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感謝​の輪郭と意義 (感謝とは何か)
(内藤俊史・鷲巣奈保子、
最終更新日 2022.9.9)

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感謝の典型―定義にかえて

 どの言葉でも、いざ定義をするとなると、簡単ではありません。「感謝」も同じです。しかし、これからこのHPで感謝について考えていくとき、感謝の意味の相違にもとづく混乱を避ける必要があります。そこで、初めに、感謝の典型(中心的な例、プロトタイプ prototype) を考えたいと思います。この方が、一致は得られやすいのではないかと思います。

感謝の典型 (プロトタイプ)

「他者による善意にもとづく自発的な行為によって、自分(私)に利益や幸福が生じたときに経験する、その人に対する親しみや敬意の感情」 

  要するに、自分の利益や幸福が、他者の善意によってもたらされたときに感じる、その人に対する敬意や親しみの感情です。なお、最近の心理学の動向を取り入れて、感謝におけるポジティブな感情に焦点を当てています。つまり、他の人から恩恵を受けたときに経験する「負債感 (借りを作った感じ)」や「すまない」という感情注1は、この感謝の典型には含まれていません。

   ここであげた感謝の典型は、多くの人々にとって、感謝という概念の中心に位置するのではないかと思います。

 しかし、それは感謝の典型ではあるとしても、感謝は、その周辺に、無視できない重要な領域を携えています。

  

「感謝」の意味の広がり1-意志をもたないものへの感謝

 前に示した感謝の典型には、「善意にもとづく自発的な行為によって」という語句が含まれています。しかし、この条件を充たさない、いわば周辺領域の感謝もあります。例えば、豊作に恵まれた人々は、豊作をもたらした自然に感謝をするでしょう。しかし、自然は、通常(または公式にいえば)、意志をもつとはみなされません。つまり、この場合「善意にもとづく自発的な行為」という語は当てはまりません。このように感謝の対象が意志をもたないというケースはさほど珍しいことではありません。

 そこで、私たちは、上記の「感謝の典型」を典型として認めつつ、次のようなより広い意味での心を「感謝」または「感謝の心」として、探究の対象にしたいと思います。

「自分の幸福や利益が、生物、非生物に関わらず他に起因するときに感じる、それらに対する敬意や親しみの感情」  

 

 なお、次の2点を、補足として加えたいと思います。

  第一に、繰り返しになりますが、典型的な感謝においては、幸福を認識し、その幸福をもたらしている他者(他の事柄)を認識したときに感謝の気持ちが生じます。しかし、幸福の内容と感謝の対象との区別がつきにくい場合もあります。例えば、「豊かな時代に生まれてきたことに感謝している」という言葉がその例です。 

 このような言葉は、自分以外の何ものかによって幸福がもたらされたことを知り、感謝の気持ちをもちつつも、感謝の対象を特定できない場合における、いわば省略的な感謝の表現とみなすことができると思います。このような言葉は、結果としての幸福や利益に感謝をしているように聞こえますが、あくまで「他から与えられた」幸福や利益への感謝です。

 感謝は、幸福をもたらした「自分以外の何ものか」への感情であるということは確かですが、このように感謝の対象が特定できない場合もあります。このHPでは、それらを無視することなく探求をすすめていきたいと思います。

 ただし、感謝という感情が、単に「…について幸福である」「…に満足している」「受容している」「…であることがうれしい」という感情と混同されることのないように注意を払う必要があります。それぞれの感情は、それぞれ大切なものですが、感謝の気持ちは、単に嬉しいという感情と、いくつかの点で異なります。 

  第二に、ここでとりあげることはできませんが、恩恵を与えてくれた事物の意志に関して、次のような反論もあることを付け加えておきます―「幸福をもたらすものとして、自然に対して感謝をするとき、私たちは自然を擬人化してとらえ、自然の「善意」を想定しているのである。したがって、「善意による自発的な行為」以外への感謝を想定する必要はない。」

 

「感謝」の意味の広がり2-負債感とすまなさ

  感謝を感じるような場面で、同時に感じることの多い感情があります。私たちの社会では、心理的負債感やすまないという感情をあげることができます。簡単に言えば、「心理的負債感」は、お返しをしなければならないという義務感、そして「すまない」という感情は、相応の役割を果たさなかったために生じた、他者への迷惑に対する自責の感情を意味します。

