであればなぜでしょうか。 人間以外の動物に、感謝の心はあるのでしょうか。 この問題は、動物学の研究者にとっては「小さな」問題ではないかもしれません。また、感謝を進化論的に考える研究者にとっても同様です。「鶴の恩返し」は別としても、地域ぐるみで世話をしているネコが、小動物をとってきて、家のドアの前に置いていったとか、動物が人間に感謝のしるしらしきものを贈ってくれたという動物好きの人の話はよく聞きます。 セクション本文終わり TOPへ TOPへ
- 感謝のもつ問題点| 感謝心の落とし穴| 生涯における感謝の心
感謝の問題点 ― 感謝 の落とし穴 (内 藤俊史・鷲巣奈保子, 2 020.8.4 最終更新日, 2023.4.12) サイトメニュー アンカー 2 感謝の気持ちをもつ傾向の高い人は、well-beingの程度が高いな ど、感謝の心のもつプラス面が心理学の多くの研究によって示されています。 し かし、 感謝にも落とし穴があります。それらを克服することによって、感謝の心はより高いレベルの感謝へと成長します。 生涯における感謝の心 (序) 感謝の輪郭と意義 ----宗教における感謝 ----感謝の判断の構造 感謝の力 すまないという心の力 感謝と文化 年齢とともに変わる感謝 感謝の問題点 付: 感謝に関する小さな謎 サイト紹介 検索結果 このセクションの内容 はじめに 公正性との葛藤を見逃すこと( 恩人vs他の人々、恩人vs自分) 自尊感情との関わりを見過ごすこと 同時に感じる負債感やすまないという感情を見逃すこと 「虐待的な関係」における不合理な感謝を見誤ること 他の文化における異なる感謝のあり方に気づかないこと まとめ アンカー 4 アンカー 5 アンカー 10 はじめに 「感謝」や「感謝の心」という言葉は、美しく響く言葉であり、また大切な徳の 一 つとされて きました 。しかし、 その ような感謝の心にも負の側面はないのでしょうか。また、感謝の気持ちをもつ過程で陥りやすい「落とし穴」はないのでしょうか。 実際、感謝のもつ負の側面を指摘している論文も少なくありません (Layous, & Lyubomirsky, 2014; Morgan, Gulliford, & Carr, 2015; Wood, Emmons, Algoe, Froh, Lambert, & Watkins, 2016)。ここでは、それらの論文で指摘されていることを参考にしつつ、あらためて、感謝 の気持ちをもつことの問題点や落とし穴を考えてみましょう。 公正性との葛藤を見逃すこと (恩人 vs. 他の人々、恩人vs.自分) 感謝の気持ちをもったときに、その対象となる人やもののために何かをしたいと思うの は自然なことです。しかし、 そのとき、徳の一つである「感謝」と、同じく徳の一つとされる「公正性」との間に葛藤が生じることがあります。つまり、感謝の気持ちから特定の人や集団に対して恩返しをすることが、他の人々に対して不公平になってしまうことがあります。 感謝の落とし穴の一つは、感謝の大切さに心をと らわれた結果、公正性のような別の道徳的価値がその状況に関わっていることを見逃してしまうことです。 感謝と公正性との葛藤は、「恩義をとるか、それ とも公正さをとるか」といった形で、話題になることがあります 注1 。 この問題には、感謝のもつ特徴が関わっています。「すべての人 への感謝」という言葉もない訳ではありませんが、感謝は、多くの場合、恩恵を与えてくれた特定の個人や集団に対するものです。したがって、「 恩恵を与えてくれた人(集団)」と「それ以外の人々」とが区別され、その上で、「恩恵を与えてくれた人(集団)」との関係が感謝によって深められることになります。このような特定の個人や集団との関係の深まりは、公正性との葛藤を生み出す素地を提供することになります。 感謝 のもつ落とし穴の一つは、感謝にもとづく行動が、公正性という道 徳的価値と葛藤することを、見逃すことにあります。 また、これまで述べた、恩人とその他の人々に対する公正性とは別に、恩恵を与えてくれた人と自分との間の公正性の問題があります。例えば、恩を受けた人から、「命の恩」や「育ての恩」などの名目で、際限のない恩返しが求められることもない とは言えません。 恩人に対する 感謝と敬意を保ちつつ、公正性を初めとする様々な価値を考慮した、適切な恩返しが求められます。 