top of page
Snapshot_8.JPG

感謝​の輪郭と意義 
   (感謝とは何か)

(内藤俊史・鷲巣奈保子、最終更新日 2023.5.25)

HPのメニュー 
アンカー 3

感謝の典型―定義にかえて

 どの言葉でも、いざ定義をするとなると、簡単ではありません。「感謝」も同じです。しかし、これからこのHPで感謝について考えていくとき、感謝の意味の相違にもとづく混乱を避ける必要があります。そこで、初めに、感謝の典型(中心的な例、プロトタイプ prototype) を考えたいと思います。「感謝」という言葉を聞いて最初に思い浮かべるイメージです。この方が、一致は得られやすいのではないかと思います。

感謝の典型 (プロトタイプ)

「他者による善意にもとづく自発的な行為によって、自分(私)に利益や幸福が生じたときに経験する、その人に対する親しみや敬意の感情」 

    要するに、自分の利益や幸福が、他者の善意によってもたらされたときに感じる、その人に対する敬意や親しみの感情です。なお、最近の心理学の動向を取り入れて、感謝におけるポジティブな感情に焦点を当てています。つまり、他の人から恩恵を受けたときに経験する「負債感 (借りを作った感じ)」や「すまない」という感情注1は、この感謝の典型には含まれていません。

   ここであげた感謝の典型は、多くの人々にとって、感謝という概念の中心に位置するのではないかと思います。

 しかし、それは感謝の典型ではあるとしても、感謝は、その周辺に、無視できない重要な領域を携えています。

  

「感謝」の意味の広がり1-意志をもたないものへの感謝

 前に示した感謝の典型には、「善意にもとづく自発的な行為によって」という語句が含まれています。しかし、この条件を充たさない、いわば周辺領域の感謝もあります。例えば、豊作に恵まれた人々は、豊作をもたらした自然に感謝をするでしょう。しかし、自然は、通常(または「公式にいえば」)、意志をもつとはみなされません。つまり、この場合「善意にもとづく自発的な行為」という語は当てはまりません。このように感謝の対象が意志をもたないというケースはさほど珍しいことではありません。

 そこで、上記の「感謝の典型」を典型として認めつつ、次のようなより広い意味での心を「感謝」または「感謝の心」として、探究の対象にしたいと思います。

「自分の幸福や利益が、生物、非生物に関わらず他に起因するときに感じる、それらに対する敬意や親しみの感情」  

 

 なお、次の2点を、補足として加えたいと思います。

 第一に、繰り返しになりますが、典型的な感謝では、幸福の内容を認識し、その幸福をもたらしている他者、他のものを認識したときに感謝の気持ちが生じます。要するに、他に対する「おかげさま」という感情です。しかし、幸福の内容と感謝の対象とがはっきり区別できない場合もあります。例えば、「豊かな時代に生まれてきたことに感謝している」という言葉は、その例かもしれません。 

 このような言葉は、自分以外の何ものかによって幸福がもたらされたことを知り、感謝の気持ちをもちつつも、感謝の対象を特定できない場合における、いわば省略的な感謝の表現とみなすことができると思います。 

 感謝は、幸福をもたらした「自分以外の何ものか」への感情であるということは確かですが、このように感謝の対象が特定できない場合もあります。このHPでは、それらを無視することなく探求をすすめていきたいと思います。

 ただし、感謝という感情が、単に「…について幸福である」「…に満足している」「受容している」「…であることがうれしい」という感情と混同されることのないように注意を払う必要があります。それぞれの感情は、それぞれ大切なものですが、感謝の気持ちは、単に嬉しいという感情と、いくつかの点で異なります。

  第二に、ここでとりあげることはできませんが、恩恵を与えてくれた事物の意志に関して、次のような反論もあることを付け加えておきます―「幸福をもたらすものとして、自然に対して感謝をするとき、私たちは自然を擬人化してとらえ、自然の「善意」を想定しているのである。したがって、「善意による自発的な行為」以外への感謝を想定する必要はない。」

 

「感謝」の意味の広がり2-負債感とすまなさ

  感謝を感じるような場面で、同時に感じることの多い感情があります。私たちの社会では、心理的負債感やすまないという感情をあげることができるでしょう。簡単に言えば、「心理的負債感」は、お返しをしなければならないという義務感、そして「すまない」という感情は、相応の役割を果たさなかったために生じた、他者への迷惑に対する自責の感情を意味します。