 これらの感情を感謝に含めるべきだという立場もありますが、このHPでは、それらは感謝に関係の深い別の感情として位置づけます。しかし、これらの感情が感謝と同時に生じることは多く、感謝について探究する上で、それらを含めることは不可欠と考えられます。

 向き合った上での敬意―感謝の核にあるもの

   これまでお話ししたように、感謝には、自分の幸福が「他」つまり他の人、事物、事柄によってもたらされたという認識と、それらに対する敬意が含まれています。それは、相手をいったん自分とは別の存在(人格)として向き合い、その上で敬意をもつことといってもよいでしょう。

 この感謝の性質は、次のような機会に垣間見ることができます。

  ・子どもたちに対する「ありがとう」という言葉は、「よくできました」という誉め言葉とは別の意味をもちます。子どもたちに、一人の人間としての敬意を伝えることになるからです。

 ・激しい敵対関係がこうじて、敬意のひとかけらも感じなくなってしまった相手から何か援助を受けたとしても、感謝の気持をもつのは難しいかもしれません。むしろそのような相手から助けられたことに屈辱さえ感じるかもしれません。それは、感謝のなかに「敬意」が含まれているからです。しかし、もしそのような相手に感謝の気持ちを感じたとき、関係は変わりつつあります。 

 ・「共に心は一つ」といった場、たとえば、スポーツの試合でチームの優勝が決まった直後に、共に戦ってきたチームメイトに感謝を伝えることは、「場違い」とか「みずくさい」ということになる恐れがあります。感謝は、「いったん自分と切り離された」相手に対する感情だからです。このような場では、同じチームの仲間を「他者」として位置づけるのではなく、お互いに喜びを共にする「私たち」を経験する場であるからでしょう(蛇足ですが、このような点を考えると、感謝は、別れのときがよく似合うのかもしれません-育ててくれた人々からの巣立ちとしての結婚式、卒業式など)。                       

 
 
 

 ​  注1

  • 負債感: 他者にお返しをする義務がある状態で生じる、返報の義務感を伴うネガティブな感情 (Greenberg, 1980). このHPでは「心理的負債感」という語も用いますが、特に断らない限り両者を区別をしていません。 

  • ​すまないという感情: 相手に迷惑を与えたことに対して感じるネガティブな感情。相手のもつ期待にそぐわなかったことに対する感情等が含まれます。

  • ​​文献

Greenberg, M. S. (1980). A theory of indebtedness. In K. J. Gergen, M. S. Greenberg, & R. H. Willis (Eds.), Social exchange: Advances in theory and  research. (pp.3-26). New York: Plenum Press.

 
 
 
 

感謝の心の意義  

 感謝の心の意義や大切さはいろいろな文脈で述べられています。学校における道徳教育では、感謝は道徳の内容項目として学習指導要領に含まれています(例えば小学校について、文部科学省、2017)。また、書店では「自己啓発」の棚に感謝に関わる書籍をみつけることもあるでしょう。しかし、感謝の意義や大切さは多くの人々によって唱えられてはいるものの、それがどのような意味においてなのかという点で異なることがあります。

 そこで、いくつか考えられる感謝の意義を、「感謝がもたらすもの」「感謝自体」そして「感謝をもたらすもの」という観点から整理をしたいと思います (Naito,  & Washizu, 2021)。 

A. 「感謝の心は、自分や他者に幸福をもたらす故に意義をもつ」: 感謝の心がもたらすもの

 感謝の心は、結果として自分自身や周囲の人々に幸福や健康をもたらすことがあります。それは、感謝のもつ重要な意義の一つです。このHPの「感謝の力」というセクションで述べられている「感謝は力をもつ」という立場は、この立場の一つといえます。

B.「感謝の心は、それ自体、道徳的な意義をもつ」: 感謝自体 

 感謝の心は、幸福を導いたり何かの役に立つからではなく、それ自体で意義をもつという考えです。人は、他の人々との関係の下に生きていますが、お互いに人格を認め合うことは、人間としての関係を成り立たせる道徳的な基礎です。他者による適切な行為による恩恵に対して感謝をすることは、他者の人格を認めることであり、人間の相互的な行為において重要な意義をもつという考えです。