このような葛藤に気づくことは、より精錬 され、成熟した感謝の心へ発達するための契機になると考えられます。問題となるのは、公正性との葛藤に気づかないことです。 自尊感情との関わりを見過ごすこと 適度な自尊 感情(自尊心)は、積極的な活動を生み、生活を豊かなものにします。感謝 の2つ目の落とし穴は、感謝が、場合によって自らの自尊心を低めてしまうことです。 感謝の気持ちをもつためには 、自分の幸福の原因を認識することが必要です。その際、 感謝の大切さが過度に強調されたため、他者による貢献を過大に評価し、自分自身の貢献や力を過小評価してしまうことがあります。そして、自尊心を不当に低めてしまうことが考えられます。他者への考慮が強く期待され、求められる社会において 、陥りがちな事態といえそうです。 ただし、このような危険を避けることができれば、むしろ、感謝は自尊心を高めると考えられます。感謝の過程で、人は、他の人々や社会が、自分を支えてくれていることを認識するはずです。自分を支えようとする人々の存在を認識することは、自尊心を高めることでしょう。事実、いくつかの研究は、感謝傾向と自尊心との間に正の相関があることを見出しています(例えば、Rash,et al. 2011; Lin 2015)。 ただし、援助をしてくれた 相手が自分(私)を一つの人格として認めるとは思えないようなとき、援助は、自尊心の脅威へとつながり、「余計なお世話」といった拒否の感情が生じるかもしれ ません。そのような援助による感謝は、自尊心を高めるとは考えにくいと思います。 自尊心も感謝心もともに重要な心に違いありません。特に、支援や援助のためには、自尊心と感謝との適切な関係を築く必要があります。 同時に感じる負債感やすまないという感情を見逃すこと 最近の心理学では、感謝のポジティブな感情に焦点が当てられています。しかし、感謝の気持ちが生まれるとき、ポジティブな感情とともに、「負債感」や「すまないという気持ち」が同時に生じることがあります。3つ目の落とし穴は、感謝を感じる場面におけるこれらの感情を無視してしまうことです。それらの「ネガティブな」感情は、一方で、マイナスの面をもつとともに、私たちの生活を豊かにする可能性もも つ大切な感情です。 詳しくは、このホームページの「すまないという心の力」のページをみてください(→「すまないという心の力」のページへ移動 )。 「虐待的な関係」における不合理な感謝を見誤ること 4つめの問題は、ある種の関係の下で、不合理な感謝の気持ちが生じることがあり、それをそのまま受け入れてしまうことです。Woodら( 2016)は、感謝のもつ負の側面について考察していますが、その論文で指摘されている負の側面の一つは、「虐待的関係」における感謝というものです。彼らのいう「虐待的関係abusive relationships」は、例えば、独裁政治下における独裁者と国民のような社会的関係を例とするものです。そのような社会において、人々が独裁者に感謝を感じることがありますが、それは、さらに強者への不合理な従順を促し、批判的な思考を妨げる傾向があり、感謝の負の側面であるとされています。 独裁者の行動が、過度の強調や誤った推論にもとづいて、美化されることがあります。それとともに、独裁者への感謝や恩が強調されることも考えられます。それらの現象がどのような条件のもとで生じるのか、もし生じるとすればどのような対応が可能かについては、今後の課題です。 他の文化における異なる感謝の あり方に気づかないこと 私たちは、自分の文化における感 謝のあり方にもとづいて、他の文化の人々の行いを解釈することがあります。5つめの問題は、その結果、他の文化の人々に対して、「恩を知らない」などの道徳的な評価を誤って下してしまうことです。 自分たちの文化の常識に則った方法で感謝を表さないことが、必ずしも感謝の気持ちをもっていないとか、他者(恩人)を尊重していないこ とを意味する訳ではありません。 まとめ 感謝は多くのプラスの面をもちます。しかし、考慮すべき点もあります。また、 このセクションでは、感謝の気 持ちをもつときの落とし穴をとりあげましたが、感謝をされたときにも、落とし穴はありそうです。感謝をされることは、 心理学における 行動主義の言葉では、社会的強化を受けたことになります。例えば、援助をしたときに、相手から感謝をされると、感謝をされた人の援助行動は増加します。