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夕日に映える富士

すまないという心の力 

内藤俊史・鷲巣奈保子 2020.8.4   終更新日 2024.3.18)

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 感謝ととともに「すまない」という感情や負債感を感じることがあります。多くの人々にとって、それらの感情は快いものではありません。それらの感情 は、幸福のための力になるのでしょうか。もし、力になるのだとしたら、どのようにしてなるのでしょうか。

 ここでは、それらの感情を「ネガティブ感情」と呼び、その働きに光を当てます。 

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感謝とすまないという心の力

図 1   感謝の経験におけるれぞれの感情の影響についての仮説 (​鷲巣・内藤・原田(2016)の結果等にもとづく)

​*positive reframing: 苦境において、状況の解釈(見方)を変えて、ネガティブな感情を低減したり、ポジティブな感情に至ること。

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ネガティブ感情の意義

   他の人から恩恵を受けたとき、「すみません」「悪いね」などの言葉が用いられることがあります。このことからも示唆されるように、他からの恩恵を受けたとき、快い感謝の感情つまりポジティブ感情だけではなく、心地のよくない感情つまりネガティブ感情を感じることがあります

 ありがたいというポジティブ感情とともに感じられるネガティブ感情には、「負債感(心理的負債感)」「すまないという感情」「自尊心への脅威」などがあります注1これらのネガティブ感情、特に負債感については、それが抑うつ的な感情をともない、対人的な関係を阻害するために、well-being(精神的-身体的健康や幸福感)にとっての阻害要因とされます(McCullough, Kilpatrick, Emmons, & Larson, 2001)。 

 単純に考えれば、ポジティブ感情が増加し、ネガティブ感情が減少することは望ましいことであると考えられます。しかし、実は、ネガティブ感情の経験がポジティブ感情や幸福感のために役立つことがあります。また、ネガティブ感情の経験があってこそより豊かな幸福感が得られるという考えは、私たちの常識の世界に根強く存在しています。​  ​

 ネガティブ感情のもつ積極的・肯定的な働きは、これまでに、様々な分野で語られてきました。

 古くは、仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタは、生老病死という苦に向き合うことを契機として、地位を捨て悟りへの旅を始めたといわれます。また現代においても何人かの思想家や研究者が、ネガティブ感情である悲しみを直視することの意義を論じています(竹内、2009; 山折、2002; 柳田、2005)。柳田(2005)は、次のように述べています。

「悲しみの感情や涙は、実は心を耕し、他者への理解を深め、すがすがしく明日を生きるエネルギー源となるものなのだと、私は様々な出会いのなかで感じる」(柳田邦男 2005、p.143)。

ネガティブ感情がなぜwell-bing(精神的-身体的健康や幸福感)を高めるのか 1

 それでは、他からの恩恵を知ったときのネガティブ感情は、どのようにして、自分自身のwell-beingや他者の幸福を高めようとする行動に結びつくのでしょうか。

 一つは、ポジティブな感謝感情と同様の効果が、ネガティブ感情にも独自な形で存在するという説明です。それは、恩の意識にもとづく次のような説明です。

​ 恩恵を受けた後に負債感やすまないという感情をもつことがあると思いますが、それらの感情には、「恩が生じた」という形で共通して恩という要素が関わっています。恩の意識は、当然、相手への恩返しという行動を高めますが、恩返しは、より広い相互関係を認識することによって、広い範囲の人々への恩返しへと発展します。

 このように、恩の意識(後出の図1では「応報義務感」)が、他者との関係を深めたり、ときには拡大させることもあると考えられます。そしてその結果、人々をより高いwell-beingへ導くかもしれません。

 ただし、他方で、他者からの大きな恩、あるいは負債をもつことに耐えられずに、他との関係を閉ざしていくことも考えられます。負債感のもつ負の側面の可能性については、これまで、主に海外の研究者によって指摘されてきました。
 恩意識や負債感は、両方向的な影響をもち得ると考えられます。それらの感情が、他者との関係を閉ざすように働くのか、それとも、他者との交流を維持し、拡大するように働くのかは、その人を囲む環境、文化によります。 