  ただし、相手の人格を認めるということは、その人の意見の正しさや権威を認めることを意味してはいません。 

C. 「感謝は心を映し出す鏡として意義をもつ」 : 感謝をもたらすもの 

 感謝をするかしないかは、その人の心のあり方を表わします。家族に対する不満ばかり話していた青年が、家族に対する感謝の気持ちを表わすようになったとき、大切なことは、感謝をするようになったこと以上に、なぜその青年が感謝をするようになったかということでしょう。感謝のもととなった心の変化は、その青年の重要な心の変化であることがあります。感謝は、複雑な心の姿を映しだす鏡として重要な意義をもちます。

 また、感謝しつつ人生の最期をむかえたいという言葉を、人間の生き方をテーマとする書籍のなかに見出すことががあります(例えば、「最期に、自分が受けたすべてのものに感謝して、「ありがとう」と言って死んでいける生き方、死に方がしたい」、日野原、2006、 p.16)。ここでも、感謝は、心のあり方や生き方を映し出すもの(あるいはその結果として表れるもの)として、意義をもちます。それでは、そのときに感謝をもたらす生き方や心とはどのようなものなのでしょうか。それは、このHPのもつ問いの一つです。

 

文献​

  • 日野原重明 (2006). 有限の命を生きる. 週刊四国遍路の旅編集部『人生へんろ-「いま」を生きる30の知恵』、講談社.

  • 文部科学省(2017).『小学校学習指導要領解説 特別の教科道徳編 』(平成29年)、 downloaded 2022.8.17.    

  • Naito, T., Washizu, N. (2021). Gratitude in Education: Three perspectives on the educational significance of gratitude. Academia Letters, Article 4376. https://doi.org/10.20935/AL4376.

      補足 

  それぞれ3000字以上の2つの長文のレポートです。感謝の定義に関する心理学の状況と社会言語学の研究成果を紹介しています。

​  

感謝の定義をめぐって 

(内藤俊史・鷲巣奈保子、2020 )

 以下の内容は、次の論文の一部に加筆修正を加えたものです。  

  内藤俊史(2012) 修養と道徳――感謝心の修養と道徳教育.『人間形成と修養に関する総合的研究、 野間教育研究所紀要』、51 集、529-577.

​ 感謝の定義について、さらに一歩踏み込んで考えてみます。

 人によっては、感謝はあらためて考える必要を感じさせないほど、自明の感情かもしれません。しかし、多くの言葉と同様に、いざその語意や定義を考えるとなると難しさに直面します。以下は、感謝は何かという問いに対する私たちの探求のまとめです。

  なお、諸外国、特に欧米における論議も参考にしますが、英語の gratitude や thank が、日本語の「感謝」や「ありがたい」と同等なのかという問題もあるでしょう。しかし、その重要性は認めつつも、ここでは、言語間の差異については議論の対象とはしません。

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行為としての感謝と心としての感謝

  感謝は、行為としての面と、心としての面があります。この点について、少し遠回りになりますが、ある辞書における記述を出発点として説明をしたいと思います。

 

「感謝」

 ありがたく感じて謝意を表すること。「―のしるし」「心から―する」(『広辞苑』第6版 岩波書店、2008 年) 

 

  この説明では、「ありがたく感じること」と「謝意を表すること」が感謝に含まれています。ということは、それら二つがともなって初めて感謝と呼ぶことができるという意味として解釈できます。言いかえれば、表現されて初めて感謝という言葉を適用することができるということになります。   

 しかし、次のように批判する人もいるでしょう― 表現されない感謝の気持ちについて話題にすることはあるのではないか。加えて、例としてあげられている「感謝のしるし」という語句に含まれる「感謝」は、表現される以前の内面的な心の状態を指しているのではないか。

  このことは、むしろ感謝の多面性を示唆するものと考えられます。つまり、「感謝をする」ことには、感謝の気持ちをもつという心理的な側面と、感謝を行為で表すという二つの側面があり、「感謝」という言葉がどちらの側面を意味するか (あるいは両方を含んでいるのか )は、その言葉の用いられた文脈に依存すると考えられます。

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  あらためて、感謝のそれぞれの側面についての説明をここで加えたいと思います。

   第一の側面は、個人のもつ感情としての感謝です。私たちは、恩恵を与えてくれたものに対してありがたいという感情をもちます。私たちが、感謝という語から連想する内容の一つは、ありがたいまたは感謝という気持ち、感情です。  

