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 感謝の問題点

    ―感謝の落とし穴

   (最終更新日,2022.9.30)

 

​感謝の心、そして感謝の心にもとづく行いはいつも正しいのでしょうか、何か落とし穴はないのでしょうか?

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 はじめに

  感謝の気持ちをもちやすい人は、 well-beingの程度が高い等、感謝のもつプラスの面が、心理学の多くの研究によって明らかにされています。「感謝」や「感謝の心」という言葉は、私たちにとって美しく響く言葉であり、また大切な徳の一つでもあります。

 しかし、そのような感謝の心にも、負の側面はないのでしょうか。また、感謝の過程で陥りやすい「落とし穴」はないのでしょうか。

 実際、感謝のもつ負の側面を指摘している論文もあります(Layous, & Lyubomirsky, 2014; Morgan, Gulliford, & Carr, 2015; Wood, Emmons, Algoe, Froh, Lambert, & Watkins, 2016)。ここでは、それらの論文で指摘されていることを参考にしつつ、あらためて、感謝の問題点や落とし穴をあげます。 

 

公正性との葛藤を見逃すこと

    感謝の気持ちをもつと、感謝の対象となっている人(もの)やその他の人々のために何かをしたいと思うことが多いとされています。また、感謝の心にもとづいて、自分がどうあるべきか、何をすべきなのかという課題にあらためて取り組むこともあると思います。

 そのようなとき、徳の一つとされる感謝の心は、同じく徳の一つとされる公正性と衝突することがあります。感謝にもとづいた行為が、不公正な結果を導いてしまう場合です。感謝の落とし穴の一つは、感謝の大切さを強く意識した結果、公正性のような別の徳がその状況に関わっていることを見逃してしまうことです。

 感謝と公正性との葛藤は、「恩義をとるか、それとも公正さをとるか」といった形で、時として社会的な話題になることがあります注1

 この問題には、感謝のもつ特徴が関わっています。「すべての人々への感謝」という言葉もない訳ではありませんが、感謝は、多くの場合、恩恵を与えてくれた特定の個人や集団に対するものではないかと思います。したがって、「恩恵を与えてくれた人(集団)」と「それ以外の人」とが区別され、その上で、「恩恵を与えてくれた人(集団)」との関係が深められることになります。そして、このような特定の個人や集団との関係の強化は、公正性との葛藤を生み出す可能性をもつことになります。

 感謝のもつ落とし穴は、このような公正性を初めとする道徳的価値との葛藤を見逃すことにあります。一言付け加えれば、このような葛藤に気づくことは、より精錬され成熟した感謝の心へ、発達、進化するための契機になると考えられます。

自尊感情との関わりを見過ごすこと 

 適度な自尊感情(自尊心)は、生活を豊かなものにします。感謝心の二つ目の落とし穴は、感謝の気持ちが、場合によって不当に自らの自尊心を低めてしまうことです。

 感謝の気持ちをもつためには、自分の幸福の原因を認識することが必要ですが、感謝の大切さが過度に強調された結果、他者による貢献を過大に評価し、自分自身の貢献や力を過小評価してしまうことがあります。そして、自尊心を不当に低めてしまうことが考えられます。他者への考慮が強く期待される社会において、陥りがちな事態ともいえそうです。

  自尊心の観点からみると、自尊心は、さまざまな形で感謝に関わります。例えば、過剰な自尊心は、自分の幸福への他者の貢献を低く見積もらせ、感謝の気持ちの妨げになることが考えられます。また、自尊心が原因で、必要とされる援助を拒否し、感謝の生じる事態を拒否することも考えられます。  

 自尊心も感謝心もともに重要な心に違いありません。特に、支援や援助のためには、自尊心と感謝との適切な関係を築く必要があります。 

 

