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感謝と親しさのパラドックス

   ― 感謝は感謝のない社会を築くのか?

 

 

(​内藤俊史 2020.8.4,  最終更新日 2024.11.28) 

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このセクションの内容

 

序  感謝は感謝のない社会を築くのか

 

1.感謝の3つの性質と、それらから導かれること 

2.親しい人からの援助に対する感情-ある調査の結果

3.親しい関係において感謝を感じるとき

4.結論 

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       序

 感謝の気持ちをもち、感謝を伝えることによって、相手との距離は近くなるといわれます。ところが、お互いの距離が近くなると、感謝をするのはみずくさい言われるようになります。感謝は、お互いに助け合い、感謝をし合う集団や社会を招くと考えるのが自然ではないでしょうか。一見、矛盾しているようにさえ感じます。この事実は、どのように説明することができるのでしょうか。このページでは、この事実を、感謝のもつ性質にもとづいて解釈を試みます。

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1.感謝の3つの性質と、それらから導かれること 

[感謝の性質]

  上記の現象は、次にあげる感謝のもつ性質からもたらされると考えられます。

  •  感謝は、その対象である人との関係をより親しいものにする。

  •  親しい関係の下では、援助行為は当然とされる(強い信頼関係、規範意識などにより「当たり前」とされる)。

  •  行為が当然とされる場合、その行為は、感謝の対象にはならない 。

[感謝が不要になるまで]

   あらためて、その過程を推測してみます。

 感謝をすることによって、関係はより親しいものになります。親しい関係になった結果、少なくとも相互における援助の一部は、「当然のこと」「当たり前」とみなされるようになります。お互いの援助が当然のこととして行われることが、関係の親しさの証になることさえあります。そのような状況で感謝が表明されたときは、「みずくさい」「わざとらしい」「よそよそしい」「形式的」などと非難を受けることになります。 

 また、別の観点から考えると、親しい関係の下で、より多くの相互援助が習慣化-常態化するようになると、その都度感謝を意識し表現することは、心身ともに負担が大きくなります。その負担を軽減するために、感謝を意識し伝える行為は減少すると考えられます。

 事実、世界的な規模で行われた比較的親しい間柄における感謝の言葉を中心とした調査によると、多くの文化において、食卓で塩をとってもらうなどの手助けに対して、感謝の言葉が発せられるのは一般に思われているよりも少ないという結果でした (Jennifer Schuessler、藤原朝子、2018)。​​

 しかし、お礼などの感謝の表現については納得する人が多いかもしれませんが、感謝の心については、疑問を感じる人は少なくないのではないでしょうか。

 そこで、これまで感謝の表現と感謝の気持ちとを分けずに考えてきましたが、次に、感謝の気持ちに焦点を当てて考えてみましょう。

2.親しい人からの援助に対する感情-ある調査の結果

 このテーマと関連する私たちの調査データがありますので、紹介します(Naito, Wangwan, and Tani, 2005のデータに基づく追加分析 Fig.1)。 

 調査では、「骨折した自分のために荷物を毎日学校まで運んでくれた」等の架空の場面を設定し、助けてくれた人物をいろいろと変えて、そのときに感じると思う感情を大学生に対して尋ねました。その結果、見知らぬ人から援助を受けた場合に比べ、友人、母親、父親から援助を受けた場合、「うれしい」「あたたかい」「幸福」「感謝」というPositive feelingの合計点は、見知らぬ人からの援助よりも大きな値になりましたこれは、「親しくなると援助に対する感謝の気持ちが減少する」という考えにとって不利な証拠です。

 なお、他方で、「恥ずかしい」「迷惑をかけた」「心苦しい」「借りが出来た」というNegative feelingの合計点は、父母から援助を受けた場合に、より低い値になりました。 

 調査の結果は、少なくとも、親しい関係にある人からの感謝が、それ以外の場合と比べて、異なる性質をもつことを示唆しています。それでは、親しい関係における感謝には、どのような特徴があるのでしょうか。 

3.親しい関係において感謝を感じるとき

 このページの初めに示した説明では、親しい関係の下では、いくつかの援助は当然とされ、また当然とされる行為は感謝の対象にならないために、感謝は減少するというものでした。ということは、これらに当てはまらない場合には、感謝が生じる可能性があることを意味します。つまり、親しい関係にあっても、その行為が当然とされない場合には感謝が生じる可能性があります。

   それはどのような場合でしょうか。親しい関係において感謝が生じる場合として、次のような場合が考えられます。

a 援助の行為が、「当然とされるもの」「当たり前とされるもの」ではない場合

 「食卓で醤油の瓶をとってあげる」といった慣習化しやすい援助は別として、あまり慣習化されるようなことのない援助や当然かどうかあいまいな援助の場合は、感謝の気持ちは、親しくなった後に弱くなるようなことはないと考えられます。

b  信頼関係の存在や発展を確認したとき(「友情を確認した喜びと感謝」「援助によって友情が深まったことへの感謝」など)

    相手への直接的な感謝とは別に、「友情を確認した喜び」など、関係自体が喜びや感謝の対象になることがあります。恩恵を与えてくれるような関係があること自体やそれが発展することへの喜びと感謝です。 

 社会に視野を広げれば、感謝を確認する日々が制度として設けられています。多くの国々で設けられている「感謝の日」です。感謝の日には、「当たり前」という枠をはずして、親しい関係である父母等への感謝、そしてそれを裏打ちする関係自体への感謝が呼びかけられます。 

 

4 結論(まとめ)  

a. 親しい相手からの恩恵に対して、それが当然とみなされる限りは、感謝の表現や感謝の気持ちは、他の相手からの恩恵と比べて減少する傾向がある。

b. 親しい関係にあっても、当然と見なせない恩恵を受けた場合は、感謝の対象となる。

c. 親しい関係の場合、その関係の維持や発展に焦点が当てられたとき、その関係自体への感謝が生まれることがある。 

 このページの結論は、​「感謝は、感謝のない社会を導く訳ではなく、親しい関係の下では、感謝のあり方が異なるようになり、表面上、感謝が減少するようにみえる」というものです。

​文献​

セクション本文終わり

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