   感謝の第二の側面は、社会的行為としての感謝であり、ここで仮に「感謝行為」と呼ぶものです。それは、相手に対して感謝を表現する行為であり、他の人に「ありがとう」と言う場合がその典型です。それは、言語学者のオースティン(John, L. Austin)による言語行為論が専ら焦点を当てて分析をした、言語の働きの側面です (Austin, 1962/1972)。

 つまり、「約束します」と発言することが、単に情報を相手に伝えるのではなく、ある行為の実行の責任をもつことを宣言する社会的行為であるように、「ありがとう」「感謝します」と発言することは一つの社会的行為なのです。相手が施してくれた行為を自分は受け入れること、相手に対して敬意をもつこと等を相手に宣言することになるのです。それは、自分の気持ちを単に記述しているというよりも、相手に対して自分の態度を宣言する社会的な行為なのです。      ページのTOPへ

 

心としての感謝の性質

 これまで、感謝が、心と行為の双方の面をもつことを指摘しました。私たちの主たる関心は、行為としての感謝の背後に想定される心としての感謝です。

 それでは、感謝の心とは、どのような心を指しているのでしょうか。言いかえれば、感謝の心と呼ばれるためには、どのような性質をもたなければならないのでしょうか。

哲学者アダム・スミスとロバーツによる感謝の条件

  18 世紀のイギリスの哲学者-経済学者であるアダム・スミス(Adam Smith)は、 道徳的感情に関する著書『道徳感情論』(1759/2003)の作者としてもよく知られていますが、その著書の中で、感謝が適格であるための以下の規準を提案しています(Smith, 1759/2003)。

a.   感謝される者(恩恵を与えた者 )は、望ましいまたは受け入れられ得る行為によって恩恵を与えたこと (恩恵を与えた行為の望ましさ)

b.   感謝される者(恩恵を与えた者)は、他からの強制による行為によって恩恵を与えていないこと、あるいは役割義務に従って恩恵を与えたものではないこと (行為の主体性)

 

   アダム・スミスによる条件は、私たちの常識的な考えにそっていると思われます。例えば、ある人が不正を犯して援助をしてくれたとき、私たちはその相手に感謝をしたり、感謝の気持ちをもったりすることにためらいを感じるでしょう(a)。また、他から強制されて行われた援助を受けたとしても、その援助者に対して感謝の感情をもつことは抵抗があるでしょう(b)。 

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   一方、アメリカ合衆国の哲学者であるロバーツ (Roberts, C. R.)は、これまでの哲学者による論議をふまえて、感謝 gratitude の意味について論じています(Roberts. 2004)。Roberts は、感謝の定義をすることの難しさを指摘した上で、「感謝」と呼ばれるに値するための十分条件 (条件を充たしていれば必ず該当するが、充たしていなくても該当する場合もあります)を示すことはできるとして、次のような条件を十分条件としてあげています。

 

(a)感謝される者は、義務によってではなく相手を助けたいという意思によって助けてたこと

(b)感謝をする者は、広い意味での利益を受けたこと

(c)感謝をする者は、負債と愛着の感情を、恩恵を与えてくれた者に対してもつようになったこと

  (a) は、次のことを意味しています。感謝される者は、誰かから命令されて恩恵を与えたのではなく、また自分の利益のために恩恵を与えたのではなく、相手を助けたいという意思のもとに恩恵を施していること。また、(b) は、感謝する者が、物質的な利益に限らず、心理的、精神的なのを含めて広い意味での利益を得ていることを意味します。最後に、(c) は、恩恵を与えてくれたものに対する感情を示しています。この感情については、それが多分に主観的な面も否めないため、異なる考えもあり得ます。        

  たとえば、哲学者のイマヌエル・カント(Kant, Immanuel)は、著書『人倫の形而上学』のなかで、尊敬や敬意が、感謝において重要な要素であることを指摘しています(カント、1797/1969)。カントによれば、もし感謝というものが、受けた恩恵に対する「負債-借り」の感情にすぎないのであれば、「借り」を返せば感謝の感情も消え失せるはずです。しかし、実際にはそのようなことはなく、十分に借りを返したとしても、感謝の感情はなくならないでしょう。なぜなら、感謝には、尊敬という要素が含まれているからだといいます。カント は、(c) で述べられている感情のなかに、尊敬や敬意という感情を含めるべきであると考えています。

