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秋のもみじ

感謝と文化  

(内藤俊史・鷲巣奈保子 2020.8.4 終更新日 2024.3.30) 

 感謝の心や行動は、どの文化でも共通なのでしょうか、それとも文化によって異なるのでしょうか。

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感謝の文化差を理解すること​の大切さ                               

 感謝の文化差は、文化間のコミュニケーションにおいて、深刻な相互不信を導くこともあります。

 私たちは、どのようなときに感謝をするべきかを示す感謝の規範を身に着けていますが、それらを、そのまま「人間なら誰でもがそうするはずだ」と信じ込み、他の文化の人々にも適用することがあります。また、自分たちと異なる形での感謝を「感謝」として理解しないこともあります。その結果、相手のために尽くしたにもかかわらず、感謝をされていないと思って落胆したり、場合によっては、人格を無視されたように感じることさえあるでしょう。

 哲学者のカント(1797/1969)は、感謝には尊敬が含まれると論じましたが、まさにその逆の事態、人格を無視された事態とでも言えそうです。感謝についての誤解が、深刻な結果を導きやすいのはこの点にあると思います。

 

 次に、他の文化に触れたときに生じた、感謝の行動をめぐる葛藤の事例をいくつかあげます。

 なお、紹介する事例は、学会誌に公表されたものという訳ではありません。このことは、心理学などの学会で通常設けられている「データ収拾の手続きの規準」や「結果の解釈と一般化についての規準」が、意識されているとは限らないことを意味します。そのことは、それぞれの著述の価値を低めるものではありませんが、考慮すべき点です。しかし、それらの事例は、私たちの感謝のあり方が普遍的な感謝のあり方であるという信念について、考えさせるきっかけになるのは確かです。

感謝の行動の文化による相違-5つの事例

   書籍やインターネットの記事のなかから、感謝の文化差に関わる5つの事例を取りあげます。それらの内の4つは、日本と海外との相違に関するものです。

a. 感謝を表現することの文化差インドからアメリカ合衆国に移住した人の例

  Singh(2015)は、インドからアメリカ合衆国へ移住した経験にもとづいて、感謝の表現の文化差について次のように述べています。

 インドでは、ヒンズー語で感謝(dhanyavaad英語表記)を述べることはまれであり、もし話すとしても、かなりあらたまった場面であり、子ども同士でこの言葉を使うことはありません。しかし、アメリカ合衆国に移住後、頻繁に用いられる感謝の表現として、"Thank you”を学ぶこととなりました。しかし、久しぶりにインドへ帰郷をしたとき、今度は、インドの人々を不快にさせてしまいました。兄弟、友人に対して、感謝を言葉にすると、冗談として受けとられたり、場合によっては相手を不快にさせました。ヒンズー語での感謝の表現は、相手との新たな関係をもたらすのですが、すでに構築されている親密な関係における感謝の表現は、むしろ関係を悪くしてしまう可能性さえあります。

b. 感謝の表現の頻度とタイミング―タイに赴任した日本人社員の例 

 斉藤(1999)は、タイにおける滞在経験にもとづいて、日本とタイとの間のお礼のあり方の相違を述べています。

 日本人である著者がタイに着任し、赴任の挨拶廻りをしたときのことです。日本で人気の出ていたポータブルテレビを持参したところ、取引先であるタイのオーナー夫妻は大変喜んでくれました。ところが、その二日後に、仕事で顔を合わせたときのことです。テレビのことは一切触れられることはなく、もちろん感謝の言葉はまったくありませんでした。

 著者はそのことにひどく落胆しました。確かに、日本人の多くは、そのときに、一言、感謝の言葉があると予想することでしょう。

 著者は、次のように述べています-「日本流に右から左へとお返しをするのは、せっかくの相手の好意を無にする無朕な行為ととられるそうだ。秘書や女性スタッフのばあいは、筆者の誕生日やバレンタインデーに、一年分のお礼とばかり豪華なケーキ、ワインなどをプレゼントしてくれる。これが、タイ・ウェイである」。 