しかし、援助の行為が、元来の目的を離れ、感謝されること自体を主目的とするようになったときに、感謝の強要や、感謝の有無による援助の不公正に向かう可能性が生まれます。 自己から離れて「他」に心を向けたときに、感謝への道が開かれます。しかし 、より成熟した感謝の心をもつためには、自他を含めてさらに広い視点から、感謝を省みる必要があります。 文献 Layous, K., & Lyubomirsky, S. (2014). Benefits, mechanisms, and new directions for teaching gratitude to children. School Psychology Review, 43(2), 153-159. Morgan, B., Gulliford, L., & Carr, D. (2015). Educating gratitude: Some conceptual and moral misgivings. Journal of Moral Education, 44(1) , 97-111. Wood, A. M., Emmons, R. A., Algoe, S. B., Froh, J. J., Lambert, N. M., & Watkins, P. (2016). A dark side of gratitude? Distinguishing between beneficial gratitude and its harmful impostors for the positive clinical psychology of gratitude and well-being. The Wiley handbook of positive clinical psychology, 137-151. セクション終わり アンカー 1 アンカー 6 注1 いつの時代でも、公正性と報恩との葛藤は見られるようです。民俗学者の柳田国男は、1958年の神戸新聞のコラムで、代議士となった加藤恒忠が、東京に帰る際に、見送りにきた地元の中心人物を呼び「僕はとくに松山のために働くことはしないからね」といって帰京したことを伝聞としてあげています。そして、「今でもこんな代議士が一人や二人あってもよいはずだ」(柳田、1964、455頁)と微妙な表現ではあるが支持をしています。読売新聞におけるコラム(読売新聞2009年11月28日)では、柳田による文の一部を引用しつつ、「忘恩」という言葉を用いて、今日の国会議員が選挙等の際の地元の恩にいかに対応するかを考えなければならないことを示唆しています。 文献 柳田国男(1964).「故郷70年」.『定本柳田国男集 別巻3』、筑摩書房 1-421. (内藤俊史(2012). 修養と道徳 ――感謝心の修養と道徳教育.『人間形成と修養に関する総合的研究 野間教育研究所紀要』、51集、529-577.540-541より). 本文に戻る TOPへ アンカー 7 TOPへ アンカー 8 TOPへ アンカー 9 アンカー 3 TOPへ
- 感謝の発達|子どもから老年に至る感謝の心|development of gratitude|生涯における感謝の心
年齢とともに変わる感謝 (内藤俊史・鷲巣 奈保子、2020.8.4 最終更新日 2023.10.16 ) 感謝の心や行動は、年齢とともにどのように変わっていくのでしょうか、そして、生涯のそれぞれの時期でどのような意義をもつのでしょうか。 アンカー 1 アンカー 3 サイトメニュー 生涯における感謝の心 (序) 感謝の輪郭と意義 ----宗教における感謝 ----感謝の判断の構造 感謝の力 すまないという心の力 感謝と文化 年齢とともに変わる感謝 感謝の問題点 付: 感謝に関する小さな謎 サイト紹介 検索結果 このセクションの内容 年齢と感謝 児童期とそれ以前 ― 「感謝」の習 得 青年期 ― 自己アイデンティティの探究と 感謝 の再構成 成人期 ―家族、 社 会に対する責任と感謝 高齢期 ― 人生の意味づけと感謝 参考 年齢とともに変わる感謝の歌 アンカー 8 年齢と 感謝 私た ちは、生涯を通して「他」との関わりのなか で生 きています。 「 他」との 関わり は、成長とともに広がり、 変 化を します。人は、その都度生じる新たな課題、つまり発達上の課題に取り組みます(Erikson, 1977,1980)。