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   先に述べたように、Roberts は、十分条件として以上の三条件をあげ、感謝が必ずもたなければならない条件(必要条件)については述べていません。確かに、Roberts のあげている条件を、必要条件という観点から考えた場合、確定的なことは言い難いと思います。例えば、自然に対して私たちは感謝をするが、自然が、(a) で述べられているように意図をもっているかどうかは不確かです。これに対して、次のような反論も考えられます―それは、自然を人間に見立てて話しているのであって、その場合、自然にも意図や善意ももつものとされています、したがって、意図のないものに対して感謝をするということを認めている訳ではないと。

  いずれにせよ、感謝の心について考える際、次の点を考慮する必要があります。感謝は、それが感謝である限り、共通の一般的性質をもちます。その上で、特定の状況においてのみ適用される規準あるいは性質をもつ感謝があります。それは、「限定された領域での感謝」とか「状況に依存した感謝」と呼ぶことができます-対象が人であるときの感謝と、対象が自然物の場合の感謝は、共通の性質をもちつつ、別の規準ももっていると思います。

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心理学における「感謝」

  それでは、心理学は、どのような心理現象を対象として探  究するべきなのでしょうか。初めに、最近の傾向から話を進めます。  

  21 世紀以降の心理学、特にアメリカ合衆国の心理学の世界では、ポジティブ心理学の影響を受けた定義が広く受け入れられています。以下に、一例として、Tsang (2006)による定義をあげます。  

“a positive emotional reaction to the receipt of a benefit that is perceived to have resulted from the good intentions of another “(Tsang, 2006, p.139)  この定義は、感謝という概念について多くの人々がもつプロトタイプ(概念のなかの典型)といえるかもしれません。

 しかし、感謝の心がポジティブな反応であるということに、物足りなさを感ずる人もいるでしょう。つまり、感謝という言葉には、ポジティブな感情だけではなく、助けてくれた人への負債感を初めとした様々な感情が含まれているのではないかという懸念です。

   感謝をポジティブな感情とする傾向は、20 世紀後期から始まるポジティブ心理学の影響によると考えられます。ポジティブ心理学とは、20 世紀後期、アメリカの心理学会の会長であったセリグマン (Seligman, M.E.P.) が提唱した心理学研究の方向であり、従来の心理学が不適応や疾病に対して、もっぱら焦点を当ててきたことに対して、幸福や希望などの人間のポジティブな側面についての研究の重要性を唱えましました。ポジティブ心理学の主張を背景に、ポジティブな感情としての感謝に光が当てられることになり、21 世紀以降、アメリカ合衆国に限らず多くの国々において研究が行われています。

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   なお、Macullough ら(2001)によると、感謝が心理学において見過ごされてきたという点は、他の多くのポジティブな感情にもいえることですが、感謝に固有な理由も考えられるといいます。すなわち、援助を受けたときに感じる感謝は、心理的負債感等の他の感情に還元されてしまったこと、また、感謝が礼儀の一つとして理解され、そのため社会のあり方に起因するものとみなされ、心理学ではなく社会学の対象に相応しいと考えられてきたためだといいます。

 私たちは多様な感情を経験しますが、そのなかの一部である「ポジティブな感情」としての感謝は、心理学ではあまり関心をもたれてはきませんでした。それは、アメリカ合衆国に限らず、日本を含む多く国々おいても同様です。その意味で、ポジティブな感情としての感謝にあらためて光を当てることの意義は大きいと考えられます。

  しかし、他方で、感謝の心のなかに負債感等の感情を含めるべきであるという考えもあります―感謝はポジティブな感情とともに負債感などを含む総体としての感情であり、様々な要素を含む全体としての感謝のあり方を探究する必要があるという考えです。

  感謝と呼ぶ対象をポジティブな感情に限定するべきか、それとも感謝をより広く負債感等を含むものとするべきかは、難しい問題です。しかし、確かなことは、恩恵を受けたときに、多くの場合、ポジティブな感情とともにネガティブな感情が経験されることであり、それらの間の相互作用の解明が求められていることです。

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文献

  • Austin, L. J. (1962/1978). How to do things with words. New York: Harvard University Press.(坂本百大訳. 言語と行為. 大修館書店、1978 年).