 なお、タイの人々の感謝について、別の説明もあります。参考までに加えておきます。Holmes and Tangtongtavy (1995)は、タイの慣習についての著書のなかで、仏教の思想が浸透しているタイでは、プレゼントに対して過度に喜ぶことは強い物欲を示すものとして控えられるのだと説明しています。

c. お礼のタイミングと頻度―日本における韓国からの留学生の例

 私(内藤)が勤務していた大学で、留学生と研究の相談をしているとき、たまたま感謝やお礼の仕方について話題になったことがあります。その学生は、韓国からの留学生で、日本での生活はすでに10年を超えていました(30代女性 )。彼女は、贈り物をもらった後、短期間の間に何らかのお返しをするという日本の習慣になかなか慣れないとのことでした。今はその習慣に従ってはいるものの、未だに違和感があり、今でも、何かをプレゼントされると、嬉しい反面、そのお返しをどうするかを考えて重い気持ちになるとのことでした。

 確かに、日本の社会での「お返し」「お礼」の習慣は、日本人にとっても、頭を悩ませるものだと思います。そして、韓国に限らず、他の文化から参入した人々にとって、日本における「お返し」「お礼」の習慣は理解するためには時間がかかることでしよう。

 大崎(1998)は、より一般的に、日本と韓国との感謝に関わるコミュニケーションについて次のように述べています。 

「相手との摩擦をさけるため潤滑油的にむやみやたらに「ありがとう」「すいません」を連発する日本人と、軽々しく謝辞を言ってはならないとする韓国人がコミュニケーションすると、両者の間には当然ながら誤解が生ずる。日本人は、謝辞のない韓国人の態度に不快となり、韓国人は、謝辞の多い日本人に水臭さを感じる」(大崎正瑠(1998)『韓国人とつきあう法』p. 104)

d.お礼のタイミング―日本における中国からの留学生の例

 村山(1995)は、中国からの留学生から聞いた、「お返し」に関する疑問について述べています。その留学生の疑問は、要約すると次のようなものでした。

 「日本ではお土産が必要と聞いて、中国のお土産を日本の人々に差し上げたのですが、そのつどお返しをもらいました。しかも、そのお返しは、お土産を差し上げた直後にいただくのが常でした。このお返しの意味がよく理解できません」。

 確かに、日本人の間では、何かを受け取ったときや恩恵を受けたときに、あまり時間をあけないうちにお返しをすることがあります。村山(1995)によれば、中国人の考え方からすると、プレゼントをもらってすぐお返しをすることは、商業上の売買と同じことになってしまい、相手からの厚意を厚意として受け取らないことになるといいます。むしろ、厚意は受け取り、そこで築かれた関係を忘れずに、何かのおりに感謝の返礼をすべきであるというのが中国における感謝の流儀という訳です。 

e. お礼の表現の有無-南アジア、中東における日本人旅行者 

   インドなど、南アジア、中近東を旅する日本人がよく経験する、感謝に関わる文化差です。インドには、「バクシーシbaksheesh(英語表記)」という言葉があります。それは、富める者から貧しいものへの施しであり、宗教的-社会的な務めとされます。観光地など様々な場所で、子どもや大人たちからバクシーシが求められます。功徳が得られるとされるこの施しに対しては、お礼の言葉はないのが普通です。「お礼の一言」を期待しがちな日本人の多くは、違和感を感じることになります(事例をあげませんが、日本人による多くの体験談が、「バクシーシ」という語をインターネットで検索することによって得られます)。

   これらの事例は文化差に関するものでしたが、日本人の間でも、同様のことが起こり得ます。つまり、その地域のお返しの習慣に反することをすれば、「水臭い」と言われたり、逆に「恩知らず」と言われたりすることもあります。 

感謝とともに生じる感情の文化差

 これまで述べた事例は、主に感謝の表現や行動に関するものでした。それでは、感謝の心に文化差はあるのでしょうか。 

 可能性の一つとして考えられるのは、感謝が生まれる場面で、同時に感じる感情の文化差です。感謝という感情は、負債感、尊敬、尊厳など様々な感情を伴う可能性があります。したがって、ある文化では、感謝が神への感謝と強く結びついているために、感謝に尊敬や畏怖の心が伴いやすいということは、十分に考えられます。また、お返しが強く期待されている社会では、恩恵を受けたときに同時に負債を感じやすく、感謝が負債感と強く結びつくことも考えられます。

 このように考えると、どのような感情が同時に生じやすいかという点で、文化による相違が考えられます。この点を示唆する次のような研究結果があります。

 一つ目は、Morgan, Gulliford, and Kristjánsson (2014)による研究です。彼らは、プロトタイプ分析という方法で、英国における感謝概念を分析し、負債感などのネガティブな感情概念が、米国の結果よりも心の中で近い概念として位置づけられることを見出しています。この結果は、ポジティブな感情としての感謝とすまないという感情が同時に起こりやすいとされる日本の場合と共通すると思われます。