感謝 の心や 行動 は 、それぞれの時期における発達上の課題に取り組むなかで 、様々な姿を表わします。 次にあげる表1は、それぞれの時期における感謝の姿または感謝のテーマです (詳しくは、N aito & Washizu,2019 )。 表1 発達の各時期における 感謝 のテーマ ---------- ---------------- [児童期とそれ以前 ] 感 謝の言葉や行動 、そしてその背景にある 感謝の目的・効用、 感謝に関わる基本的な約束事 を習得 します 。 [青年期] 社会的-歴史的世界において自分 は何 者 な のか、つまり 「自己アイデンティティ」 を探究します。より広い視野の下で、これまで感じてきた感謝 の意義や適切性をあらためて問い直します。 [成人期] 家族や 社 会を維持、発 展させる責任とともに、次の 世代へのつながりを自覚します。感謝の対象は、そのような観点から拡大します。 [ 高齢期] 人生を振り返り、人生の意義を考えます。社会、世界、自然の歴史のなかに人生を位置づけ、あらためて感謝の対象や感謝のあり方を探ります。 ---------------------------- ※ なお、発達という枠組みで人間を理解するときに考慮しなければならないことは、発達段階がいったん設定されると、すべての人々が歩むべき「模範的な道」として固定される恐れがあることです。発達段階は、むしろ、すべての人々の多様な発達を説明できるように修正されていくものです。 以下、「児童期 とそれ以前 」「青年期」「成人期」「高齢期」の各時期における感謝のテーマについて説明をします。 アンカー 2 TOPへ TOPへ 児童期 とそれ以前 ― 「 感謝」の習得 (⇒ 研究結果を含む 詳しい文書 (PDF文書) ) この時期における 感謝のテーマは、 感謝の表現 ( 言葉や 行動)と、 感謝 の意義を学ぶことです。 しかし、そのことは、児 童期において、感謝という「心理-行動」のセットが、無の状態のなかに 新たに獲得されることを意味している訳ではありません。 第一に、感謝という概念には、人の動機の理解や因果関係の認識など、さまざまな知的能力や知識が前提とされています(このサイトの頁「感謝の判断の構 造」 参照)。それら感謝の源資は、感謝の行動や意味を学ぶ前から育ち始めています。 第二に、感謝の行動と意義の習得は、児童期で完了するという訳ではありません。生涯を通じて、感謝のあり方は発達を続けます。ゲームでたとえれば、ゲームの規則を学びゲームの参加資格を得た後も、そのゲームに強くなるための技術や能力が必要になるのと似ています。 児童期には、感謝の基本的な特徴のいくつかが学ばれます(「 感謝の判断の構 造」の頁 参照)。 感謝の行動(言葉) 子どもたちは、「何かをもらったときにはありがとうと言う」など、単純化された 感謝の社会的ルーティンから学び始めると考えられます。単純な学習のようですが、次に紹介するアメリカ合衆国で行われた研究が示すように、さほど簡単な学習ではありません。 Grief and Gleason (1980)は、 5 歳の子 どもたちが親 と一緒にいるときに、挨拶の言葉や感謝の言葉を声にするかどうかを、実験室のなかで観察しました。その 結果、86%の子どもは、親がきっかけや手がかりを与えたときに感謝の言葉を発しましたが、それらがないときには、感謝の言葉を声にした 子どもは7%に過ぎませんでした。 さまざまな状況で自発的な感謝の行動が可能になるためには、 さまざまな知的能力の獲得が必要になります。 感謝の概念 子どもたちは、 より洗練された感謝のルールや感謝の目的・効果を学びます 。 児童期における次のような 変化が、これまでの研究によって示唆されています。 児童期の初め およそ小学校低学年までの子どもたちの感謝は、恩恵を与えてくれた人の意図や、費やした負担(コスト)が十分に考慮されない傾向があります。この感謝のあり方は、「何かをしてもらったらありがとうと言う」などの、紋切り型の感謝を想像させます。このような感謝のあり方の理由として、恩恵を与えてくれた人の観点に立って考えることが不十分であることなどが考えられます。 児童期の後期 小学校の高学年になると、恩恵を与えてくれた人の意図が、その人に感謝をするかどうかの重要な決定因になります。つまり、恩恵を与えた人が、規則や義務、あるいは他者からの命令によるのではなく、「相手のために」という自らの意思に基づいて恩恵を施したとき、感謝を受けるに値すると考えるようになります。