 話を元に戻します。社会学者の見田(1984)は、私たちの心の根底にある「原恩意識」を指摘しています。すでに生きていること自体が「天地の恩」であり、それは、抑圧的なものでもなく、「むしろ反対に、生きていることのよろこびの発露のようなものである」といいます(見田、1984、p.157)。もし、私たちに「原恩」というものがあれば、他者から恩恵を受ける経験は、そのような「原恩」を意識する機会になるのかもしれません。 

ネガティブ感情がなぜwell-bing(精神的-身体的健康や幸福感)を高めるのか 2

 もう一つは、ネガティブな感情が深い省察を促した結果、ネガティブな感情が高次の感謝の感情に転化しWell-beingを高めるというものです。

 内観療法注2、の創始者の吉本伊信は、半世紀前に以下のように述べています(忠義、孝行の言葉は当時の時代を反映)。

「反省すれば必ず慚愧が伴ひ、懺悔の後には必ず感謝報恩の念が湧き出て來ます。懺悔の伴はない感謝では眞實の報恩になりません。自からの不忠に氣づき、不孝を知る深さだけ眞の忠孝が行へるのであり、せめてはとの思ひのみが眞實の忠義も孝行も湧き出るものと信じます。」(吉本、1946)。

 

 ここで指摘したいことは、内省による次のような過程です。つまり、他者へのすまなさが、このような自分でさえ認めてくれた他者へのポジティブな感謝感情を高め、その結果高められた敬意や尊敬がさらにすまないと気持ちを高めるといった循環を通して、最終的に、他者や社会への積極的な関与と自分自身の成長を高めようとする状態への過程です。

     自分が他に迷惑をかけた(かけている)という認識は、快不快であえて分ければ、不快な感情です。しかし、その上で、それでも他の人々が私を支えてくれたという認識は、ポジティブな意味での感謝の感情を生み出します。つまり、このポジティブな感謝の気持ちは、迷惑をかけたことから感じる不快感を、(論理的にということはできないまでも)ほぼ前提にしています。あるいは、それらは相関しているともいえそうです。(「この程度の迷惑なら、それを許してくれた人々にさほどありがたくは感じない」という場合を想像して下さい。)

 図1 は、感謝、負債感、すまないという感情の仮説的な見取り図です。説明を必要とする項目が含まれていますが、参考までに掲載します。

 また、この図では、時間的な経過がうまく表現されていません。推測の段階に過ぎませんが、およそ以下のような過程が考えられます。

  1. ポジティブな感謝の感情とネガティブな感情が同時的に生じる。

  2. ポジティブな感謝は、関係の拡張などへ影響する。

  3. ネガティブな感情の一部(心理的負担)は、関係からの逃避を促し、別の部分(応報義務感、恩返しの心)は関係維持として働く。

  4. ​他方で、ネガティブな感情は、​「前向きの再解釈」(positive reframing)などの過程を経た場合に、ポジティブな感謝をともなうようになり、関係の拡張や充実へと移行する。

​ このように考えると、感謝と心理的負債感を感じてからの心の過程はさほど単純ではなさそうです。

 

文献 

  • Greenberg, M. S. (1980). A theory of indebtedness. In K. J. Gergen, M. S. Greenberg, & R. H. Willis (Eds.), Social exchange: Advances in theory and research. (pp.3-26). New York: Plenum Press.

  • McCullough, M. E., Kilpatrick, S.,Emmons, R.A., & Larson, D. (2001). Is gratitude a moral affect? Psychological Bulletin, 127,249–266.

  • 見田宗介(1984 ). 新版現代日本の精神構造. 弘文堂.

  • 竹内整一(2009).悲しみの哲学. NHK出版局.

  • 山折哲雄 (2002). 悲しみの精神史. PHP.

  • 柳田邦男 (2005). 言葉の力、生きる力.新潮文庫.

  • 吉本伊信 (1946).反省(内観). 信仰相談所 1946.7.12downloaded 2011.8.29 http://www.naikan.jp/B4-2.html

  • 鷲巣奈保子・内藤俊史・原田真有(2016). 感謝、心理的負債感が対人的志向性および心理的well-beingに与える影響.感情心理学研究、24、1-11.  

  • Washizu, N., & Naito, T. (2015). The emotions sumanai, gratitude, and indebtedness, and their relations to interpersonal orientation and psychological well-being among Japanese university students. International Perspectives in Psychology: Research, Practice, Consultation. 4(3), 209-222. 