   二つ目は、感謝の経験の効果に関する研究結果です。感謝したいことを想起する経験(例えば、毎日、感謝することを3つ思い出す)が、well-beingを高めるという結果が、アメリカ合衆国における複数の研究で得られているのに対して、日本と韓国のいくつかの研究では、そのような効果がみられないという結果が得られています(例えば、日本では、相川充・矢田さゆり・吉野優香、2013)。考えられる説明の一つは、アジアの文化、なかでも、関係規範を強調する文化では、感謝とともに負債感などの感情が同時に生起しやすいために、感謝の経験を思い出すことは、特に短期的には、心理的な幸福感などの高揚は生じ難いというものです。

文化による相違に気づくための枠組み

   感謝は、文化に影響されそうな心理的過程を含んでいますので、感謝のあり方が文化によって異なるとしても不思議ではありません。例えば、感謝には、恩恵を与えてくれたものが誰(何)であるのか、そしてどのような理由で恩恵を与えてくれたのかを理解することが含まれています。それによって感謝の気持ちが生まれたり、あるいは感謝をすべきかどうかが判断されます。その過程で、文化によって異なる世界観や道徳的-宗教的義務などが関わることは避けられません。

  それでは、恩恵を受けてから感謝の行動に至るまでに、どのような文化差が生まれる可能性があるのでしょうか。A.「感謝が生じるまで」、B.「感謝を感じるとき」、C.「感謝による行動」に分けて​整理をしました(表1)。

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表1.   感謝に関わる文化差

(援助を受けたときを例として)

 

A. 「​感謝が生まれるまで」-援助の意味付けに関する文化差

  文化において、その援助が、a)どのような原因によって行われたと解釈されるのか、b)どのような意義があるとされるのか、c)どの程度の価値を生み出したとされるのかによって、感謝の程度と感謝の対象の文化差が生まれます。

a)「どのような原因によって援助が行われたとされるか」

  例「援助をした人の心や判断」「社会的制度」「神仏などの超越者の意思」「自然の摂理」など。 

b)「その援助はどのような意義をもつとされるか」 

  例「道徳的な義務」「社会的義務」「宗教的義務」など。

  その援助が何らかの義務とされる社会では、その援助は感謝の対象からはずされる傾向があります。一方、義務ではなく「賞賛に値する行為」とされるような場合には、感謝の気持ちは高められると考えられます。

*文化における「当たり前」

 ところで、よく耳にする言葉に「当たり前」という言葉があります。「当たり前」の行為や出来事は、感謝の対象にはならない傾向があります。

 それでは、「当たり前」とはどのような意味でしょうか。「当然のこと」「自然の理に則っていること」「人間として当然為すべきこと」などの回答が得られるでしょう。それぞれの文化における「当たり前」の内容には相違があり得ます。そして、その結果、感謝の文化差が生まれます。

c)「援助によってもたらされたものにどの程度の価値が認められるのか

 文化の価値体系は多様です。例えば、物質的利益にあまり価値を与えない文化では、物質的な援助を受けても大きな感謝にはならないでしょう。

B. 「感謝を感じるとき」-経験する感情の文化差

 援助を受けたときに感じる感情は、その援助を「神仏による救い」と解釈したり、「社会制度による救済措置」とみなすなど、援助の意味づけによって変わります。状況における感謝の意味づけは、文化により異なる可能性があり、そのため感謝の際に感じる感情に文化差が生じる可能性があります。例えば、その援助が、神仏によって導かれたものとされれば、神仏に対する感謝と畏敬を感じることでしょう。また、援助者の思いやりによるものとされるのであれば、援助者に対して、感謝、親しみなどを感じることでしょう。  

  例 「ポジティブな感謝の感情、愛着」「負債感」「畏怖」「尊敬」「すまなさ」「恥」など。 

  

C. 「感謝による行動」-感謝の表出、反応の文化差

 援助の意味づけ(A)と経験する感情(B)の文化差は、感謝による行動の文化差をもたらします。さらに、感謝の感情表現の方法や、恩恵に応える方法(手段や時期)は、さまざまな社会的、文化的要因によって規定されます。