これは、大人のもつ感謝の概念と一致します。 また、恩恵を与えた人が費やした犠牲(コスト)に応じて、感謝の程度は異なるべきだと考えるようになります。 したがって、「高い犠牲を費やしてでも、自分のために自発的に恩恵を与えてくれる人」への感謝は強くなり、また関係はより強められます。つまり、感謝は、特定の関係を強めることに寄与するようになります アンカー 4 TOPへ 青年期 ― 自己アイデンティティの探究と感謝の再構成 ( ⇒ よ り 詳 しい文書(PDF) 、内藤、 2019) 青年期の年齢については諸説ありますが、ここでは10代前半から20代後半を想定します。青年期のあり方には個人差も考えられますが、典型的と思われる感謝のあり方を描くことにしましょう。 青年期において、社会的世界は、認識の上でも活動の上でも広がります。児童期で築かれた他者との 関係は、より広い社会的視点からとらえられるようになります。そして、あらためて、「自分は何者か」という問いかけ、つまり自己アイデンティティの探究 が始まります。このような青年期の特徴は、青年期以前における感謝の再考を促します。 青年期の初め-感謝の対象の再考 拡大された社会的な視野に基づいて、それまで感謝の対象とされていた事柄や人々が、感謝の対象として相応しいものであるのか、あらためて問われます。場合によっては、これまで感謝の対象であった親に対する不信や反抗を伴います。 再考の過程では、自分が感謝すべき対象に十分な対応(恩返しなど)をしてきたのかという点にも、反省の目が向けられるようになります。自分が、感謝をすべき対象に対して相応しい対応をしていないと思ったときには、「すまない」という気持ちをもつ可能性が生まれます。 池田(2006)は、中学生から大学生を対象に、青年による母親への感謝について調査をしました。その結果、これまで親から受けてきた恩恵に対して十分に答えていないという感覚によって、 「すまなさ」の感情の高まる時期(「母親に対する感謝の自責的な心理状態」)を示唆しています。 青年期の終わり -社会的な視野の下での感謝 その後、職業につくなど、いわゆる社会への参入を果たし、 責任を伴う自立が求められるようになります。また、他者からの恩恵は、その背景にある社会的状況や歴史的状況の因果関連のなかで理解されるようになります。例えば、親から受けた恩恵には、そのような親の行動を可能にした社会的、歴史的背景があることを認識し、より広範囲の対象が自分の幸福と関わりをもつと認識されるようになります。そして、「社会への恩返し」などより広い範囲への恩返しを考えることが可能になります。 アンカー 5 アンカー 10 成人期 ― 家族、 社会に対する責任と感謝 ここでは、20代後半から60代前半にかけての時期を成人期とします。 成人期に、特 性感謝(感謝の傾向)が高まる傾向が見いだされていま す。 Chopik, Weidmann, & Purol(2022)は、日本を含む88か国におけるインターネットによる大規模な質問調査の結果を分析したところ、各国で共通して、およそ20代後半(25-34歳)から60代前半(55-64歳)までの間、特性感謝つまり感謝傾向が高まることを見いだしました 。 いろいろな解釈が可能です。20代後半になって、家族や職をもつなど、安定した社会的関係を もち、自分の幸福に他者が貢献してい ることに気づく機会が多くなるのでしょうか。 TOPへ 高齢期 ― 人生の意味づけと感謝 高齢期 の定義やその時期についても 、時代的変化や文化差があります。ここでは、およそ65歳以上を高齢期とします。 高齢期は、個人差が大きいといわれます。高齢期の人々を囲む環境に個人差が大きいこと、そして身体的な健康に関しても個人差が大きいからだと 考えられます。また、高齢期といっても、初期と後期、さらには超高齢期では相違がみられます。それことを踏まえた上で、高齢期 の一般的な傾向 を考えたいと思います。 質的な変化と量的な維持 前に引用したChopikら(2022)の分析によると、高齢期以降は、特性感謝つまり感謝の量的な傾向はあまり変化がないとされています。 しかし、日本の10代から60代の男女に対して、感謝の対象を調べた調査によると、60代では、他の年代に比べて、次の項目への感謝が大きいという結果が得られています-日常生活のささいなこと、自分が生まれてきたこと、自然の恵み、いのちのつながり、自分が過去に苦労したこと、自分が置かれている環境、自分の健康状態、運命、神あるいは仏に対する感謝(池田、2015)。 