  • Kant, I .(17971969). Die Metaphysik der Sitten. Königsberg :Bey Friedrich Nicolovius. (吉沢伝三郎・尾田幸雄訳. カント全集第 11 巻 人倫の形而上学. 理想社,1969 年).  

  • McCullough, M.E., Kilpatrick, S. D., Emmons, R.E. & Larson,D.B.(2001). Is gratitude a moral affect? Psychological Bulletin, 127, 249-266.

  • McCullough, M. E. (2002). Savoring life, past and present: Explaining what hope and gratitude share in common. Psychological Inquiry, 13(4), 302-304.

  • Roberts, C.R. (2004). The blessings of gratitude: A conceptual analysis. In R. A. Emmons & M. E. McCullough (Eds.), The psychology of gratitude.New York: Oxford University Press. (pp.58-78). 

  • Tsang, J. A. (2006). Gratitude and prosocial behaviour: An experimental test of gratitude. Cognition & Emotion, 20(1), 138-148.

  • Smith, Adam (1759/2003). The theory of moral sentiments, first edition. London: A. Miller. (水田洋訳.『道徳感情論』,岩波書店. 2003 年).

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  • 感謝の言葉をめぐってー「ありがとう」「すみません」など

     (内藤俊史・鷲巣奈保子、2020)  

    他の人から恩恵を受けたとき、私たちは、恩恵を与えてくれた人やものに対して、いろいろな方法で感謝を伝えようとします。そこで用いられる言葉は、「ありがとう」「すみません」等、多様です。それらの言葉の使用やその背景となる心理は、社会言語学者によって検討されてきました。ここでは、それらの研究結果のいくつかを紹介します。 

「感謝系」と「謝罪系」 

 他者から恩恵を受けたときに使われる言葉にはいろいろなものがありますが、それらは「感謝系」と「謝罪系」として分類されることがあります(例えば、岡本 1991、1992 )。前者は、「ありがとう」という言葉のように、恩恵を与えてくれた対象に対する愛着や尊敬を含むポジティブな感情を含む言葉です。そして後者は、「すみません」のように、恩恵を与えてくれた対象に対して、負い目や後悔など、ネガティブな感情も含む言葉です。 

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  以下に、それぞれの言葉の来歴などについて紹介します。

「ありがとう」感謝系 

 感謝は、さまざまな言葉によって表現されます。東京では、「ありがとう」「ありがとうございます」がよく用いられます。各地の方言をみると、関西地方では「おおきに」、島根県や愛媛県では「だんだん」が方言として知られています。ところで、「ありがとう」の語源は、「有り難し」とされます。つまり、あるのは難しい、つまり、存在し難いこと、貴重なことという意味であり、仏教の世界で貴重な教えなどに対して用いられたものが、近世以降、感謝を意味する語として人間に対しても用いられるようになったといいます(山口、1988)。

 「すみません」謝罪系

 「すみません」という言葉は、感謝を表現するときだけではなく、謝罪の際にも用いられる言葉であり、その使用や背後に想定される心理について、内外の社会言語学者の関心を集めてきました(例えば、Coulmas、1981: 岡本、1991、1992: 三宅、1993)。

  歴史的には、謝罪のために用いられた言葉が感謝を表すために使われるようになることは古くからみられるそうで、江戸時代には「はばかり」、明治以降は「すまない」という言葉がその例であるといわれます(西村、1981)。また、「かたじけない」という言葉は、現在でも時代劇などで聞くことがあります。この言葉は、平安時代からある言葉で、「すまない」とほぼ同義であったようです。

  民俗学者の柳田国男によると、すまないとは、心が澄んでいないという意味であり、相手が自分に対して期待以上の不釣り合いな行為をしてもらったために、自分の心が安らかではないという意味であるといいます (柳田、1964)。 

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 二つの言葉はどのように使い分けられるのか

 それでは、現代において、謝罪の際にも用いられる「すまない」という言葉を初めとする謝罪系の言葉と、もっぱら感謝の目的で用いられる「ありがとう」などの感謝系の言葉は、どのように使い分けられているのでしょうか。