 例 「感謝の感情を表現することへの社会的期待(感情を表わすことへの評価」「神仏への感謝を表現するさまざまな方法」など。 

 この表は、感謝の文化的相違に気づくために役立つかもしれません。しかし、それらの文化差についての理論的説明は、今後の課題です。 

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 他の文化との交流のためにも、感謝の文化的な普遍性や相違を知る必要があるのは確かです。しかし、現在、すでに多くの多様な文化が存在し、これからさらに文化の多様性が認識されるようになることでしょう。信頼できる「感謝の文化的普遍性と相違の理論」が構成されるためにはさらに多くの研究が必要です。

 このような状況で、私たちができることは、感謝に関する文化差の可能性を理解した上で、他の文化の人々と交流を重ねていくことではないかと思います。

参考 

注意 音声が出ます。

 英語落語です。日本語の「ありがとう」は何通り?

RAKUGO IN ENGLISH - 47 WORDS FOR "THANK YOU"

  吉本興業所属カナダ人落語家、桂三輝(かつらサンシャイン)さんの落語。日本語における感謝の言葉が多いことを描いています。2023.9.1アクセス 

文献

  • 相川充・矢田さゆり・吉野優香 (2013). 感謝を数えることが主観的ウェルビーイングに及ぼす効果についての介入実験.東京学芸大学紀要 総合教育科学系1,64,125-138.

  • Holmes, H. & Tangtongtavy,H. (1995). Working with the Thais:A guide to managing in Thailand. Bangkok: White Lotus.

  • カント、イマニュエル (1797/1969). 吉沢伝三郎・尾田幸雄訳 『カント全集第11巻人倫の形而上学』 理想社 (原著は、Die Metaphysik der Sitten, 1797年出版 )

  • Morgan, B., Gulliford, L., & Kristjánsson, K. (2014). Gratitude in the UK: A new prototype analysis and a cross-cultural comparison. The Journal of Positive Psychology, 9(4), 281-294.

  • 村山孚 (1995).『中国のものさし・日本のものさし』 草思社

  • Naito, T. and Washizu, N. (2015). Note on cultural universals and variations of gratitude from an East Asian point of view. International Journal of Behavioral Science 10(2), 1-8.  

  • 大崎正瑠(1998).『韓国人とつきあう法』 東京:筑摩書房

  • 斉藤親載 (1999). 『タイ人と日本人』 東京:学生社 

  • Singh Deepak (2015). “I’ve Never Thanked My Parents for Anything”  The Atlantic. JUNE 8,  2015, Downloaded 2020.11.22.  https://www.theatlantic.com/international/archive/2015/06/thank-you-culture-india-america/395069/

 

補足 感謝を表わす言葉のない社会(自他の結合性、援助の義務性と慣習化)

 このセクションでは、感謝の普遍的な存在を前提とし、その上での文化的な相違を考えてきました。しかし、より根本的に、感謝のない社会はあるのかという問題があります。

 ところで、感謝を短い言葉で特徴づけるとすれば、「自分と分離された他者が、自分の幸福に対して自発的に寄与したことに対する敬意や親しみの感情」ということになるでしょう。したがって、感謝が成立するためには、「自—他の分離が意識されること」、そして「援助行為などに関する自発性が認識されること」が必要です。逆に、自-他の区別がなく、また援助行為などが何らかの形で当然のこととされたり、義務化されたりしているとき、感謝は存在し難いでしょう。

  ここでは、少なくとも感謝の言葉が存在しない文化の例を紹介します。感謝が大切にされる私たちの社会のあり方を、あらためて認識する契機を与えてくれるでしょう。

 感謝を表わす言葉のない社会

 文化人類学者の奥野(2018)によると、ボルネオ島に住む狩猟採集民族のプナンの人々は、「ありがとう」に該当する言葉をもたないといいます。何かを贈っても、「jian kenep」(よい心がけ)という言葉が使われることはあっても、感謝の言葉はありません。プナンの社会の特徴としてあげられる第一の点は、物を与えること(気前が良いこと)という強い規範があること、あるいは個人の所有欲を抑制する傾向が強いこと、第二に、共有という精神にみちていることです。共有という精神は、物に限らず、精神(知識や感情)、行動(共に行動する)について適用されます。

 これらをみると、プナンの社会の特徴は、感謝の成立しにくい状況にみえます。感謝の多い社会とどちらの社会が好ましいかというよりは、感謝の社会的基盤や発生を考える貴重な材料になります。

 

​文献

奥野 克巳  (2018). 『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』 亜紀書房

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