およそ60歳以降、量としての特性感謝には変化がないものの、感謝の対象の変化という質的な変化が生じていると考えられます。さらに言 えば、高齢期の初期である60代から、感謝の質的な変化が始まり、その結果、特性感謝つまり感謝をする傾向全体は減少しないという解釈も可能です。 高齢者の共通性と 発達上の課題 高齢者の一般的な特徴は、身体的に活動可能な領域が狭くなること、そして、自分の生の限界を意識することでしょう。このような条件の下で、この時期の発達上の課題を引き受けます。Erikson (1977) は、生涯にわたる心理的発達の8つの段階を提唱しました(最終的には9つ目の段階が設定されました)。高齢期に当たる第8段階において、人々は自分の人生の意義を、社会-歴史的文脈のなかに見いだし、最終的には死を穏やかに受け入れるという課題を引き受けます。 世界観と人生の物語 人生の意義を見いだす過程で、自分の人生を位置づけるための背景が必要になります。背景には、物理学的宇宙観や、先祖から現在に至る家族史観など が考えられます。 どのような世界を描くのか、そしてその世界のなかでどのように自分を位置づけるかが課題になります。そして、その世界において何に対して感謝をするかが、このサイトの関心です。 これらの点について、老年学や老年心理学の領域で注目されている「老年的超越」という概念は示唆的です。 老年的超越理論は、スウェーデンの 社会学者Tornstamによって提唱された、高齢期に生じる価値観の変化と心理的適応との関連を説明する理論です。老年的超越理論によれば、高齢期には物質主義的で合理的な世界観から、より宇宙的で超越的な世界観への移行(これを老年的超越という)が生じ、そのような価値観の変化とそれに伴う心理・行動の変化が、高齢期における主観的幸福感の維持・向上に寄与しているとされます(Tornstam, 2017/ 2005)。 この過程のなかに感謝が含まれると考えられます。 一方、日本の高齢者に同様の老年的超越インタビューを行ったところ、共通点が見いだされたものの、宇宙的な視野とは別に、先祖や未来とのつながりに言及することが見いだされています( 増井、2016 )。 これらの研究結果をみると、抽 象的な世界観のなかに自己を位置づけるタイプとともに、具体的な死者との関係を通して、先祖や神仏の世界との関わりを志向するタイプがあると考えられます。もちろん、他にも様々な世界が描かれると考えられますが。 各自がそれらの世界を構成し、感謝をどのように感じることができるのか、そして際どのようなサポートが可能かが問われます。 私たちは、現在、高齢者の感謝について検討 を続けています。以下の論文は、高齢者の感謝についての私たちの論文とレポートです。 鷲巣奈保子・内藤俊史(20 22).高齢者における感謝の特徴と機能. お茶の水女 子大学人文科学紀要 第18巻、157-168. PDF文書. 日本における老年的超越(約1,500字). PDF 文書 高齢者にお ける家族と先祖への感謝(約5,000字). PDF文書. TOPへ 文献 Chopik, W. J., Weidmann, R., Oh, J., & Purol, M. F. (2022). Grateful expectations: Cultural differences in the curvilinear association between age and gratitude. Journal of social and Personal Relationships, 39(10), 3001-3014. エリクソン、E.H., 仁科弥生訳(1977、1980). 『幼児期と社会1、2』、みすず書房. Gleason, J. B., & Weintraub, S. (1976). The acquisition of routines in child language. Language in Society, 5(02), 129-136. Greif, E. B., & Gleason, J. B. (1980). Hi, thanks, and goodbye: More routine information. Language in Society, 9(02), 159-166. 