 これらの感情を感謝に含めるべきだという立場もありますが、このHPでは、それらは感謝に関係の深い別の感情として位置づけます。しかし、これらの感情が感謝と同時に生じることは多く、感謝について探究する上で、それらを含めることは不可欠と考えられます。

補足

実例という訳ではありませんが、「すいません」という言葉を使う人をとりあげたCMです。

 東京ガス CM 家族の絆 「くちぐせ」篇 2017/01/10

  注意 音声が出ます。

感謝の意味の広がり3 行為としての感謝

 これまで、「感謝」を、心(感謝感情)に限定して、話を進めてきました。しかし、感謝は、行為を含むと考えられます。実際、辞書には、次のように述べられています。

「感謝」

 ありがたく感じて謝意を表すること。「―のしるし」「心から―する」(『広辞苑』第6版 岩波書店、2008 年) 

 「ありがたく感じて」までは心の姿ですが、「謝意を表する」は行いです。確かに、感謝には、行為としての面も含むことがあります。そこで、このサイトでは、「感謝」を広く、「感謝の心」、「感謝の行動(感謝を表す行為)」を含むものとします。

 似た概念として、「感謝の心によって生じた行動」があります。ただし、それは、感謝の心によって生じたさまざまな行動を広く意味します。

 向き合った上での敬意―感謝の核にあるもの

    感謝の典型をもとに、感謝の意味について考えてきました。ここでは、意味というよりも、「感謝の核にあるもの」あるいはその価値について考えます。

 感謝を表す際によく用いられる「ありがとう」という言葉は、有り難し」(=まれである、貴重である)から由来するといわれています。感謝には、ものごとを当たり前とする日常性をこえて、「貴重である」「尊重すべきである」という感覚や感情が根底に含まれます。

 その上で、あらためて、感謝の性質を考えてみましょう。

 感謝には、自分の幸福が「他」つまり他の人、事物、事柄によってもたらされたという、いわば、おかげさまでという認識が含まれます。そして、前に述べたように、それらが貴重なものであると認め、相手に対する敬意が含まれることになります。それは、相手をいったん自分とは別の存在(人格)として向き合い、その上で敬意をもつことといってもよいでしょう。

 この感謝の性質は、次のような機会に垣間見ることができます。

  ・子どもたちに対する「ありがとう」という言葉は、「よくできました」という誉め言葉とは別の意味をもちます。子どもたちに、一人の人間としての敬意を伝えることになるからです。

 ・激しい敵対関係がこうじて、敬意のひとかけらも感じなくなってしまった相手から何か援助を受けたとしても、感謝の気持をもつのは難しいでしょう。むしろそのような相手から助けられたことに屈辱さえ感じるかもしれません。それは、感謝のなかに「敬意」が含まれているからです。しかし、もしそのような相手に感謝の気持ちを感じたとき、関係は変わりつつあります。 

 ・「共に心は一つ」といった場、たとえば、スポーツの試合でチームの優勝が決まった直後に、共に戦ってきたチームメイトに感謝を伝えることは、「場違い」とか「みずくさい」ということになる恐れがあります。感謝は、「いったん自分と切り離された」相手に対する感情だからです。このような場では、同じチームの仲間を「他者」として位置づけるのではなく、お互いに喜びを共にする「私たち」を経験する場であるからでしょう(蛇足ですが、このような点を考えると、感謝は、別れのときがよく似合うのかもしれません-育ててくれた人々からの巣立ちとしての結婚式、卒業式など)。

感謝の心の意義  

 感謝の心の意義や大切さはいろいろな文脈で述べられています。学校で行われる道徳教育では、感謝は道徳の内容項目として学習指導要領に含まれています(例えば小学校について、文部科学省、2017)。また、書店では「自己啓発」の棚に感謝に関わる書籍をみつけることもあるでしょう。しかし、感謝の意義や大切さは多くの人々によって唱えられてはいるものの、それがどのような意味においてなのか異なることがあります。

