
感謝と親しさのパラドックス
― 感謝は感謝のない社会を築くのか?
(内藤俊史 2020.8.4, 最終更新日 2026.2.7)
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序. 感謝は感謝のない社会を築くのか
序. 感謝は感謝のない社会を築くのか
感謝の気持ちをもち、それを伝えることで、相手との距離は近づくといわれています。ところが、距離が近くなるにつれて、感謝の言葉が「水くさい」と受け取られることがあります。
本来、感謝は、互いに助け合い感謝し合う関係を築くものと考えるのが自然ではないでしょうか。もしそうならば、距離が近くなった相手に対する上記の現象は矛盾しているようにみえます。
この事実はどのように理解したらよいのでしょうか。このページでは、感謝のもつ性質に基づいて解釈を試みます。
1. 感謝の3つの性質、そしてそれぞれの性質から導かれること
[感謝の性質]
上記の現象は、感謝に関わる次の性質からもたらされると考えられます。
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感謝は、感謝する人とされる人との関係をより親しいものにする。
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親しい関係の下では助け合うのは当然とされる(「当たり前」とされる)。
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当然とされる行為は感謝の対象にはならない 。
[感謝が不要になるまで]
あらためて、その過程をたどってみましょう。
感謝をすることによって、関係はより親しいものになります。そして親しい関係になった結果、多くの助け合いは「当然のこと」「当たり前」とみなされるようになります。実際、助け合うことが当然のことになることが、親しい関係の証になることさえあります。逆に、親しい関係でありながら感謝を表わしたときは、「みずくさい」「わざとらしい」「よそよそしい」「形式的」などといった非難を受けることになります。
また、別の観点から考えると、親しい関係の下で助け合いが常態化したとき、その都度感謝を意識し表現することは、心身ともに負担になることが予想されます。その負担を軽くするために、感謝を意識し表現するという行為は少なくなるとも考えられます。
事実、世界的な規模で行われた比較的親しい間柄における感謝の言葉を中心とした調査によると、多くの文化において、食卓で塩の瓶をとってもらうなどの行為に対して感謝の言葉が寄せられることは、一般に思われているよりも少ないという結果でした (Jennifer Schuessler、藤原朝子、2018)。
しかし、お礼など感謝の表現については、これまでの説明に納得する人が多いかもしれませんが、「感謝の心」についてはあてはまるのかどうか疑問を感じる人も少なくないのではないでしょうか。
そこで、これまで感謝の表現と感謝の気持ちとを分けずに考えてきましたが、次に、感謝の気持ちに焦点を当てて考えてみましょう。
2. 親しい人からの援助に対する感情-ある調査の結果
このテーマと関連する私たちの調査データがありますので紹介します(Naito, Wangwan, and Tani, 2005のデータに基づく追加分析 Fig.1)。
私たちは、感謝の気持ちは相手との関係によってどのように変わるのかを明らかにするため、大学生を対象に調査を行いました。調査では「骨折した自分のために荷物を毎日学校まで運んでくれた」等の架空の場面を設定し、助けてくれた人物をいろいろと変えて、そのときに感じると思う感情を尋ねました。
その結果、見知らぬ人から援助を受けたと想像した場合に比べ、友人、母親、父親から援助を受けた場合、「うれしい」「あたたかい」「幸福」「感謝」というポジティブな感情の合計点は、見知らぬ人からの援助の場合よりも大きな値になりました。これは、「親しくなると援助に対する感謝の気持ちが小さくなる」という考えにとって不利な結果で、親しい人からの援助はむしろ強いポジティブ感情を生みやすいことを示しています。
一方で、これも感謝とともに感じることの多い「恥ずかしい」「迷惑をかけた」「心苦しい」「借りが出来た」というネガティブな感情の合計点は、父母から援助を受けた場合に、他の場合より低い値になりました。つまり、親しい関係の中でも特に親からの援助は、負担感や気まずさをあまり伴わないことが示唆されます。
調査の結果は、親しい関係にある人からの援助に対する感謝が、親しくない人からの援助の場合と比べて異なる性質をもつことを示唆しています。それでは、親しい関係の人からの援助に対する感謝には、どのような特徴があるのでしょうか。
3.親しい関係において感謝を感じるとき
このページの冒頭で示した説明は、次の二点に要約されます。第一に、親しい関係においては援助が「当たり前」「当然」とみなされる傾向があること。第二に、「当然」とされる行為は感謝の対象になりにくいということ。この二点の結果、親しい関係における感謝の表出は減少する傾向があるというものでした。
ということは、これらの条件に当てはまらない場合には、たとえ親しい間柄であっても感謝が生じる可能性があるということになります。それは、どのような場合でしょうか。
第一に、親しい関係であっても、その行為が「当然」「当たり前」とはみなされない場合です。たとえば、「親友とはいえ、そこまでしてくれるとは思わなかった」と感じるような場面では、感謝が生まれます。
第二に、援助をしてくれるような関係そのものが「当然」ではない、「当たり前」ではないと認識される場合です。あなたと私が親友であるのは当たり前のことなのかという場合です。このような「当たり前ではない関係」にあることが感謝の対象となる可能性があります。したがって、仮に援助そのものに対して感謝を意識しない場合でも、それが当然であるような関係にあることに対して感謝の気持ちが生じる可能性があります。
繰り返しになりますが、親しい関係でも感謝を感じる場合をあらためてまとめると以下のようになります。
a 援助の行為が「当然」「当たり前」とはみなされない場合
たとえば、「食卓で塩の瓶を取ってあげる」といった日常的で慣習化しやすい援助は別として、あまり慣習化されることのない援助や、「当然」と言い切れないような援助の場合には、親しくなった後でも感謝の気持ちが弱まることはないと考えられます。
b 信頼関係の存在やその発展を実感したとき(「友情を確認した喜びと感謝」「援助によって友情が深まったことへの感謝」など)
相手への直接的な感謝とは別に、「友情を確認した喜び」など、関係そのものが喜びや感謝の対象となることがあります。恩恵をもたらしてくれるような関係が存在すること、あるいはその関係が発展することに対して、喜びや感謝の念が生じるのです。
視野を広げると、社会的な制度として「感謝の日」が設けられている国も多くあります。この日は、「当たり前」という枠を外し、親しい関係にある父母などへの感謝とともに、その関係性そのものへの感謝を改めて意識する機会となっています。
4 結論(要約)
a. 親しい相手からの恩恵に対して、それが当然とみなされる限りは、感謝の表現や感謝の気持ちは、他の相手からの恩恵と比べて減少する傾向がある。
b. 親しい関係にあっても、当然と見なせない恩恵を受けた場合は、感謝の対象となる。
c. 親しい関係の場合、その関係の維持や発展に焦点が当てられたとき、その関係自体への感謝が生まれることがある。
このページの結論は、「感謝は、感謝のない社会を導く訳ではなく、親しい関係の下では、感謝のあり方が異なるようになり、表面上、感謝が減少するようにみえる」というものです。
文献
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Jennifer Schuessler、藤原朝子訳 (2018)「人は思っているほど「ありがとう」と言わない―やってもらうのは結構当たり前. 東洋経済オンライン 2018/07/06 https://toyokeizai.net/articles/-/228180 2024.8.24アクセス
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Naito,T., Wangwan,J.,and Tani, M.(2005). Gratitude in university students in Japan and Thailand. Journal of Cross-Cultural Psychology, 36,247 -263.
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