  佐久間 (1983)は、「許しを乞う気持ち-自責-恐縮-喜びという心理の連続線に沿う形で、「ごめんなさい」-「すみません」-「恐れ入ります」-「ありがとう」という言葉が用いられるという説を提案しています。また、自己志向-他者志向という区別を用いて、「ありがたい」と「すまない」という言葉の使用について説明をしています。すなわち、自己の利益に焦点を当てた場合に「ありがたさ」が強調され、他者に向けられたときに「すまなさ」に焦点が当たるのだといいます。

 これらの図式は、その後の言語学における実証的な研究に影響を与えています。研究の一つを紹介します。

 岡本(1991、1992)は、女子短大生(104 名)に感謝の生じる場面を示した上で回答を求め、その回答を感謝型(感謝、ありがとう)、謝罪型(すみません、ごめんなさい)に分類しました。その結果、感謝型の使用頻度は、相手の負担の大きさ,話し手の負目と負の相関があり、気楽さ、気分の良さと正の相関が見られました。また、関係が親密であるほど、感謝型の言葉が用いられました。他方で、謝罪型の使用は、これらと逆の相関のパターンを示していました。相手のコストが大きな影響を与えますが、別の要因も関与していて、贈物を贈る場面ではコストがそれほど小さくないのに謝罪型に比べて感謝型が多用される傾向がありました。

 他者への負担に関心が向く場合に「謝罪系」、そして自己の利益へ関心が向く場合に「感謝系」という図式は、私たちの言葉の使用をみて、説得力があります。

 三宅(1993)は、「すみません」という言葉が、恩恵を与えてくれた人に負担がないときには使えないことを指摘し、そのことは、「すみません」という表現には恩恵を与えた者の負担が関わることを意味すると主張しています。

 私なりに説明を加えれば、 買い物をしたお客さんに対して、店員は「ありがとうございます」とはいっても「すみませんでした」とはいいません。募金箱に募金をしてくれた人に、「ありがとうございます」とはいっても「すみません」とはいいいません。これらのことは、すまないという言葉が、相手の負担に対する気持ちを表現するものであり、負担に言及することが適切なときにのみ用いられることを示しています。

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まとめ  

 恩恵を受けたときの言語的な対応としては、謝罪系と感謝系があり、それぞれ、他者への負担に関心が向く場合、そして自己の利益への関心が向けられる場合に、用いられます。もちろん、それらの言葉の選択に影響する要因は、その他にもあるでしょう。例えば、恩恵を受けた者と与えた者との関係をあげることができます。身近な人物からの援助と見知らぬ人からの援助では、感謝やすまなさの表現の仕方が異なることは確かです。例えば、親密な関係にある人からの援助に対して、「すみません」と言ってお礼をしたときに、「みずくさい」と言われた経験をもつ人もいるでしょう。

  なお、私たちが、「すまない」「ありがたい」という言葉を用いているからといって、それらに対応する「すまないという心」「ありがたいという心」が存在している訳ではありません。それらの言葉、謝罪系と感謝系の言葉が、それぞれどのような心理的メカニズムによって生み出されるのかは、これから明らかになることを期待します。

文献

  • Coulmas,F. ( 1981). Poison to your soul in: Thanks and apologies contrastively   viewed. In F. Coulmas (ed.), Conversational routine. The Hague: Mouton,  69–91.

  • 三宅和子. (1993). 感謝の意味で使われる詫び表現の選択メカニズム: Coulmas (1981) の indebtedness 「借り」 の概念からの社会言語的展開. 筑波 大学留学生センター日本語教育論集, (8), 19-38.

  • 西村啓子(1981)「感謝と謝罪の言葉における<すみません>の位置」.日本文学  ノート.第16 号, 宮城学院女子大学日本文学会.

  • 岡本真一郎. (1991). 感謝表現の使い分けに関与する要因.人間文化: 愛知学  院大学人間文化研究所紀要, 6, 95-105.  

  • 岡本真一郎. (1992). < 論文> 感謝表現の使い分けに関与する要因 (2):「ありがとうタイプ」 と 「すみませんタイプ」 はどのように使い分けられるか. 愛知学院大学文学部紀要, 22, 35-44.

  • 佐久間勝彦(1983). 感謝と詫び. 水谷修編 話しことばの表現講座日本語の表 現3, 筑摩書房, 54-66.

  • 山口佳紀 編 (1988). 暮らし言葉語源辞典. 講談社. 

  • 柳田国男 (1964). 毎日の言葉. 角川書店.  

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日本語以外のバージョンは、機械翻訳による試作です。