池田幸恭(2006).「青年期における母親に対する感謝の心理状態の分析」『教育心理学研究』54巻 487‒497. 池田幸恭(2015).感謝を感じる対象の発達的変化. 和洋女子大学紀要、55、65-75. 増井幸恵(2016). 老年的超越 日本老年医学会雑誌、53、210-214.https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/publications/other/pdf/perspective_53_3_210.pdf Naito, T. and Washizu, N. (2019). Gratitude in life-span development: An overview of comparative studies between different age groups. The Journal of Behavioral Science, 14, 80-93. 内藤俊史(2019). 青年期における心理的自立―感謝感情のあり方を通して―.『野間教育研究所紀要』、第 61 集青年の自立と教育文化、238-268. トーンスタム、ラーシュ (2017). 冨澤 公子 (翻訳), タカハシ マサミ.『老年的超越―歳を重ねる幸福感の世界―』. 晃洋房. (Tornstam,L:Gerotranscendence;A Developmental Theory of Positive Aging. Springer Publishing Company, New York, 2005). Wood, A. M., Froh, J. J., & Geraghty, A. W. (2010). Gratitude and well-being: A review and theoretical integration. Clinical Psychology Review, 30(7) , 890-905. アンカー 6 参考 ―年齢とともに変わる感謝の歌 年齢を重ねていくとともに、感謝のあり方は変わっていきます。 それぞれの年齢層を対象としていると思われる感謝の歌(日本語)で、アクセス数の多い歌をリストしました。 それらの歌詞をみると、感謝が、それぞれの年齢で大切にされていることがわかります。しかし、それがどのような意味で大切なのかは、年齢によって異なるようです。 注意 音声が出ます。広告が入ることがあります。 「ありがとう」歌 伊藤碧依、 作詞・作曲小林章悟 卒園式や 卒業式で 歌われることがあると聞きます。子どもたちにこのような感謝の心が育って欲しいという願いのこもった歌。 「ありがとう」歌 いきも のがかり、作詞・作曲水野良樹 これから共に生きて、幸せを分かち合う人に対する感謝の歌。2010年度上半期のNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の主題歌でした。 「ありがとうの唄」歌・作詞・作曲𠮷幾三 (約1分50秒後に歌が始まります) 年齢も少し高くなって、人生を振り返りながら、これまで出会った人、出会ったこと・ものに対して感謝をしつつ人生を終わらせるような生き方をしたいと願う歌。 「感謝」歌 坂崎幸之助 、作詞北山修、作曲加藤和彦 (約60秒後に歌が始まります) 亡くなる人の立場からの感謝の歌です。 このセクションの終了 TOPへ TOPへ TOPへ TOPへ TOPへ TOPへ TOPへ
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サイト紹介 ( 2 020.8.4 最終更新日 2023. 8.7) サイトメニュー アンカー 1 生涯における感謝の心 (序) 感謝の輪郭と意義 ----宗教における感謝 ----感謝の判断の構造 感謝の力 すまないという心の力 感謝と文化 年齢とともに変わる感謝 感謝の問題点 付: 感謝に関する小さな謎 サイト紹介 検索結果 このホームページについて このサイトは、心理学等の研究結果にもとづいて、感謝と感謝心に関する知識と課題を提供することを目的としています。 サイトの内容は、感謝心をテーマとする私たちの研究グループによる討論にもとづいています。グループは、元お茶の水女子大学教授内藤俊史と、指導学生であった有志により構成されています。 