  • 鷲巣奈保子 (2019). 感謝,心理的負債感,「すまない」感情が心理的well-beingに与える影響とそのメカニズムの検討. お茶の水女子大学博士論文. 

  • 鷲巣奈保子・内藤俊史 (2021). 感謝と負債感が対人関係に与える影響-援助者に対する認知と動機づけに注目して-.お茶の水女子大学人間文化創成科学論叢、23、151-159.

セクション本文わり

​注1

なお、「負債感」と「すまない」という感情は、次のような意味でこのサイトでは用いています。

  • 負債感:  他者にお返しをする義務がある状態で生じる、返報の義務感を伴うネガティブな感情 (Greenberg, 1980). このHPでは「心理的負債感」という言葉も用いていますが、両者を区別はしていません。

  • ​すまないという感情: 相手に迷惑を与えたことに対して感じるネガティブな感情。相手のもつ期待にそぐわなかったことも含まれます。 

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注2 内観療法の簡単な説明(内藤, 2012, pp.548-550より、一部略)

 内観療法は、吉本伊信によって確立された心理療法である。社会的な不適応に対する心理療法として、あるいは矯正施設の一部において適用されてきたが、最近では学校教育に適用する試みもみられる。 

 a  内観療法の手続き

 初めに、その基本的な方法を紹介する。

  • 一般に、狭い場所(部屋のすみを屏風で囲う等)で、他者と隔離された形で行われる。

  • そして、1日15時間、7日前後続けられる。

  • この時間に、たとえば、自分と関連の深い人物一人に対して、ある特定の期間に「していただいたこと」を想起する。

  • 同じく、「して返したこと」を想起する。

  • 同じく、「迷惑をかけたこと」を想起する。

  これらは、想起の対象とする人物、期間をかえて繰り返される。一般には、初めに母親が対象とされる。そして、父親、兄弟・姉妹等へとかえられる。このような過程で期待されていることは、過去にそれぞれの人々に「して返したこと」に対して、「していただいたこと」「迷惑をかけたこと」の大きさに気づくことであり、その結果として、自分が他者との関係のなかで生きてきたこと、他者からの大きな恩恵によって自分が生きてきたことを認識し感じとることである。

 多くの場合、このような過程によって、来談者(クライアント)は大きな負債感またはすまないという感覚をもつ。

 

b「すまない」という感情から感謝へ

 しかし、「すまない」という感情は否定的な感情である。少なくとも、当人にとっては苦痛な感情である。また、場合によっては、自己破壊的な行動を導くこともあり得る。積極的な行動のためには、すまないという否定的な感情から、積極的な感情いわば前向きな感情への変換が必要である。内観療法において注目すべき面の一つは、否定的な感情に終らずに、肯定的な感情への転換が期待されている点であろう。この点に関する吉本(1983)による事例、失意の感情から感謝への移行の事例を以下に示す。

  

 地方検察庁検事の例

「過去三十八年間、私はまるで嘘と盗みの海の中で暮らしてきたようなものです。(略) このように、嘘と盗みについて調べを続けた私は失意のどん底に突き落とされてしまったのですが、しかし、そこにまた道は開けていたのです。自然は、また私の周囲の人達は、よくぞこのような私を今日まで暖かく生かし育てて下さったものだという心境に至り、失意の底から感謝の光明を仰ぎ見ることができるようになったのです。」(吉本伊信『内観への招待』 朱鷺書房 1983年 208-209頁)。

 クライアントである地方検察庁検事は、過去の自分についての反省、つまり内観の初期の段階で、自分の過去の行動について深い罪悪感をもつに至っている。 しかし、自然や周囲の人々がそのような自分でさえも暖かく育ててくれたことに気づき、積極的な「感謝」を感じるようになったことを報告している。この変化は、否定的な感情から肯定的な感情への転化と言えよう。

 このように、内観療法においては、過去や現在への反省の結果単に他の人々に対する罪悪感や「すまない」という感情を喚起させることで終らずに、肯定的な感情への転換を更なる目的としていることは、注目に値する。

内藤俊史(2012). 修養と道徳――感謝心の修養と道徳教育.『野間教育研究所紀要』、51集(人間形成と修養に関する総合的研究)、529-577.  

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