 そこで、いくつか考えられる感謝の意義を、「感謝がもたらすもの」「感謝自体」そして「感謝をもたらすもの」という三つの観点から整理をしたいと思います (Naito,  & Washizu, 2021)。 

A. 「感謝の心は、自分や他者に幸福をもたらす故に意義をもつ」: 感謝の心がもたらすもの

 感謝の心は、結果として自分自身や周囲の人々に幸福や健康をもたらすことがあります。それは、感謝のもつ重要な意義の一つです。このHPの「感謝の力」というセクションで述べられている「感謝は力をもつ」という立場は、この立場の一つといえます。

B.「感謝の心は、それ自体、道徳的な意義をもつ」: 感謝自体 

 感謝の心は、幸福を導いたり何かの役に立つからではなく、それ自体で意義をもつという考えです。人は、他の人々との関係の下に生きていますが、お互いに人格を認め合うことは、人間としての関係を成り立たせる道徳的な基礎です。他者による適切な行為による恩恵に対して感謝をすることは、他者の人格を認めることであり、人間の相互的な行為において重要な意義をもつという考えです。

  ただし、相手の人格を認めるということは、その人の意見の正しさや権威を認めることを意味してはいません。 

C. 「感謝は心を映し出す鏡として意義をもつ」 : 感謝をもたらすもの 

 感謝をするかしないかは、その人の心のあり方を表わします。家族に対する不満ばかり話していた青年が、家族に対する感謝の気持ちを表わすようになったとき、大切なことは、感謝をするようになったこと以上に、なぜその青年が感謝をするようになったかということでしょう。感謝のもととなった心の変化は、その青年の重要な心の変化であることがあります。感謝は、複雑な心の姿を映しだす鏡として重要な意義をもちます。

 また、感謝しつつ人生の最期をむかえたいという言葉を、人間の生き方をテーマとする書籍のなかに見出すことががあります。例えば―

 「最期に、自分が受けたすべてのものに感謝して、「ありがとう」と言って死んでいける生き方、死に方がしたい」(日野原、2006、 p.16)。

 ここでも、感謝は、心のあり方や生き方を映し出すもの(あるいはその結果として表れるもの)として、意義をもちます。それでは、そのときに感謝をもたらす生き方や心とはどのようなものなのでしょうか。それは、このHPのもつ問いの一つです。

 

文献​

  • 日野原重明 (2006). 有限の命を生きる. 週刊四国遍路の旅編集部『人生へんろ-「いま」を生きる30の知恵』、講談社.

  • 文部科学省(2017).『小学校学習指導要領解説 特別の教科道徳編 』(平成29年)、 downloaded 2022.8.17.    

  • Naito, T., Washizu, N. (2021). Gratitude in Education: Three perspectives on the educational significance of gratitude. Academia Letters, Article 4376. https://doi.org/10.20935/AL4376.

 

                       

アンカー 2
アンカー 11
アンカー 1

​  注1

  • 負債感: 他者にお返しをする義務がある状態で生じる、返報の義務感を伴うネガティブな感情 (Greenberg, 1980). このHPでは「心理的負債感」という語も用いますが、特に断らない限り両者を区別をしていません。 

  • ​すまないという感情: 相手に迷惑を与えたことに対して感じるネガティブな感情。相手のもつ期待にそぐわなかったことに対する感情等が含まれます。

  • ​​文献

Greenberg, M. S. (1980). A theory of indebtedness. In K. J. Gergen, M. S. Greenberg, & R. H. Willis (Eds.), Social exchange: Advances in theory and  research. (pp.3-26). New York: Plenum Press.

12
アンカー 13
アンカー 14
アンカー 15
アンカー 31
アンカー 4

補足・参考資料 

  以下にあげるのは、それぞれ3,000字以上の​2篇の私たちのレポート(PDF文書)です。感謝の定義に関する心理学の状況と​、社会言語学の研究成果を、​それぞれ紹介しています。 

    各レポートのPDF文書

1.感謝の 定義をめぐって 

 哲学や心理学における感謝の定義について説明しています。

2. 感謝の言葉をめぐって

 「ありがとう」と「すみません」についての研究結果をまとめています。

セクション本文わり

日本語以外のバージョンは、機械翻訳を利用した試作です。 

bottom of page