サイトは、内藤俊史が作成と運営を担当しています。共著に該当する内容については、共著者の氏名を記しました。 このサイトは、2020年8月4日に初めて公開された後、度々変更が加えられています。各ページの最終更新日は各ページの冒頭に記載されています。 ページの表紙の画像(PC版のみ)は、主催者により撮影されたものです。 サ イト主催者 代表 内藤俊史 Naito, Takashi 博士(教育学)、学校心理士 お茶の水女子大学名誉教授 1 950年 神奈川県横浜市に生まれる。1978年 慶応義塾大学大学院博士課程単位取得退学 現在 傾聴ボランティア「ハミング」所属 (埼玉県川越市において活動) 川越市社会教育委員会委員・図書館協議会委員 Journal of Behavioral Science 編集委員 (シーナカリンウィロート大学, タイ) 詳しい経歴・論文 感謝についての私たちの論文 サイトの作成メンバーが著者に含まれる主な論文です。下線のある論文は、下線部をクリックすると論文の掲載されているHP等につながります。 内藤俊史(2004). 成長とともに身につける「ありがとう」「ごめんなさい」.『児童心理』、58(13)、1173-1177. Naito,T., Wangwan,J.,and Tani, M.(2005). Gratitude in university students in Japan and Thailand. Journal of Cross-Cultural Psychology, 36 ,247 -263. Naito, T., & Sakata,Y. (2010). Gratitude, indebtedness, and regret on receiving a friend’s favor in Japan. Psychologia, 53, 179-194. Naito, T. and Washizu, N. (2015). Note on cultural universals and variations of gratitude from an East Asian point of view. International Journal of Behavioral Science. 10, 1-8. Naito, T. and Washizu, N. (2019). Gratitude in life-span development: An overview of comparative studies between different age groups. The Journal of Behavioral Science, 14, 80-93. Naito, T., and Washizu, N. (2021). Gratitude in Education: Three perspectives on the educational significance of gratitude. Academia Letter, Article 4376.https://doi.org/10.20935/AL4376. Washizu, N., and Naito, T. (2015). The emotions sumanai , gratitude, and indebtedness, and their relations to interpersonal orientation and psychological well-being among Japanese university students. International Perspectives in Psychology: Research, Practice, Consultation. 4(3), 209-222. 鷲巣奈保子・内藤俊史・原田真有(2016) . 感謝、心理的負債感が対人的志向性および心理的well-beingに与える影響.『感情心理学研究』、24、1-11. 鷲巣奈保子 (2019). 感謝,心理的負債感,「すまない」感情が心理的well-b eingに与える影響とそのメカニズムの検討. お茶の水女子大学博士論文. 鷲巣奈保子・内藤俊史(2022). 高齢期における感謝の特徴と機能. 『お茶の水女子大学人文科学研究』第18巻、157-168.