 同時に感じる負債感やすまないという感情を見逃すこと

 最近の心理学では、感謝のポジティブな感情に焦点が当てられています。しかし、感謝の気持ちが生まれるとき、ポジティブな感情とともに、「負債感」や「すまないという気持ち」が同時に生じることが多々あります。三つ目の落とし穴は、感謝を感じる場面におけるこれらの感情を無視してしまうことです。それらのネガティブな感情は、私たちの生活を豊かにする可能性をもつ大切な感情です。

 詳しくは、このホームページの「すまないという心の力」のページをみてください(→「すまないという心の力」のページへ移動)。

「虐待的な関係」において生じ得る不合理な感謝を見過ごすこと

 四つめの問題は、ある種の関係の下で、不合理な感謝の気持ちが生じることがあり、それをそのまま受け入れてしまうことです。Woodら( 2016)は、感謝のもつ負の側面について考察していますが、その論文で指摘されている負の側面の一つは、「虐待的関係」における感謝というものです。彼らのいう「虐待的関係abusive relationships」は、例えば、独裁政治下における独裁者と国民のような社会的関係を例とするものです。そのような社会において、人々が独裁者に感謝を感じることがありますが、それは、さらに強者への不合理な従順を促し、批判的な思考を妨げる傾向があり、感謝の負の側面であるとされています。

 独裁者の行動が、過度の強調や誤った推論を用いて美化され、独裁者への感謝や恩が強調されることが考えられます。また、そのような現象が、特定の関係の下で起こりやすいことも考えられます。残念ながら、それらの現象が実際にどのような条件のもとで生じるのか、もし生じるとすればどのような対応が可能かについて、これらの問いを説くことはこれからの課題です。

他の文化における異なる感謝のあり方に気づかないこと

 私たちは、自分の文化における感謝のあり方にもとづいて、他の文化の人々の行いを解釈することがあります。五つめの問題は、その結果、他の文化の人々に対して、「恩を知らない」などの道徳的な評価を誤って下してしまうことです。

 自分たちの文化の常識に則った方法で感謝を表さないことが、必ずしも感謝の気持ちをもっていないとか、他者(恩人)を尊重していないことを意味する訳ではありません。 

まとめ

 感謝は多くのプラスの面をもちます。自己から離れて「他」に心を向けたときに、感謝への道が開かれます。しかし、より成熟した感謝のためには、さらに広い視点から、あらためて、感謝の心を省みる必要があります。 

 

文献

Layous, K., & Lyubomirsky, S. (2014). Benefits, mechanisms, and new directions for teaching gratitude to children. School Psychology Review, 43(2), 153-159.

Morgan, B., Gulliford, L., & Carr, D. (2015). Educating gratitude: Some conceptual and moral misgivings. Journal of Moral Education, 44(1), 97-111.

Wood, A. M., Emmons, R. A., Algoe, S. B., Froh, J. J., Lambert, N. M., & Watkins, P. (2016). A dark side of gratitude? Distinguishing between beneficial gratitude and its  harmful impostors for the positive clinical psychology of gratitude and well-being. The Wiley handbook of positive clinical psychology, 137-151.

​注1

民俗学者の柳田国男は、1958年の神戸新聞のコラムで、代議士となった加藤恒忠が、東京に帰る際に、見送りにきた地元の中心人物を呼び「僕はとくに松山のために働くことはしないからね」といって帰京したことを伝聞としてあげている。そして、「今でもこんな代議士が一人や二人あってもよいはずだ」(柳田、1964、455頁)と微妙な表現ではあるが支持をしている。読売新聞におけるコラム(読売新聞2009年11月28日)では、柳田による文の一部を引用しつつ、「忘恩」という言葉を用いて、今日の国会議員が選挙等の際の地元の恩にいかに対応するかを考えなければならないことを示唆している。

文献

柳田国男(1964).「故郷70年」.『定本柳田国男集 別巻3』、筑摩書房 1-421.

(内藤俊史(2012). 修養と道徳――感謝心の修養と道徳教育.『人間形成と修養に関する総合的研究 野間教育研究所紀要』、51集、529-577.540-541より).

 
 
 
 
 
 
 
 

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